与えよ、さらば与えられん−幸せになる勇気


すべての喜びもまた、対人関係の喜びである

・アドラーは、一人の個人が社会で生きていくにあたって、直面せざるをえない課題を「人生のタスク」と呼んでいました。

・アドラーによる「苦悩」の定義、すなわち「すべての悩みは、対人関係の悩みである」という言葉の背後には、「すべての喜びもまた、対人関係の喜びである」という幸福の定義が隠されている。

・「われわれは交友において、他者の目で見て、他者の目で聞き、他者の心で感じることを学ぶのだ」

「信用」するか?「信頼」するか?

・「信用」とは相手のことを条件付きで信じること、「信頼」とは他者を信じるにあたっていっさいの条件をつけないことです。

・仕事の関係とは「信用」の関係であり、交友の関係とは「信頼」の関係なのです。

なぜ「仕事」が、人生のタスクになるのか

・「論理的にコモンセンスに一致する答えはわれわれは働き、協力し、貢献すべきである、ということだ」

・人間は一人では生きていけないのです。他者と「分業」するためには、その人のことを信じなければならない。

・まずは仕事の関係に踏み出す。他者や社会と利害で結ばれる。そうすれば、利己心を追求した先に「他者貢献」があるのです。

・すべての仕事は「共同体の誰かがやらねばならないこと」であり、われわれはそれを分担しているだけのことなのです。

・人間の価値は「どんな仕事に従事するか」によって決まるのではない。その仕事に「どのような態度で取り組むか」によって決まるのだ。

先に「信じる」こと

・他者を信じること。これはなにかを鵜呑みにする、受動的な行為ではありません。ほんとうの信頼とは、どこまでも能動的な働きかけなのです。

・あなたがわたしを信じようと信じまいと、わたしはあなたを信じる。信じ続ける。それが「無条件」の意味です。

・自分を愛することができなければ、他者を愛することもできない。自分を信じることができなければ、他者を信じることもできない。

・ありのままの自分を受け入れられず、絶え間なき不安にさらされているからこそ、自分にしか関心が向かないのです。

与えよ、さらば与えられん

・与えるからこそ、与えられる。「与えてもらうこと」を待ってはならない。
心の物乞いになってはならない。
…これは「仕事」「交友」に続く、もう一つの対人関係を考える上でも非常に重要な視点になります。

・アドラーを理解するための階段は、「愛」に踏み出すことでえられます。いや、そこにしかないといっても過言ではないでしょう。

 

まとめ

自分自身の子育てについて考えてみました。

子どもがいうことを聞かなかったり、問題のある行動を起こしたりするとイライラしている自分を振り返っていると親の身勝手だなと思う。
本当に自分にしか関心が向いていなかったのだと反省します。

子どもたちが親の思いどおりに動くという思い込みと支配欲がそういう思考にさせていたのではないかと思う。

無条件に信じるという心の働きかけを子どもに送ってあげていれば、その行動自体を受け入れることができるし、子どもたちも親を信頼して困らせないようにしようという意識をどこかに持つのかもしれない。

だから褒める叱るではなく心から信頼し合える横のつながりをしっかりと親子間で築いていきたい。
それこそが、本当の親子愛のかたちなのではないのかなと思う。

 

 

 

 

競争原理から協力原理へ−幸せになる勇気


「ほめて伸ばす」を否定せよ

・ほめることは”能力のある人が、能力のない人に下す評価”であり、その目的は”操作”である。

・子どもたちを競争原理の中に置き、他者と競うことに駆立てた時、ほどなく子どもたちは、「他者はすべて敵なのだ」「人々はわたしを陥れようと機会を窺う、油断ならない存在なのだ」というライフスタイルを身につけていく。

共同体の病

・組織は、賞罰も競争もない、ほんとうの民主主義が貫かれていなければならない。

・強さや順位を競い合う競争原理は、おのずと「縦の関係」に行きつきます。勝者と敗者が生まれ、そこで上下関係が生まれるわけですから。

・一方アドラー心理学の提唱する「横の関係」を貫くのは、協力原理です。
人生は「不完全」から始まる

・承認欲求にとらわれた人間は、他者から認めてもらうことを願うあまり、いつの間にか他者の要望に沿った人生を生きることになる。すなわち、他者の人生を生きることになる。

・われわれ人間は子ども時代、ひとりの例外もなく劣等感を抱えて生きている。これがアドラー心理学の大前提です。

・「自らの不完全さ」を経験する子どもたちは、原理的に劣等感を抱かざるをえないのです。

・人間はその弱さゆえに共同体をつくり、協力関係の中に生きています。

・すべての人には共同体感覚が内在し、それは人間のアイデンティティと深く結びついているのです。

 

「わたしであること」の勇気

・アドラー心理学では、人間の抱えるもっとも根源的な欲求は、「所属感」だと考えます。

・ほめられることでしか幸せを実感できない人は、人生の最後の瞬間まで「もっとほめられる」ことを求めます。その人は「依存」の地位に置かれたまま、永遠に満たされることのない生を送ることになるのです。

・「わたし」の価値を、自ら決定すること。これを「自立」と呼びます。

・「人と違うこと」に価値を置くのではなく、「わたしであること」に価値を置くのです。

 

まとめ

現実的な組織は競争原理に支えられていますよね。
僕らが働く会社だってそう。同期でも評価によって給与の差がつく。

学校だってそう。偏差値があって、すべての生徒たちが同じように評価されているわけではない。

アドラー心理学ではこういった競争による客観的な優劣で起こる「縦の関係」を否定し、人間はもともとみんな不完全だという前提に立ち返って協力関係を築く「横の関係」を重視する。

すべての人には「共同体感覚」≒「所属感」が内在する。
他者と比べて、「あの人みたいに褒められたい」という欲求だけで行動をする人はずっと満たされない思いをすることになる。

ではどうすればいいのか。

「わたし」という存在そのものの価値を認めること。

自分自身のことを好きになれなければ人を好きになることなんてできないし、自分自身のことを大切にできなければ人を大切にすることなんてできない。

そう思うのです。

 

 

なぜ賞罰を否定するのか−幸せになる勇気


問題行動の「目的」はどこにあるか

・問題行動の第一段階、それは「称賛の要求」です。

・彼らの目的はあくまでも「ほめてもらうこと」であり、さらに言えば「共同体の中で特権的な地位を得ること」なのです。

・問題行動の第二段階は「注目喚起」です。

・積極的な子どもたちは、いわば「いたずら」によって、注目を得ようとするでしょう。消極的な子どもたちは「できない子」として振る舞うことで注目を集め、特別な地位を得ようとするのです。

わたしを憎んでくれ!見捨ててくれ!

・問題行動の第三段階。ここで彼らの目的は「権力争い」に突入します。

・法に触れる問題であれば、法に従った対処が必要です。
それ以外の権力争いを察知した時には、すぐさま彼らのコートから退場する。まずやるべきことは、それだけです。

・問題行動の第四段階、ここで人は「復讐」の段階に突入します。

・かけがいのない「わたし」を認めてくれなかった人、愛してくれなかった人に、愛の復讐をするのです。

・問題行動の第五段階、それは「無能の証明」です。

・彼らは、自分がいかに無能であるか、ありとあらゆる手を使って「証明」しようとします。
あからさまな愚者を演じ、なにごとにも無気力になり、どんな簡単な課題にも取り組もうとしなくなる。
やがて自分でも「愚者としてのわたし」を信じ込むようになる。

「罰」があれば、「罪」はなくなるか

・問題行動のすべては「所属感」、つまり「共同体のなかに特別な地位を確保すること」という目的に根ざしている。

・彼らの問題行動は「あなたに叱られること」まで含んだ上での、問題行動なのです。
叱責されることは、彼らの望むところです。

怒ることと叱ることは同義である

・子どもたちの問題行動を前にしたとき、親や教育者は何をすべきなのか?
アドラーは「裁判官の立場を放棄せよ」と語っています。
あなたは裁きを下す特権など与えられていない。法と秩序を守るのは、あなたの仕事ではないのです。

・教育者とはカウンセラーであり、カウンセリングは「再教育」である。

・怒りや暴力を伴うコミュニケーションには、尊敬が存在しない。
それどころか軽蔑を招く。
失跡が本質的な改善につながらないことは、自明の理なのです。
ここからアドラーは、「怒りとは、人と人を引き離す感情である」と語っています。

・「変えられないもの」に執着するのではなく、眼前の「変えられるもの」を直視するのです。

自分の人生は自分で選ぶことができる

・人間が未成年の状態にあるのは、理性が欠けているのではない。
他者の指示を仰がないと自分の理性を使う決意も勇気も持てないからなのだ。
つまり人間は自らの責任において未成年の状態にとどまっていることになる。

・教育する立場にある人間、そして組織の運営を任されたリーダーは、常に「自立」という目標を掲げておかねばならないのです。

・感謝を期待するのではなく、「自立」という大きな目標に自分は貢献できたのだ、という貢献感を持つ。
貢献感の中に幸せを見いだすのです。

・自分の人生は、日々の行いは、すべて自分で決定するものなのだと教えること。そして決めるにあたって必要な材料ーたとえば知識や経験ーがあれば、それを提供していくこと。
それが教育者のあるべき姿なのです。

 

まとめ

「誉めて育てよ」
「しつけで育てよ」

子育てや仕事における部下の教育としては当たり前に使われる言葉で、誰もが正しいと感じ疑いもしなかった言葉ですよね。

でも、アドラーは賞罰を完全に否定します。
なぜなら、教育を受けるものは賞罰に依存してしまうから。

「誉めてもらうためにがんばる」
「怒られないように真面目にやる」

では、結局教育者が主体になり、被教育者は受動でしかない。

そして、主体的ではないから自ら責任を取ろうとせずに問題行動に出てしまう。
これでは成長するどころか不幸な人生を歩む結果になってしまう。

教育者の責務は誉めることでも叱ることでもないんですよね。
それが逆効果になってしまう危険を常に考えておかないといけない。

教育者としての本当の責務は、教育を受ける子どもや部下が自分の責任のもとで主体的に行動するために背中をそっと押してあげることなんでしょうね。

 

  

 

悪いあの人、かわいそうなわたし−幸せになる勇気


教育の目標は「自立」である

・アドラーの語る「課題の分離」を一面的にとらえると、あらゆる教育は他者の課題への介入になり、否定されるべき行為になってしまいます。
しかしアドラーの時代、彼ほど教育に力を入れた心理学者はいませんでした。アドラーにとっての教育は、中心課題のひとつであるばかりか、最大の希望だったのです。

・アドラー心理学では、人はみな、無力な状態から脱し、より向上していきたいという欲求、つまり「優越性の追求」を抱えて生きる存在だと考えます。

・人はみな「自由」を求め、無力で不自由な状態からの「自立」を求めている。

・教育とは「介入」ではなく、自立に向けた「援助」なのです。

尊敬とは「ありのままにその人を見る」こと

・役割として「教える側」に立っている人間が、「教えられる側」に立つ人間を敬う。
尊敬なきところに良好な対人関係は生まれず、良好な関係なくして言葉を届けることはできません。

・尊敬とは、人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである。
尊敬とは、その人が、その人らしく成長発展していけるよう、気づかうことである。(エーリッヒ・フロム)

・尊敬とは、いわば「勇気づけ」の原点でもあるのです。

「他者の関心事」に関心を寄せよ

・自己への執着から逃れ、他者に関心を寄せること。その指針に従って進んでいけば、おのずと「共同体感覚」に到達する。

・共同体感覚についてアドラーは、好んでこのような表現を使いました。
われわれに必要なのは、「他者の目で見て、他者の耳で聞き、他者の心で感じること」だと。

もしも「同じ種類の心と人生」を持っていたら

・われわれは誰しも、客観的な世界に住んでいるのではなく、自らが意味づけした主観的な世界に住んでいる。
われわれが問題としなければならないのは「世界がどうであるか」ではなく、「世界をどう見ているか」なのだ。

・共感とは、他者に寄り添うときの技術であり、態度です。

「変われない」ほんとうの理由

・人間は、過去の「原因」に突き動かされる存在ではなく、現在の「目的」に沿って生きている。

・われわれは過去の出来事によって決定される存在ではなく、その出来事に対して「どのような意味を与えるか」によって、自らの生を決定している。

・自分の人生を決定するのは、「いま、ここ」を生きるあなたなのだ。

・われわれの世界には、ほんとうの意味での「過去」など存在しません。十人十色の「いま」によって色を塗られた、それぞれの解釈があるだけです。

悪いあの人、かわいそうなわたし

・不遇な過去をトラウマとする人は過去に縛られているのではありません。その不幸に彩られた過去を、自らが必要としているのです。
あえて厳しい言い方をするなら、悲劇という安酒に酔い、不遇なる「いま」のつらさを忘れようとしているのです。

・あなたがどんなに「悪いあの人」について同意を求め、「かわいそうなわたし」を訴えようと、そしてそれを聞いてくれる人がいようと、一時のなぐさめにはなりえても、本質の解決につながらない。

・われわれが語り合うべきは、まさにこの一点、「これからどうするのか」なのです。

・ミステリアスな魔法よりも建設的で科学的な、人間への尊敬に基づく、人間知の心理学。それこそがアドラー心理学なのです。

 

まとめ

管理職の立場になり、そして親の立場になり公私ともに教育ということに携わる機会が増えてきました。

仕事で部下を教育するにも、親として子供を教育するにもいわゆる教育の先輩たちはおっしゃいます。
概して「しつけ」が大切だ。
厳しくしつけないと育たない。
と。

それに対して、アドラーが説く教育とは決して「あーしなさい、こーしなさい」「あれはだめでしょ!これはだめでしょ!」と口うるさく「しつける」のではない。

教育を受け入れる側の人の立場を尊重して、まずは自分でどこまでできるか自力でやってみさせること。そして、それに対してのアドバイスをしたり課題を一緒に考えてみたりして、その人の成長や自立を支援していくことなんですよね。

どちらが成長するかといえば、やっぱり後者のように思いますよね。
縦の関係で縛るのではなく、横の関係で部下や子供たちと接してともに成長していきたいものです。

 

 

「いま、ここ」を真剣に生きる−嫌われる勇気


自己肯定ではなく、自己受容

・自己への執着を他者への関心に切り替え、共同体感覚を持てるようになること。そこで必要となるのが、「自己受容」「他者信頼」、そして「他者貢献」の3つになります。

・60点の自分に「今回はたまたま運が悪かっただけで、ほんとうの自分は100点なんだ」と言い聞かせるのが自己肯定です。それに対し、60点の自分をそのまま60点として受け入れた上で「100点に近づくにはどうしたらいいか」を考えるのが自己受容になります。

・交換不能なものを受け入れること。ありのままの「このわたし」を受け入れること。そして変えられるものについては、変えていく“勇気”を持つこと。それが自己受容です。

 

信用と信頼はなにが違うのか

・他者を信じるにあたって、いっさいの条件をつけないことです。たとえ信用に足るだけの客観的根拠がなかろうと、信じる。担保のことなど考えずに、無条件に信じる。それが信頼です。

・裏切るのか裏切らないのかを決めるのは、あなたではありません。それは他者の課題です。あなたはただ「わたしがどうするか」だけを考えればいいのです。

・他者信頼によってもっと深い人間関係に踏み込む勇気を持ち得てこそ、対人関係の喜びは増し、人生の喜びも増えるのです。

・他者貢献とは、「わたし」を捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろ「わたし」の価値を実感するためにこそ、なされるものなのです。

 

ひとはいま、この瞬間から幸せになることができる

・人間にとって最大の不幸は、自分を好きになれないことです。この現実に対して、アドラーは極めてシンプルな回答を用意しました。すなわち、「わたしは共同体にとって有益である」「わたしは誰かの役に立っている」という思いだけが、自らに価値があることを実感させてくれるのだと。

・他者貢献していく時のわれわれは、たとえ目に見える貢献でなくても、「わたしは誰かの役に立っている」という主体的な感覚を、すなわち「貢献感」を持てればそれでいいのです。

・承認欲求を通じた得られた貢献感には、自由がない。われわれは自由を選びながら、なおかつ幸福をめざす存在なのです。

 

「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てよ

・人生とは、今この瞬間をくるくるとダンスするように生きる、連続した刹那なのです。

・ダンスを踊っている「いま、ここ」が充実していれば、それでいいのです。

・人生全体にうすらぼんやりとした光を当てているからこそ、過去や未来が見えてしまう。しかし、もし、「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てていたら、過去も未来も見えなくなるでしょう。

・過去にどんなことがあったかなど、あなたの「いま、ここ」にはなんの関係もないし、未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではない。

 

無意味な人生に「意味」を与えよ

・われわれは困難に見舞われたときにこそ前を見て、「これからなにができるのか?」を考えるべきなのです。

・アドラーは「一般的な人生の意味はない」と語ったあと、こう続けています。「人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ」と。

・「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きてかまわない。

・世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ「わたし」によってしか変わりえない。

 

まとめ

過去にとらわれて日々を悶々と過ごしていませんか?

 

人は多かれ少なかれ、過去を振り返り後悔することはあると思います。

「あの時〜すればよかった」というようなふうに。

そして「あの時〜だったから、今がこうなんだ」と過去のせいにして、今の不満な状態のいいわけにしてしまうわけです。

 

 

そして、そうできなかった自分を卑下したり、好きになれなかったりするのかもしれません。

自分を好きにならなければ、自己信頼感なんて上がるはずもありません。

自己信頼感が得られなければ、原因論の虜になり、自分の人生を他者の責任に帰してしまいます。

 

「いま、ここ」はものすごいスピードで流れていきます。

延々自分の人生を他者のせいにして生きていたのでは、人生に何も遺すことはできません。

 

 

大事なのは「いま、ここ」をどう生きるのかなのです。

現在の自分は過去の自分がつくり上げてきたと感じるならば、未来の自分を今自分がつくり上げる努力をすればいいのです。

過去がどうあれ、それを受け入れた上で、いまここで「このままのわたし」でいいという甘えを捨てること。

 

そして、変えられる部分は変えていこうという勇気を持つ。

そういう意識を持っていれば、勇気づけてくれる人・もの・情報は引き寄せられてくるのではないでしょうか。

 

 

人生は一度きり。しかも、思ったよりも短い。

変えられない自分を嘆いている余裕はない。

 

よって、「このままのわたし」を変えるワクワク感を味わいながら、「いま、ここ」をダンスを踊るように生きてみませんか?

 

 

 

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世界の中心はどこにあるか−嫌われる勇気


個人心理学と全体論

・アドラー心理学では、身体の症状を心(精神)と切り離して考えることはしません。

心と身体は一体のものだ。これ以上分割することのできないひとつの「全体」なのだ、と考えるわけです。

・たとえばカッとなって他者を怒鳴りつけたとき、それは「全体としてのわたし」が怒鳴ることを選んだのです。

決して感情という独立した存在が、いわば私の意向とは無関係に、怒鳴り声を上げさせたとは考えません。

ここで「わたし」と「感情」を切り離し、「感情が私をそうさせたのだ、感情に駆られてしまったのだ」と考えてしまうと、容易に人生の嘘へとつながっていきます。

・人間をこれ以上分割できない存在だととらえ、「全体としての私」を考えることを「全体論」と呼びます。

 

対人関係のゴールは「共同体感覚」

・他者を仲間だと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられることを、共同体感覚といいます。

・共同体感覚とは、幸福なる対人関係のあり方を考える、もっとも重要な指標なのです。

・二人の人間がいたら、そこに社会が生まれ、共同体が生まれる。
・私への執着(self interest)を、他者への関心(social interest)に切り替えていく。

 

なぜ「わたし」にしか興味がないのか

・「課題の分離」ができておらず、承認欲求にとらわれている人もまた、きわめて自己中心的なのです。

・「他者からどう見られているか」ばかりを気にかける生き方こそ、「わたし」にしか関心を持たない自己中心的なライフスタイルなのです。

・「わたし」は、世界の中心に君臨しているのではない。

「わたし」は人生の主人公でありながら、あくまでも共同体の一員であり、全体の一部です。

・アドラー心理学では、所属感とはただそこにいるだけで得られるものではなく、共同体に対して自らが積極的にコミットすることによって得られるのだと考えます。

・「この人はわたしになにを与えてくれるのか?」ではなく、「わたしはこの人になにを与えられるか?」を考えなければならない。

それが共同体へのコミットです。

・所属感とは、生まれながらに与えられるものではなく、自らの手で獲得していくものなのです。

 

叱ってはいけない、ほめてもいけない

・ほめるという行為には「能力のある人が、能力のない人に下す評価」という側面が含まれています。

・アドラー心理学ではあらゆる「縦の関係」を否定し、すべての対人関係を「横の関係」にすることを提唱しています。

・そもそも劣等感とは、縦の関係の中から生じてくる意識です。

あらゆる人に対して「同じではないけど対等」という横の関係を築くことができれば、劣等コンプレックスが生まれる余地はなくなります。

 

「勇気づけ」というアプローチ

・強制ではなく、あくまでも課題を分離したまま、自力での解決を援助していきます。

こうした横の関係に基づく援助のことを、アドラー心理学では「勇気づけ」と呼んでいます。

・いちばん大切なのは、他者を「評価」しない、ということです。

評価の言葉とは縦の関係から出てくる言葉です。

もし横の関係を築けているのなら、もっと素直な感謝や尊敬、喜びの言葉が出てくるでしょう。

・ほめられるということは、他者から「よい」と評価を受けているわけです。

そして、その行為が「よい」のか「悪い」のかを決めるのは、他者の物差しです。

もしもほめてもらうことを望むのなら、他者の物差しに合わせ、自らの自由にブレーキをかけるしかありません。

・「ありがとう」は評価ではなく、もっと純粋な感謝の言葉です。

人は感謝の言葉を聞いたとき、自らが他者に貢献できたことを知ります。

・人は「わたしは共同体にとって有益なのだ」と思えたときにこそ、自らの価値を実感できる。

これがアドラー心理学の答えになります。

 

人は「わたし」を使い分けられない

・まずは他者との間に、ひとつでもいいから横の関係を築いていくこと。そこからスタートしましょう。

・もしもあなたが誰かひとりとでも縦の関係を築いているとしたら、あなたは自分でも気づかないうちに、あらゆる対人関係を「縦」でとらえているのです。

・意識の上で対等であること、そして主張すべきは堂々と主張することが大切なのです。

 

 

まとめ

部下を褒めて伸ばす。

子供をしつけるためには、叱ることが大切だ。

 

自分の中でそれは本当にまぎれもない「常識」でした。

 

しかし、アドラー心理学では「叱ってもいけない」「褒めてもいけない」と説かれます。

これはどういうことだ??

読み進めれば、アドラー心理学ではあらゆる対人関係を

縦の関係ではなく横の関係でとらえると提唱します。

 

わたしたちは人間関係をとかく縦の関係で捉えがちです。

上司と部下

親と子

先輩と後輩。。。

 

縦の関係では良好な人間関係は築けないと説かれています。

人間関係を縦で捉えてしまうと、相手との比較のなかで劣等コンプレックスが生まれたり、
褒められたい。

尊敬されたい。

そんな自己承認欲求を満たすために、ありのままの自分とのギャップに苦しむこともあるでしょう。

 

複雑に入り組んだ人間関係の中で、対人関係をできるかぎり「横で捉える」。

まずは他者を「評価」しない、そして自分と向き合い自己を「評価」する。

他者の物差しの中で自分の存在価値を感じるのでなく、

絶対不可侵の自分軸の中で、貢献できていると感じることができることが幸福な人間関係なのでしょう。

 

 
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他者の課題を切り捨てるー嫌われる勇気


承認欲求を否定する

・われわれは「他者の期待を満たすために生きているのではない」のです。

・他者からの承認を求め、他者からの評価ばかり気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになります。

・他者もまた「あなたの期待を満たすために生きているのではない」のです。

 

「課題の分離」とはなにか

・たとえば目の前に「勉強する」という課題があったとき、アドラー心理学では「これは誰の課題なのか?」という観点から考えを進めていきます。

・われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題を分離していく必要があるのです。

・あらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと―あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること―によって引き起こされます。

・誰の課題かを見分ける方法はシンプルです。「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのはだれか?」を考えてください。

・自らの生について、あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけです。一方で、その選択について他者がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です。

 

承認欲求は不自由を強いる

・他者の期待を満たすように生きること、そして自分の人生を他人任せにすること。これは、自分に嘘をつき、周囲の人々に大しても嘘をつき続ける生き方です。

・課題を分離することは、自己中心的になることではありません。むしろ他者の課題に介入することこそ、自己中心的な発想なのです。

 

本当の自由とはなにか

・自由とは、他者から嫌われることである。

・他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。つまり自由になれないのです。

 

対人関係のカードは、「わたし」が握っている

・「あのとき殴られたから関係が悪くなった」と考えるのは、フロイト的な原因論的な発想です。

アドラー的な目的論の立場に立てば、因果律の解釈は完全に逆転します。つまり、私は「父との関係をよくしたくないために、殴られた記憶を持ち出していた」のです。

・問題は私が決心するかどうかであって、対人関係のカードは常に「わたし」がにぎっていたのです。

・わたしが変わったところで、変わるのは「わたし」だけです。その結果として相手がどうなるかはわからないし、自分の関与できるところではない。

 

 

まとめ

課題の分離。
この言葉に人間関係のあるべき姿がこのひとつの言葉に凝縮されているとさえ感じます。

 

親子関係から生じるトラウマ。

夫婦関係のもつれ。

職場の同僚や上司との関係における悩み。

 

すべて、相手に対する課題に対して、自分が過干渉したりされたりすることによって生じるものです。

 

相手にいいふうに見られたい。

相手の期待に応えたい。

 

相手軸にはまっていくほど、「本当の自分」との間できしみを上げる。

そんな生き方は本当に苦しいですよね。

ましてや、近しい人間関係のなかではなおさらです。

 

他者の期待に過剰に反応して、自分自身のたいせつなものを犠牲にする。
自己犠牲の精神は一見美しいもののようにも思えてしまうもの。

しかし、そうやって他者の人生に生きることは、自分自身の人生への責任を棚上げしているようなもの。

 

人間関係の中で幸福感を得るためには、課題の分離をして、自分の課題にフォーカスする。

それは決して自己中心的なのでなく、自分の人生に田する全責任を自分で負うことなのです。

 

「嫌われる勇気」を持つことが、人間関係の悩みから抜け出す第一歩ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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すべての悩みは対人関係−嫌われる勇気


なぜ自分のことが嫌いなのか

・短所ばかりが目についてしまうのは、あなたが「自分を好きにならないでおこう」と、決心しているからです。

・わたしにできることとしては、まずは「今の自分」を受け入れてもらい、たとえ結果がどうであったとしても前に踏み出す勇気を持ってもらうことです。アドラー心理学では、こうしたアプローチのことを「勇気づけ」と呼んでいます。

・なぜ短所ばかり見つめ、自分を好きにならないでおこうとしているのか?それはあなたが他者から嫌われ、対人関係のなかで傷つくことを過剰に怖れているからです。

・「悩みを消し去るには、宇宙のなかにただひとりで生きるしかない」。

 

すべての悩みは「対人関係の悩み」である

・われわれは孤独を感じるのにも、他者を必要とします。

・「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである。」

・個人だけで完結する悩み、いわゆる内面の悩みなどというものは存在しません。

 

言い訳としての劣等コンプレックス

・人は無力な存在としてこの世に生を受けます。そしてその無力な状態から脱したいと願う、普遍的な欲求を持っています。アドラーはこれを「優越性の追求」と呼びました。

・劣等感それ自体は、別に悪いものではない。劣等感は努力や成長を促すきっかけにもなりうるものです。

・劣等コンプレックスとは、自らの劣等感をある種の言い訳に使い始めた状態のことを指します。

・本来はなんの因果関係もないところに、あたかも重大な因果関係があるかのように自らを説明し納得させてしまう。アドラーはこれを「見かけの因果律」という言葉で説明されています。

 

人生は他者との競争ではない

・「優越性の追求」とは、自らの足を一歩前に踏み出す意思であって、他者よりも上を目指さんとする競争の意思ではありません。

・健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるものです。

・対人関係の軸に「競争」があると、人は対人関係の悩みから逃れられず、不幸から逃れることはできません。

 

直面する「人生のタスク」をどう乗り越えるか

・まず、行動面の目標は「自立すること」と「社会と調和して暮らせること」の2つ。そしてこの行動を支える心理面の目標が「わたしには能力がある」という意識、それから「人々は私の仲間である」という意識です。

・これらの目標は、アドラーのいう「人生のタスク」と向き合うことで達成できるわけです。

・ひとりの個人が、社会的な存在として生きていこうとするとき、直面せざるをえない対人関係。それが人生のタスクです。

 

「人生の嘘」から目を逸らすな

・世間はいつでも危険なところになりうるし、あらゆる他者を「敵」と見なすことも可能なのです。

・アドラーは、さまざまな口実を設けて人生のタスクを回避しようとすることを指して、「人生の嘘」と呼びました。

・アドラーは、人生のタスクや人生の嘘について、善悪で語ろうとしていません。いまわれわれが語るべきは、善悪でも道徳でもなく、“勇気”の問題です。

・アドラー心理学とは「勇気の心理学」であり、同時に「使用の心理学」である。

・目的論の立場に立って、自らの人生を、自らのライフスタイルを、自分の手で選ぶのです。われわれにはその力があります。

 

 

まとめ

生きている限り悩みは付き物ですよね。
アドラーは「すべての悩みは対人関係にある」と断言します。

悩みのない暮らしをしたいならば、宇宙の中でひとり孤独に暮らすしかないとまで言っています。

他の人と比べることによって、人生に言い訳をしていませんか?

人の生活をうらやんだり、人の能力が自分の能力より優れていると思い込んで妬んだり。。。

それらは、すべて原因論の立場に立って、本来ありもしない原因を勝手に自分の中でつくっているからです。
いわば、できない理由をつくることによって自分を守っているのです。

 

ここで重要なのは「人生のタスク」という言葉。

それは「自立すること」「社会と調和して暮らすこと」の二つに要約される。

これは、自分と向き合い、自分を認め、他者をも認める生き方。

 

わたしたちは人生における様々な場面で「人生のタスク」に直面します。

そしてそれにどう対処するのかの決定権はわたしたちが握っているのです。

 

劣等コンプレックスに苛まれ、悩みの多い人生を選ぶのか。

自分と向き合う勇気を絞って、目的論的立場に立って一歩でも前に進むのか。

 

それはあなたの選択次第なのです。
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トラウマを否定せよー嫌われる勇気


なぜ「人は変われる」なのか

・過去の原因にばかり目を向け、原因だけで物事を説明しようとすると、話はおのずと「決定論」に行き着きます。

・アドラー心理学では、過去の「原因」ではなく、いまの「目的」を考えます。

・「不安だから外に出られない」のではありません。順番は逆で「外に出たくないから、不安という感情をつくりだしている」と考える。

・われわれは原因論の住人であり続ける限り、一歩も前に進めません。

 

トラウマは、存在しない

・アドラー心理学では、トラウマを明確に否定します。

・われわれは自分の経験によるショック―いわゆるトラウマ―に苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。

自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである。

・われわれはみな、なにかしらの「目的」に沿って生きている。それが目的論です。

 

人は常に「変わらない」という決心をしている

・アドラー心理学ではライフスタイル(人生のあり方)は自ら選びとるものだと考えます。

・あなたはあなたのライフスタイルを、自ら選んだのです。

・あなたが変われないでいるのは、自らに対して「変わらない」という決心を下しているからなのです。

・つまり人は、いろいろと不満はあったとしても、「このままのわたし」でいることのほうが楽であり、安心なのです。

・アドラー心理学は、勇気の心理学です。あなたが不幸なのは、過去の環境のせいではありません。ましてや能力が足りないのでもない。

あなたには、ただ“勇気”が足りない。いうなれば「幸せになる勇気」が足りていないのです。

 

あなたの人生は「今、ここ」で決まる

・「もしも何々だったら」と可能性のなかに生きているうちは、変わることなどできません。

・あなたは「あなた」のまま、ただライフスタイルを選びなおせばいい。

・「これまでの人生に何があったとしても、今後の人生をどう生きるかについて何の影響もない」

 

 

まとめ

あなたは今この瞬間を自分らしく生きていますか?
それとも、過去や他者との関係にとらわれながら生きていますか?

 

過去にこんな辛い経験をした、だから今がこんな状態なんだ。

親がこんなんだから、自分はこうなってしまったんだ。

政治が悪いから、生活が苦しいんだ。

会社の方針が悪いから、業績が上がらないんだ。

 

こんな風に愚痴をこぼしている毎日を送っていませんか?
こういった「原因論」に立っている限りは、わたしたちは一切成長することはできません。

なぜなら、これはすべての原因を他のものに委ねていて、そうやって他者の責任に帰すことで自分が安心感を得ているからです。

どこかうまくいっていない現状に不満をいだきながらも、実はその状態が心地よいのかもしれません。

 

でも、われわれが現状を打破して、理想とする将来にするためは「目的論」的な立場に立たなければなりません。

「〜だからできない」ではなく「〜するためにどうすればいいのか」という立場に立って、動き出す勇気が必要なのです。

 

いたずらに他者に「人生の主導権」を譲ってはいけない。

自分で自分の人生のハンドルはしっかりと握り、自分がたどりつきたいゴールを目指す。
いわば悪路かもしれない「今」をひたすら走り続ける勇気を持つことが本当に大切なのです。

 

あなたも「幸せになる勇気」を持ってみませんか?
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