心が理由もなくザワザワする時
・生きていると苦しいことがある。いや、人生はむしろ苦しいことのほうが多い。人は歳をとるにつれ、喜びを増やすよりも、苦しみを減らすほうが幸せになれることに気づく。
・心のザワザワのほとんどは、他人との「比較」や、他人との「関係」や、他人からの「評価」を気にすることから生まれてくることに気づくことだ。
根本的な成熟のための心の流儀
・第一に「自分をありのままに受け入れる」ことだ。
・第二に「他者をありのままに受け入れる」ことだ。
・第三に「他者との比較や競争をやめる」ことだ。
・第四に「自分のミスを責めすぎない」ことだ。
・第五に「流れに無理して逆らわない」ことだ。
・第六に「相手にエールを送る」ことだ。
・第七に「体調を整える」ことだ。
・第八に「熱い風呂に浸かる」ことだ。
・第九に「何もしない時間をつくる」ことだ。
・第十に「愛を生み出す訓練をする」ことだ。
想定外のことが予想外の人生をもたらす
・厄介なのは、人間にとっての記憶というのは、「一番覚えていたいものを忘れ、一番忘れたいものを覚える」ということである。
・「記憶=出来事×解釈」でつくられているので「不可抗力である出来事」は変えられなくても「可抗力である解釈」を変えることができれば、過去の記憶は変えることができるようになる。
・現在の自分は「解釈という武器」を使いこなすことで、「記憶を自在に変換」することができるのだ。
・人生の成功は、調子がいいときにもたらされるものとは限らない。痛みや恐れがあるときこそ、「生への緊張感」は高まるものだ。苦難や苦境、試練や逆境など、そうした極限状態の中で、がむしゃらに頑張った末に、それまでの自分、すなわち、逆境と出会う前の自分では気づくことのできなかったような力が、自分の中から引き出されたりする。
不満を未来の原動力として活かす
・自分の中で不満を抱いたときに、過去のせいにしたりせず、まずその不満の存在を自分が認めてあげることである。
・不満を自分の未来へのリクエストとして、その不満を解消することが「未来の自分」のために「いまの自分」ができる最善のことだととらえて、行動に移すことだ。
劣等感から生まれる不幸を手放す
・足を引っ張る行為の背後には、様々な感情が見え隠れするが、それらの感情の共通部分には「嫉妬」が含まれることが多い。
・人間は概ね、劣等感を感じると不幸に陥り、優越感を感じると幸福を味わう。これも全て自分の幸福度を相対的に捉えることに起因する。
・自分の幸福観を「相対的なものから絶対的なものへ」と変えないといけない。そのためには比較を超えて、自分への信頼と、他社への愛と、命への感謝をもって生きることを決意する必要がある。
自分の心を、より高いところに導いていく
・あなたは今この瞬間を完全なるかたちで味わっているのか。我々が日々感じる不幸感の一番の原因は「心ここに在らず」という状態である。
・自分の価値をつくっているのは、自分の「心」である。心の純度を高め、心を感謝で満たし、心を愛で溢れさせると、心の成分は変わっていく。
他者からの評価で本物の幸せは手に入らない
・大切なのは、自分の信じる道を愚直に突き進んでいくこと。そうした「絶対的な自己信頼」だけが、自分を強くし、自分を自由にし、自分を幸せにすることができる。
・感情は大切な何かを我々に気づかせるための、神からの啓示のようなもの。よって、その感情を見て見ぬ振りをするのではなく、自分の人生をより本質的なものにするための素材として活かすことができれば、すべての感情を自分の存在価値を高めるための原材料として受けとるようになれるはずである。
・心より頭を優先すると、心は枯れていく。感情より論理を優先すると、感情は傷ついていく。頭と論理が優先されがちないまの社会で、頭と論理をコックピットから追い出し、もう一度、心と感情に操縦権を委ねることができるかどうか。それこそが人生を自分のものにするための大切な一歩である。
まとめ
幸福感を感じられない原因の多くは他者との比較にあると言われます。ボクも少なからず人と比較していました。
人と比較して優越感を感じる時に幸せを感じることは誰しもあることだと思います。でもこの考え方だと幸福感は非常にブレやすい。
比べる対象が変わり自分が劣等感を感じてしまうと突如として自分が不幸であるかのように感じてしまうからです。
人と比較していれば、幸せと不幸が交互に自分の中で交錯して精神衛生上すごく良くありません。
他者との関係、ここでいう相対的関係に一喜一憂するのではなく、自分自身に誰にも侵すことのできない絶対的な自分の軸を持つことで他者との比較をしなくなるのだと思います。
絶対的な自分軸を形成するためには、相当な自己信頼感と自己愛、そして他者への愛情が必要なのだと思います。そしてそのすべての根本にあるのは今ここにいることへの感謝なのだと思います。
不満を口にするのは圧倒的に感謝が足りていないから。不満を明日の自分への課題として自分を育てるための糧とすることで、不満は教材になるし感謝の対象にもなりうるのだと思います。
人と比べず、感謝して自分を信じる。
そんな生き方が幸福を感じさせてくれるのだと思います。