世の中が不平等なのは「自然なこと」
・仏教でいう「共生(ともいき)」の思想のいちばん根本にあるのは、「幸せを分かち合う」ということです。
競争社会でいう勝ち組、負け組、あるいは、一人勝ちといったことは、いっさいないのが「共生」の考え方なのです。
・それぞれが自分の能力を十分に発揮できるようなチャンスを与えられる、その中で誰もが自分にふさわしい幸せを感じる。
それが「共生」の考え方に立った、幸せを分かち合うということです。
自分一人の力など、たかが知れている
・一人ひとりが自分を磨き上げて、互いにそれを「和」していく。
個はいってみれば、ジグソーパズルのひとつのピースです。
・会社も、また、ひとつの「個」です。
それらを「和」することで、社会がよりよいものとなっていきます。
思いどおりにいかないから、人生は面白い
・「梅花雪和香(ばいかゆきにしてわしてかんばし)」という禅語があります。
梅花は、長く厳しい雪の寒さに耐えてこそ、美しく花開き、気高い香りを放つということです。
この梅のように、人も思いどおりにならない人生の中での精進あってこそ、人としての「輝き」や「深み」ができていくのです。
・思いどおりにならなくて、哀しさと向き合ったら、他人の哀しみにも心を寄せることができる。
人間的に成熟する、とはそういうことだと思います。
順境も、逆境も、そのままに受け止める
・自分否定することを、禅では厳に戒めています。
・「いまの自分」を否定することは、その大切な「いまの心」を蔑ろにすることです。
・「即今、当処、自己」というのは禅的な生き方の柱といってもいいのです。
その意味は、即今=たったいま、当処=自分がいるこの場所、自己=自分自身、ということです。
・よかろうが、悪かろうが、順境だろうが、逆境だろうが、そのときどきの正味の自分を見つめていく以外に、人生をまっとうする道はないのです。
「征服」しようとすれば、必ず「報復」がある
・組み伏せよう、征服しようとすれば、必ず、手痛いしっぺ返しを食らうことになります。
「自然」とはそういうものなのであり、それが道理なのです。
・「一翳在眼 空華乱墜(いちえいまなこにあれば くうげらんついす)」という禅語があります。
目にかすかな塵が入っただけで、幻の華が宙を舞い、乱れ堕ちてしまう、という意味です。
・少し歩を止めてみる。そこに佇んでみる。
すると、素通りしていた時には気づかなかった、確かな自然の営みが感じられるのではないでしょうか。
人生を限りなくシンプルに生きる
・たくさんの人が禅に共感を覚えるのは、あらゆるものを捨てていく、削ぎ落としていく、という禅の世界が、いまの生き方の指針となるからかもしれません。
・シンプルに生きるとは、まさしく、「本分をまっとうする」ことにあるのです。
・「花無心招蝶 蝶無心尋花(はなはむしんにしてちょうをまねき ちょうはむしんにしてはなをたずぬ)」という禅語があります。
蝶も、花も、それぞれに本分をまっとうすることだけにつとめながら、蝶は花から蜜をもらい、花は蝶に花粉を運んでもらっている、互いに結び合い、助け合っているのだ、という意味です。
まとめ
限りなくシンプルに生きる。
これが禅が僕たちに教えてくれる最良の生き方なのではないでしょうか?
僕たちが生まれてきた、そして生かされているという理由は何かを考えたことがありますか?
僕たち一人一人は本当にちっぽけな存在だけれどなんらかの役割を全うするために生きているんですよね。
仕事を通して社会の役に立つことだけでなく、子供を育てたり親孝行をするのも立派な役割。
僕たちが生を受けたことに感謝の気持ちを持ちながら、
自分ができること、与えられた役割を全うすること。
そのために、それを阻害する要因を手放す。
それこそ「シンプルな生き方」なのかもしれませんね。
仕事での悩みや、対人関係の悩みなど本当に取るに足らないことのように感じます。
人生における優先順位はどこにあるのかということを自問しながら、
自分の本分というものを今一度考え直すいい機会を持つのもいいかもしれません。