人生に“一人勝ち”なんて、ないー「競争からちょっと離れると、人生はうまくいく」


世の中が不平等なのは「自然なこと」

・仏教でいう「共生(ともいき)」の思想のいちばん根本にあるのは、「幸せを分かち合う」ということです。
競争社会でいう勝ち組、負け組、あるいは、一人勝ちといったことは、いっさいないのが「共生」の考え方なのです。

・それぞれが自分の能力を十分に発揮できるようなチャンスを与えられる、その中で誰もが自分にふさわしい幸せを感じる。
それが「共生」の考え方に立った、幸せを分かち合うということです。

 

自分一人の力など、たかが知れている

・一人ひとりが自分を磨き上げて、互いにそれを「和」していく。
個はいってみれば、ジグソーパズルのひとつのピースです。

・会社も、また、ひとつの「個」です。
それらを「和」することで、社会がよりよいものとなっていきます。

 

思いどおりにいかないから、人生は面白い

・「梅花雪和香(ばいかゆきにしてわしてかんばし)」という禅語があります。
梅花は、長く厳しい雪の寒さに耐えてこそ、美しく花開き、気高い香りを放つということです。
この梅のように、人も思いどおりにならない人生の中での精進あってこそ、人としての「輝き」や「深み」ができていくのです。

・思いどおりにならなくて、哀しさと向き合ったら、他人の哀しみにも心を寄せることができる。
人間的に成熟する、とはそういうことだと思います。

 

順境も、逆境も、そのままに受け止める

・自分否定することを、禅では厳に戒めています。

・「いまの自分」を否定することは、その大切な「いまの心」を蔑ろにすることです。

・「即今、当処、自己」というのは禅的な生き方の柱といってもいいのです。
その意味は、即今=たったいま、当処=自分がいるこの場所、自己=自分自身、ということです。

・よかろうが、悪かろうが、順境だろうが、逆境だろうが、そのときどきの正味の自分を見つめていく以外に、人生をまっとうする道はないのです。

 

「征服」しようとすれば、必ず「報復」がある

・組み伏せよう、征服しようとすれば、必ず、手痛いしっぺ返しを食らうことになります。
「自然」とはそういうものなのであり、それが道理なのです。

・「一翳在眼 空華乱墜(いちえいまなこにあれば くうげらんついす)」という禅語があります。
目にかすかな塵が入っただけで、幻の華が宙を舞い、乱れ堕ちてしまう、という意味です。

・少し歩を止めてみる。そこに佇んでみる。
すると、素通りしていた時には気づかなかった、確かな自然の営みが感じられるのではないでしょうか。

 

人生を限りなくシンプルに生きる

・たくさんの人が禅に共感を覚えるのは、あらゆるものを捨てていく、削ぎ落としていく、という禅の世界が、いまの生き方の指針となるからかもしれません。

・シンプルに生きるとは、まさしく、「本分をまっとうする」ことにあるのです。

・「花無心招蝶 蝶無心尋花(はなはむしんにしてちょうをまねき ちょうはむしんにしてはなをたずぬ)」という禅語があります。
蝶も、花も、それぞれに本分をまっとうすることだけにつとめながら、蝶は花から蜜をもらい、花は蝶に花粉を運んでもらっている、互いに結び合い、助け合っているのだ、という意味です。

 

まとめ

限りなくシンプルに生きる。

これが禅が僕たちに教えてくれる最良の生き方なのではないでしょうか?

 

僕たちが生まれてきた、そして生かされているという理由は何かを考えたことがありますか?

僕たち一人一人は本当にちっぽけな存在だけれどなんらかの役割を全うするために生きているんですよね。

仕事を通して社会の役に立つことだけでなく、子供を育てたり親孝行をするのも立派な役割。

 

僕たちが生を受けたことに感謝の気持ちを持ちながら、

自分ができること、与えられた役割を全うすること。

そのために、それを阻害する要因を手放す。

それこそ「シンプルな生き方」なのかもしれませんね。
仕事での悩みや、対人関係の悩みなど本当に取るに足らないことのように感じます。

人生における優先順位はどこにあるのかということを自問しながら、

自分の本分というものを今一度考え直すいい機会を持つのもいいかもしれません。

 

 

 

 

人間的に成長する、とはこういうこと−「競争からちょっと離れると、人生はうまくいく」


「争う」のではなく、「切磋琢磨」する

・禅に「随縁(ずいえん)という言葉があります。現在ついている仕事も、結んでいる人間関係も、すべて「縁」によって、「縁」に随って成り立っています。

・ぜひ、私たちは縁の中で生かされている、ということを感じて下さい。
すると、まわりの景色が変わってきます。

 

なにより、「成長する」ことに力点を置く

・誰にでも、勝つこともあれば、負けることもあるのです。それは現実として受け止め、しかし、そこには力点を置かない。
仲間として一緒に成長していくというところに力点を置くのです。

・禅に「明明百草頭」という言葉があります。「百草頭」とは、さまざまな草花のこと。
「明明」とは、それぞれの草花みんなの生命がはっきりしているさま。
みんなが自分の役割をはたすために能力を磨くことに一生懸命になればいいのです。

 

「約束」に大きいも小さいもない

・「心施」は、人のために心を配る、ということですが、約束を守ることは、心施の「原点」だ、という気がします。

・禅では「分別するな(選り好みするな、軽重を考えるな)」と考えます。
分別してはいけない最たるもの、それが約束です。

・その人に対して常に誠意をもって向き合っていく。
はじめは一滴の水のようなかすかな信頼かもしれません。
しかし、そのことの積み重ねによって、嵩が増します。

 

人間関係を改善するには「まず、あなたから」

・他人の長所も、短所も、はっきりいってしまえば「独りよがり」の判断なのです。

・最初に考えるのは、長所をいかに引き出すか、最大限に生かすか、ということです。

・一方短所については、二つに分けて考えていきます。
ひとつはデザインのしかたやさまざまな工夫によってカバーできる、いわゆる「改善要素」、もうひとつは根本的に変えることのできない「阻害要素」です。

・相手のことは簡単に変えられません。
自分の「対応」を変える方がずっと簡単です。
良いとか悪いとかではなく、そのほうが合理的なのです。

 

誰かと「横並び」の人生なんて、ありえない

・人生というその時間を、それぞれが自分の歩幅で歩んでいく。
そこに「平均」などはありません。

・禅語に「本来無一物(ほんらいむいちもつ)」というものがあります。
人は本来、一切のものを持たない、まったくの空、絶対的な無の存在である、ということです。

・平均をはるかに超えたとしても、平均に遠くおよばなくても、それが自分の歩幅であり、そこでしか、たしかな人生の足跡を刻むことはできないのです。

 

自分も周囲も明るくする、たった三つの言葉

・人とのかかわりを円滑に進め、なおかつ豊かなものにする。
その秘訣は「三つの言葉」にあるのではないでしょうか。
「おはよう」「ありがとう」「ごめんなさい」がその三語です。

・感謝はするほうの心もされるほうの心も、同時にあたたかいものにします。

・「愛語」という言葉があります。
相手を慈しんだ、心のこもった言葉、ということですが、禅では常にそういう言葉を使いなさいと教えています。

・禅に「一花開世界起(いっかひらいてせかいおこる)」という言葉があります。
たった一つの花で明るい世界になる、という意味です。
「おはよう」「ありがとう」「ごめんなさい」のたった一言が、あなたと、あなたの周囲の毎日を明るく、幸せなものにしてくれます。

 

 

まとめ

みんながやっているから。

あの人がこうだから。

人は何も意識していなければ他人に左右されてしまう生き方をしてしまうものです。

競争による勝ち負けというのはまさしく、他者を軸において自分が巻き込まれていく受動的なもの。

それによって失うものは少なくはない。
では競争を「勝ち負け」と捉えず、「切磋琢磨」と捉えればどうだろうか。

そうすれば、自らの成長を軸に置いた考え方になるので主体的なものへと概念が変わってくる。

他人がどうあれ、自分自身の成長を基軸に考えて生きていく。

そのことが心を豊かにし、人間関係をも豊かにしてくれるのではないでしょうか。

 

 

 

もっと“自分のペース”で行けばいいー競争からちょっと離れると、人生はうまくいく


「自分のペース」を知っている人は仕事ができる

・重要なのは「自分のペースをしっかりつかみ、それを守り抜く」ことです。

・道元禅師の言葉に「毫厘(ごうり)も差あれば、天地懸(はるか)に隔たり」という言葉があります。
一言でいえば、ちょっとの差もやがては天地ほど違ってくる、という意味。
コツコツと着実に進めるために、自分のペースを守るのが大事なのです。

 

「頑張る」のも、ほどほどにする

・とにかく努力をしなければならない、と自分を駆立てていく「努力主義」には落とし穴があるからやっかいです。

・「欠気一息(かんきいっそく)あるべし」。静かなところで、呼吸を整える。一息つくことが大切だ。

・「ひと息つく」ことは「視野を広げる」ことになります。そうすると全体を見通せるのです。

・「オーバーワーク」は自分のためにも周囲のためにもなりません。
闇雲な「努力主義」から一歩離れてみると、努力の「質」が高まるのです。

 

「自分を責める」前に、やるべきことがある

・「結果」はもう変えられないのですから、目を向けるべきは「プロセス」です。

・失敗したらきちんと「プロセス」に目を向けること。むしろ「結果」は放念してしまう。

・「一念忘機(いちねんきをぼうず)」という禅語があります。
心を働かせず、余計なはからいを一切捨てる、という意味です。

・まず「一念忘機」があって、それから「一念発起」をする。

 

「失敗を成功に転じる」禅的発想法

・失敗やミスを糊塗しようとして、すればするほど、傷口を広げることになるのが言い訳なのです。これは動かぬ原理です。

・マイナスをプラスに転じる。これは禅的な発想の基本です。

・「処々全真」という禅語があります。
失敗もミスも、それが今の自分にとってのすべての結果として、すべての真実として受け取る、という意味です。

 

負けから学べないものに成長なし

・「勝ってうれし涙、負けて悔し涙」。勝っても負けても、そこで涙を流せるくらいプロセスにおいて一生懸命にやることにこそ意味があるのだ。

・負けを活かすも殺すも、すべては「プロセス」にかかっています。

 

「手放す」ほど、大事なものが手に入る

・禅語でいう「身心脱落」。
ここでいう「脱落」とは「解脱」という意味で、一切合切を放下し、なんの執着もない、という「自由無碍」の境地を指します。

・道元禅師の言葉に、「放てば手にみてり」というものがあります。
欲や執着を手放したとき、本当に大切なものが手に入る、ということです。

・上手に「あきらめる」ことには、坐禅にも匹敵するような作用があるようです。

 

過度な競争心は、健康をもむしばむ

・競争からちょっと離れると、自分のペースを取り戻せます。

・感情は素直に表現して、なおかつ抑制がきいているのが美しい振る舞いといえるのではないでしょうか。

・「平常心是道(びょうじょうしんこれどう)」という禅語があります。
感情のままに自然に動いていいのです。しかし、いつまでもそこにとどまっていない、小さな振れ幅であるべき場所に戻ってくる。
それが「平常心」ということでしょう。

 

けっして、自分以外を“主体”にしてはいけない

・時代が移ろうと、社会が変わろうと、けっして変わることなく輝き続けるもの。
それが「道理」であり「真理」です。

・ふれあい、結ばれる絆の強さ...。それらは、思いやる心が生きる拠り所にするに足る真理であるからこそ、感じられるものではないでしょうか。

・「自灯明、法灯明(じとうみょう、ほうとうみょう)」。
常に「自分」というものを主体に置いて、時代を超えて変わらないものを拠り所として生きていれば、心はいつも安心です。

 

 

まとめ

気がつけば自分のペースが乱れている。
そんな状況ってよくありませんか?
自分のペースを守るということは人生において何かを成し遂げるために本当に大切なことだと思います。

それでは自分のペースが乱される時ってどんな時でしょうか。

競争にさらされる時。

自分自身の環境に変化が起こる時。

いわゆる空氣を読まなければならない時。

。。。

色々な状況があると思います。

そのような状況が長く続くと病んでしまいますよね。

上のような状況は、他人軸に自分が取り込まれてしまっている状態ですよね。

 

では、自分のペースを守るためにどうすればいいのか?

禅の言葉「自明灯、法明灯」に集約されているのではないのでしょうか。

とにかく「これは自分の人生なんだ」ということを自覚する。

そして人生を主体的に当事者意識を持って生きる決意をすることにあるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

競争から一歩はなれるという人生のコツ−「競争からちょっと離れると、人生はうまくいく」


徹底的に「プロセス」を大事にする禅の教え

・競争社会を生きている現実を変えることは誰にもできません。
しかし、その現実をどう受け止めるか、人生の価値観をどこに置くかを変えることは誰にでもできるのです。

・禅では「結果」を重んじません。目を向けるべきは「プロセス」です。
「結果」だけに目を向けている限り、競争原理の苦しみから抜け出すことはできません。

・競争相手を「他人」から「自分」にシフトしていくのが、禅的な「競争からちょっと離れるためのコツ」です。

・禅に「結果自然成(けっかじねんなる)」という言葉があります。結果がでないのは、努力が足りないわけではありません。
努力をしてもいい結果が出ないときもあります。
結果というのは「自然に」出てくるものであって、コントロールできるものではない。

「白黒つけない」という賢い生き方

・仏教の教えの根幹にあるのが「中道」という考え方です。

・「曖昧さ」というのは、じつは賢く生きる知恵なのです。

・禅に「両忘(りょうぼう)」という言葉があります。
これは「自分の言っていることが正しい」「あの人の言っていることは間違っている」と二者択一でものごとを捉えるのをやめなさい、という意味。
自分とは違うが、相手も受け入れていこう、というのが多様性を認める、ということです。

「オンリーワン」には競争は要らない

・競争にさらされるのは、みんなと同じ土俵に上がろうとするからです。

・禅に「工夫弁道」という言葉があります。
禅では日常の食事や掃除など一切の所作にも工夫がなされていなければなりません。

・「日々、工夫をすること」は「毎日をていねいに生きること」です。

・たくさんの工夫をして、「自分だけの土俵」を見つけて下さい。

評価を「少しばかり」上げることに右往左往しない

・どのくらいの人間か、どの程度の能力か、というときには、誰かと比べて上か下か、という「ものさし」が必ず持ち込まれています。
つまり、評価はいつも「相対的なもの」なのです。

・評価というのは、所詮、他人が勝手にする「レッテル貼り」です。

・禅に「善悪難定(ぜんあくさだめがたし)」という言葉があります。
これは、なにがいいとか、何が悪いとかは簡単に決められることではない、ということです。

・正しい「ものさし」は充実感、納得感です。
たとえ、周りからの評価としては成果が上がっていなくても、自分がその仕事に懸命に打ち込めたということなら、おおいに自分を評価してよし、なのです。

 

「こうあるべきだ」が、余計な苦しみを生む

・理想はあってもよし。ただし、それに「執着」してはいけません。

・禅に「無縄自縛」という言葉があります。
これは、ありもしない縄(こだわり)で自分を縛りつけてはいけない、という意味です。

・「うを(魚)水をゆくに、ゆけども水のきは(際)なし。
「いま」自分ができることに全力を傾ける。
明るく元気に「いま」を生きる。その結果は自然のまま、流れるまま。
そこには競争はありません。

 

勝っても勝っても必ず「上には上がいる」

・勝ちにおごると自分の立ち位置がわからなくなるのです。
世の中は広いものだ、という意識を持たなければなりません。

・禅語に「増上慢」というものがあります。
人より自分は優秀だ、有能だ、と、傲り高ぶり、謙虚な気持ちを失うことを戒める言葉です。

・勝ったときこそ謙虚でいる。これは、この競争社会を賢く、したたかに生き残る知恵でもあるのです。

 

「小さな勝ち」への執着が「大きな負け」を呼ぶ

・全ての仕事の成果は、人の協力、サポートの上に成り立っています。

・「多くの人に支えられて自分は仕事をしているのだ」、という「真理」をいつも心に留めておくことが大切です。

・感謝の気持ちを伝えられる人ー「おかげさま」と言える人には、周囲の強力やサポートが集ってきます。

 

まとめ

「結果がすべて」。特にビジネスの世界ではよく言われている言葉です。
でも、本当に結果がすべてなのでしょうか。

結果を出すためにはどんな手段を使ってもいいのでしょうか。
僕は違うと思います。
しかるべきプロセスを踏まない結果はすぐに毀れるのではないでしょうか。

「こうあるべきだ」という結果のみに執着する考え方は自分自身を苦しめる。
他者がつくり出す競争の世界に巻き込まれていくからだ。

ではどうすればいいのか。
自分自身のものさしを持ち、ゆるがない価値観を見出すこと。
そして、その価値観にもとづき瞬間瞬間の努力を怠らず充実させることが大切なのではないでしょうか。

そうすれば、自然と結果はついてくるのだと禅は教えてくれます。

 

 

 

 

「悩み方」を変えると人生は好転する−心配事の9割は起こらない


 「お金」について

・「人間の欲望というものは、たとえヒマラヤの山をすべて黄金に変えたところで、満たされることはない」。

・本来、人生とは自分のやりたいこと、得意なことを一生懸命にやって、社会に何らかの貢献をする。その結果としてなにがしかのお金が入ってくるというものでしょう。
われわれはお金のために生きているのではありません。生きる目的はあくまで前段にあって、お金ではないはずです。

・「少欲知足」という禅語があります。「足ることを知っている人は、たとえ地べたに寝るような生活をしていても、心は安らかで、幸せを感じている。しかし足ることを知らない者は、天上の宮殿のようなところに暮らしていても、満足ということを感じられない。足ることを知らない者は、どんなに裕福であっても、心はいかにも貧しい」ということです。

 

「恋愛」について

・恋愛で心得ておかなければならないのは「腹八分目」ということだと思います。「相手に完璧を求めないこと」。

・違っていて当たり前。お互いの理解の80%、つまり、腹八分目で「よし」とするのが恋愛をうまく進める、よいさじ加減といえるのではないでしょうか。

・つきあっていくうちに価値観の違いに気づいたら、一歩立ち止まるのがいいと思います。

 

「夫婦」について

・「露」という禅語があります。すべてがむき出しになっていて、どこにも隠すところがない、というのがその意味。

・愚痴は露わな裸の心がいわせる、相手への信頼がいわせる、包み隠すことのない思いの迸りなのです。

・心おきなく、思う存分、愚痴が言える「環境づくり」を始める。

 

「親子」について

・度をすぎた過干渉が、子供をスポイルする。その感は強くなるばかりです。

・「是は我が子、わが財宝と考えて、愚かな者は苦しむ。己さえ己のものでないのに、どうして子と財宝とが己のものであろうか」。

・過干渉の背景には子供を“わがもの”と思う心があるのでしょう。早々にその愚かな心を断ち切ったら、親子関係は清々しく、正しく、軽やかなものになります。

 

「死」について

・「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」。仏教者として一番大事なことは、生きるとはどういうことを明らかにし、さらに、死の意味も明らかにして、それをどう受け止めるかだ、ということです。

・「前後際断」という禅語があります。その一瞬一瞬が絶対であり、前も後ろもつながっていない、ということです。生も死もそれぞれに絶対なのです。生は死に至る前の姿ではなく、死は生の後の姿としてあるわけではない。

・生ききるとはその絶対の生をまっとうすること、ひたすら一生懸命に生きること。死は自分ではどうすることもできませんから、仏様にお任せしていればいい。

 

 

まとめ

生きている間は悩みは尽きないものですよね。

でも、その悩みが100%解決されるということはほとんどありません。

 

なぜ解決されないのか?

それはわたしたちが完璧主義を捨てきれないことが原因にあると感じます。

 

人間の欲求は果てしない。

何かが満たされれば、また新しい何かを欲する。

完璧な状況でありたいという欲求が悩みを引き起こしているのではないかと考えさせられます。

 

足るを知ること。現状に感謝して「こうでなければならない」という思い込みを捨てること。

それが、悩み方を変えて幸福感を手に入れる手段なのではないでしょうか。

 

 

 

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人間関係が驚くほど楽になるヒント−心配事の9割は起こらない


「縁」を大切にする

・「誰かと出会う」ということは、そこに「縁が働いている」ということです。仏教ではこの「縁」ということ、「因縁」ということを、非常に重要なことと考えます。

・あらゆるものが因縁によって生じている、この世に存在しているとするのが、仏教の根本的な考え方です。

・「我逢人」という禅語があります。すべての物事は「出会う」ことから始まる。だから人と会うことや、人と会う場、人と出会う姿を大切にしなさい、といった意味です。

 

いい「縁」を結ぶ

・「良縁」を結ぶためには、普段から準備を整えておくことが必要です。

・「歩歩是道場」という禅語があります。どこにいてもそこが「道場」であり、何としていてもそれが「修行」である、という意味です。

・「いま」「そこ」にある仕事は、あなたが一生懸命にやるべき仕事です。その姿勢でいたら、自ずから良縁がもたらされます。

 

「正論」を振りかざさない

・正論を言うとき、その人の目線は、必ず相手より高くなっています。そういう関係性の中では、言葉は通じ合わないし、信頼も生まれません。

・どんな考え方も、意見もあっていいのだ、と受け止めてこそ、相手に「度量」を感じさせるというものです。いったん受け止めた上で、淡々と持論を展開する。

・「相手の顔も立てる」というのは、自分の考え方を広げたり、深めたりするために有効なヒントを求めることであり、また人間関係を円滑にし、仕事で成果を出したり、自分自身を成長させたりするための知恵でもあるのです。

 

「また会いたい」と思わせる

・人付き合いには大事な原則があります。キーワードは「恕」です。恕の意味は「許すこと」「思いやること」です。

・あなたが普段感じている“いやなこと”はいくらでもあるはずです。それを人に対してしないと決めたら、いい変化がたくさん起こります。

・さらにもう一歩進んで、人からされて嬉しかったこと、ありがたかったこと、幸せに感じたことを、相手にも積極的にする。

・道元禅師の言葉に「同時」というものがあります。相手の立場に立って、喜びも、悲しみも、自分のものにするということですが、この教えもどこかで「恕」の精神とつながっているのではないでしょうか。

 

迷わず助けを求める

・「門を開けば福寿多し」という禅語があります。なにもかも包み隠さず、あからさまにしてしまえば、よいことがたくさんある、という意味です。

・苦しければ苦しいと、辛ければ辛いと、思いをあからさまにする。助けてほしいときは、一人で抱え込まずに助けを求めればいいのです。

 

損得で判断しない

・損得勘定を人間関係の「前提」にしてはいけない。

・悟りへの道は決して難しいものではない。しかし、たった一つ、ものごとを分別によって判断したり、選り好みすることだけはしてはいけない。

・「放下着」という禅語があります。なにもかも捨ててしまえ、捨てて、捨てて、捨てきってしまえ、と教えています。「損得」のモノサシを捨てれば、人生で大事なことがはっきりと見えてきます。

 

 

まとめ

人間関係に苦しむ。だれでも経験のあることではないでしょうか?

この人と仕事をするのはイヤだ、この人と話をするのもイヤだ。
そんな経験は誰しもあるはず。

 

そんな時にはふと「我逢人」という禅語を思い出そう。

何億人という人の中から偶然出会う人。

みんなそれぞれが奇跡的なご縁によって出会っているわけである。

あなたの思考がその人を必要として引き寄せているのかもしれません。

 

縁なんてそんなものです。

あんなに第一印象がイヤで、いじめのような待遇を受けたのに、ふと思い返すとその人に出会う前の自分よりもずっと強くなっている。

そんな経験はないですか?

そうすれば、当時がイヤだったとしても、今現在は感謝の気持ちを持てるのです。

イヤな人とも真剣に付き合えば、プラスとなる学ぶところはたくさんあるのです。

 

三世に生きる。今はあっという間に過去になり、未来がすぐに現在になる。
縁を大切にすれば、きっと今がイヤな人でも、将来思い出せばそれはそれでいい経験だったと思うこともできるはず。

 

だから、イヤだイヤだとクヨクヨ悩み、今の時間を死んだ時間にするのはもったいないこと。
将来のための種まきだと切り替えることが大切だと感じます。

 

 

そして「恕」の精神を持ち、自分がされてイヤだったことは決して相手にしないと誓うこと。

嬉しかったことは積極的に相手に施すこと。

この「恕」の精神こそが、内的な幸福感を得る「良好な人間関係の中で生きる」ためのキーワードではないでしょうか?

 

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競争から一歩離れると、うまくいく−心配事の9割は起こらない


「勝負」にこだわらない

・競争は自分を高めるモチベーションになります。しかし、同時にすべての価値観が「勝ち」「負け」だけになって、心の動揺や、一喜一憂にいつも振り回されることになります。

・「八風吹けども動ぜず」そのときどきに、それぞれの風が吹いているだけのこと。ですから、どの風も自然に受け止めたらいいのです。

・真摯に向き合うためには、目を外側の「誰か」に向けるのではなく、内側の「自分の心」に向けることです。

 

「いい言葉」を使う

・「愛語は愛心より起こる、愛心は慈心を種子とせり。愛語よく廻天の力あることを、学すべきなり」(道元禅師)

相手に慈しみの心を持って語る愛語は、天地をひっくり返すほどの力がある。

・目を転じて、相手のいいところ、長所を見つけて、そこを褒めるのです。

大事なのは、「とにかく相手を持ち上げておけばいい」という安易な褒め方はしないことです。

 

若い人に任せる

・「閑古錐」人間も年を重ねると、若い世代ほどの機動力も行動力もなくなります。新技術といったものも習得できないかもしれません。しかし、長年にわたって積み重ねてきた様々な経験の厚みがあります。

 

どんな境遇も受け入れる

・「逆境も良し、順境も良し、要はその与えられた境遇を素直に生き抜くことである。」(松下幸之助)

・素直に生きていたらよい境遇も悪い境遇もないのです。そこにはただ、一生懸命にいきる「場所」があるだけです。

・「日々是好日」境遇があなたの生き方を左右するのではありません。あなたの生き方によって境遇はどんなものにでもなるのです。

 

簡単に逃げない

・失敗したって、何も命までとられるわけではない。開き直るのではなく、そのくらいに腹をくくって構えていたらどうでしょう。

・「本来無一物」人間は本来、何一つ持たずに生まれてきたのだ、それが人間の本来の姿なのだから、執着するものなどどこにもない。

・「世の中に失敗というものはない。チャレンジしているうちは失敗はない。あきらめたときが失敗である。」(稲盛和夫)

 

「流れ」に任せる

・人の上に立つ人は本来「孤独」なものだといわれますが、「孤立」してしまってはいけません。

・ものごとには、すべて、力づくではどうにもならない「流れ」というものがあります。

・流れに任せるというのは、ただ流されるままになることとは違います。流れの方向を見定め、速さも読み切って、その上で、むやみに流れに逆らわず、みずから、すなわち“確固たる自分”として流れとともにゆく。任せるとはそういうことだと思います。

 

 

まとめ

他者との比較、競争の中でもがき苦しんでいませんか?

 

他者との競争の中で生まれるのは、劣等感や傲慢といったネガティブな感情。

これらの中に住み続けると、自分に成長はないし、不可抗力に抗うことによって疲弊してしまう。

 

 

他者との競争に巻き込まれそうになったら、一度立ち止まり自分と向き合う。

自分と向き合うことで、他者との競争で得るもの・失うものは無力化する。

 

そして、そこには確固たる自分の価値観に基づいたものだけが残る。

 

日々自分自身と向き合い、不可抗力に向き合うエネルギーを、過去の自分を乗り越える力に変えればいい。

 

「日々是好日」。

自分自身の主体的な心の持ち方が、自分のまわりの環境を変えてくれると信じて。

 

 

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「いま」出来ることだけに集中するー心配事の9割は起こらない


「あたりまえ」を見直す

・「あるべきものが、あるべきところに、あるべきように、ある」

・「いま」「ここ」にある「あたりまえ」のことにどれほど自分が支えられているか、あるいは、癒されたり、励まされたり、勇気づけられたりしているか。
そのことに気づいて下さい。すると、心は大きく変わります。

 

あせらない、あわてない

・「七生一坐」七回走ったら、一旦座ってみよ。ひたすら走る人生もそれはそれでかまわないと思いますが、禅語は、止まることは決して悪いことではない、むしろ大事なことなんですよ、と教えています。

・とくに躓いたとき、失敗した時は、止まることが大事です。

・躓いた失敗をいい体験にする、尊い教訓とするための条件は、きちんと失敗の原因を見極め、明らかにするということでしょう。「いま」やるべきことがあるのです。

 

自分の「ものさし」で生きる

・根底には常識というものを感じながら、ときにそれにこだわらないで自分独自の判断をする指針、物事を自分流に解釈するよりどころ。

「ものさし」とはそういうものだと思います。

・「冷暖自知」。器に入っている水は、見ているだけでは「冷たい」のか「暖かい」のかはわからない。

実際に自分で飲んでみる以外に、「冷暖」を知る手だてはないのだ。

・実践する中で経験を積み重ねて、体でわかる、つまり「体感」することで、自分にとって正しい判断ができて、もちろん、行動もついてくるのです。

知識だけでは「ものさし」を持つことはできないのです。

 

余計なことは調べない

・本来、仕事を考える上では「自分が何をしたいか」という視点が最も大切です。

・どんなにたくさんの情報を集めたって「したいこと」も「生き方」も見つけることは出来ません。やはり、自分の心の中に見つけるしかない。

・「心の置きどころ」を定めるということに力点を置いて、そのために必要と思われる情報だけを集め、選択肢を広げる。

 

置かれた場所で輝く

・「いま」就いている仕事に“本気”になるしかない。生きている「いま」を楽しむしかないのです。

・「大地黄金」光り輝く黄金の大地があるのではありません。そこにいるあなたが大地を黄金にするのです。

自分には合っていないように感じても、やりたいことと違っていても、「いま」「そこ」でついている仕事が「あなたの仕事」なのです。

・いましかない、ここしかない、と腹を据えたら、仕事に本気になるための、生きていることを楽しむための「工夫」というものが生まれてきます。

 

感情に逆らわない

・浮かぶに任せ、消えるに任せる。それが「無心」に近い心の有り様です。

・もちろん、喜怒哀楽という感情は、人間らしさそのものですから、わき上がってくるのに任せておけばいいのですが、それをなんとかしようとするから、跳ね返してやろうとするから、いつまでもそこから離れられなくなるのです。

・その時々の思いや感情に「動かされない」でいようとする必要はありません。浮かぶに任せ、消えるに任せ、です。

 

 

 

まとめ

あなたは時々現状に不安や不満を感じたりすることはないですか?

 

不安や不満は自分が満足している状態が「あたりまえ」だと思っているから。

一度「あたりまえ」を見直してみませんか?

 

今あなたが抗えない環境にいるとしたら、無理に抗わず自分が影響できる部分に集中すればいい。

そうすれば、心の持ち方も変わり今の状況に感謝すら沸いてくるかもしれません。

 

突っ走っていると、周りが見えなくなる。
混乱したら「七生一坐」という言葉を思い出し、一度立ち止まってみよう。

そしたら、次の一歩が前向きに踏み出せるかもしれない。

 

「浮かぶに任せ、消えるに任せる」。

あなたが今辛い状況にあったとしても、無理に感情を押さえ込まないようにしよう。
きっと時間が癒してくれるに違いない。

 

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禅的、不安と悩みの遠ざけ方−心配事の9割は起こらない


妄想しないー「莫妄想」

・心を縛るもの、心に住み着いて離れないものは、すべて「妄想」です。

・妄想を生み出している最も根源的なものはなにか。それは、ものごとを「対立的」に捉える考え方です。

・禅はどんなものも、どんな人も、他とは比べようのない「絶対」の存在と教えます。

 

「いま」に集中する

・「一息に生きる」。ひと呼吸するその瞬間、瞬間を一生懸命に、丁寧に生きなさい、ということです。

・「三世に生きる」。「過去」「現在」「未来」人はその三世のつながりの中で生きていますが、現在を生きている時、過去はすでに死に、その現在もたちまち過去となって未来に生まれ、それが現在となるのです。

・過去にいつまでもこだわっていることは、そのまま、今の生き方に対する自信のなさを表明していることです。

・私たちには「いま」をどう生きるかしかない。

 

「あるがまま」でいる

・世の中には自分ではどうにもならないことがある。

・命そのものさえ自分の手が及ばないもの、どうにもならないもので成り立っている。

・自分ではどうにもならないことは、そのまま、あるがままに受け取っておけばいいのです。

・心を向けるべきは、「どうにもならないこと」ではなく「どうにかなる」ことのほうです。

 

「色眼鏡」を外す

・心にのしかかる不安や悩み、心配事の多くは、人間関係に絡んだものといっていいかもしれません。

・関係のもつれのもとをたどると、きっかけはほとんどが「些細なこと」なのです。

・「情報」だけで、あるいは、相手の一面だけを見て抱いた嫌な感情、否定的な思いをもって、全人間性を決めつけてしまったら、その人を見誤ることは必定です。

・「一切衆生、悉く仏性有り」。あらゆるものには、仏性という美しい心が備わっている、という意味です。

・色眼鏡を外した透徹したまなざしなら、ふとした瞬間に相手が垣間見せる仏性(真の姿)を見逃すことはありません。

・人に対する好ましくない感情やネガティブな評価の背景には、実は色眼鏡を欠けた自分がいるのだということを知ってください。それを外したら、見え方はがらりと変わったものになるでしょう。

 

「いい加減」を心得る

・仕事をするうえで自分の「力量」を知っておくということは極めて大切です。

・「いい加減」を知る人は、仕事はもちろん、すべてのものごとを堅実にこなします。
これが信頼につながるのです。

・「できない自分」に、いたずらにぶつからないようにする。
そうすれば、いたずらに心をかき乱されたり、自信を失ったりすることがなく、いつも安定した心でいられるのです。

・「いい加減」を知ることは大事です。しかし、その先の「限界値」を見据えておくことも、同じように大切です。

 

 

まとめ

漠然とした将来への不安を持つことはありませんか?

それは過去の自分を軸に捉えて、将来のことを考えてしまうからではないでしょうか?

一度不安に駆られてしまうと、行動はネガティブになり、すべてがうまく回らなくなるように感じます。

 

「三世に生きる」とてもいいことばですよね。

過去が現在にうつるときに、その過去は死に絶えて現在がいきてくる。
過去を引っ張って考えていると、それは現在=未来にまで影響を及ぼしてくる。

つまりは、将来の不安を払拭するために過去を捨てて、今をどれだけ精一杯生きられるのかということに尽きると思います。

 

自分の力量を知り、未熟であることを謙虚に受け止める。

そして、将来に希望を抱いて、今一瞬一瞬をもがきながら懸命に努力すれば、きっと将来は明るいはずですよね。

 

 

 

 

 

 

 

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