人生の指揮権を取り戻す-「絶望」に声を与えよう


時間という資源の使い途を検証する

・生の有限性を認識するということは、死を意識することでもある。

・日常の中で自分の死を常に意識することにより、瞬間に対する緊張感は醸成されていく。

・本質的なことに取りかかったとしても、それに集中力を持たずに向き合っている時間が長ければ、それもまたムダに命を削っていることになる。

・大切なことと大切でないことに対し、時間の配分という意味で徹底的に差別化することにより、純度の高い自分の人生はつくられていく。そのためにも、決めて断つ、という意味での「決断」が求められる。

 

未来を生きる人には後悔がない

・過去の、自分が想定できなかった出来事があった時に、大抵の人は後悔に走りがちだが、未来を見据える人は、その出来事を生きる糧にしていく。

・幸福も不幸も原材料は同じ。重要なのは、その原材料を自分が「どのように料理するか」である。自分の腕次第で、苦いと思っていた食材が、人生のいいスパイスになったりすることもある。

 

いまを生きる。それに集中するだけで十分

・あなたを大切に思っていてくれる人は、あなたと一定の距離を保ちながら見守ってくれる人たちである。喩えて言うなら「線路」のような人。そういう人たちは、決してあなたの内面に踏み込んだりはしない。そっと寄り添うだけ。

・あなたの人生の指揮権はあなた自身にあり、その指揮権を手放すに値する瞬間は、いま手にしているこの人生の中にはない。

・あなたのことを大切に思う人たちのために生きるとは、あなたがあなた自身を大切にしながら、あなたの人生を生きることを意味する。

 

ないがしろにしている自分を意識する

・「アーティストのように生きる」ということは、時代と世界に対して、自分が「対峙する」という感覚で生きることを意味する。

・本来人間は誰もがアーティストである。そういう意味で世界の70億人の真実と自分の真実が対立したときは、自分の真実を優先するくらいの「絶対的な自己信頼」を持つことが必要である。

 

期待という呪縛から抜け出そう

・考えられるあらゆることに対して、あなたは他者から干渉される運命にある。これはいわゆる「期待」と呼ばれるものであるが、その期待によって、人は成長や喜びを感じることもあるが、その期待によって、途轍もない苦しみや抑圧感を感じることもある。

・「人生の指揮権を取り戻す」のだ。そのためにも、日々の選択における主体性を取り戻すことが必要だ。つまり、自分の人生に関わる選択の最終判断は「自分」が下すこと。

・他者が思う通りの人生でなく、自分自身が願う通りの人生を、自分自身が切り拓いて行く人生を生きることを、決意するのだ。

・自分が定めた目的地に向け、自分が選んだ軌道を突き進み、自分だけの人生の軌跡を残していく。そのスタートラインが今日も我々の前には用意されている。

 

シンプルな真実に気づく

・私の人生をほかの誰かが代わりに生きることはできない。このシンプルで普遍なる真実に気づいた瞬間から、人生が私に投げかけてくるすべては、試練や逆境や苦難も含め、「私のもの」として受け止めることができる。

・過去の記憶でさえ、固執さえしなければ、いくらでも変われるし、今日という日は自由自在に生まれ変わる可能性に満ちた一日になる。

・群れの中にいて、自分の心の声よりも他者の眼差しを意識し、常識という信じるに値しないものに縛られ、存在の自由よりも生活の安定を追い求め、世界への価値創造よりも自分を高く買ってくれる人を探し続ける人生を生きるために、この世に生まれてきたわけではないはずだ。

・心が喜ぶ目的を持ち、自分を成長させてくれる目標を持ち、自分のリズムで歩くことこそが大事だ。

 

まとめ

警察官の家庭に育ったボクは子供の頃どこか親の期待に応えるために生きていたように思います。親の望むことに対してアンテナを張り、褒められることを常に望んでいたように思います。

そんな生き方は30歳を越えても続き、人の期待に応えようとする自分が応えられない時にものすごく劣等感や自己嫌悪感を抱いていました。

ある時を境に主体的に生きるということを学びました。

それは奇しくもボクがずっと期待に応えなければと思っていた母の死がきっかけだったのかもしれません。大切な人だったけど自分を縛っていたのはやはり母の期待だったのだと思います。

ボクはそれまでの生き方を否定するつもりはないし後悔するつもりもありません。
ただ、やはり他者の期待というものを手放し、自分で選ぶ生き方はものすごく責任を感じることです。全ての選択は自己責任で他責にはできません。

けれども自己肯定感を高め毎日をイキイキと生きるためには、自ら主体的に自分の軸を定めて自分の人生を選んでいくことが本当に大切なのだと思います。

それは何歳からでも決して遅くはないのだと思います。

自分を信頼すると決める-「絶望」に声を与えよう


なぜ自分は愛されないのか

・もし本当に相手のことを、心から愛しているのであれば、相手の幸せを自分の幸せのように感じられるはずである。

・人生では「与えてほしいものを与える」ことができる者のみが、本物の愛や幸せを手にすることができる。

・人間は最初に愛されることを経験し、のちに愛することを学んでいく。

・愛を一番与えた人が、愛を一番受けとる人になるのである。

 

 

自分の中にある泉を探し当てる

・愛は与えると増えるが、与えないと枯渇してしまう。日常の中で愛を与える機会を探してみるといい。

・とにかく「愛を与えることを人生の最優先事項」にして生きてくことだ。そうすれば、あなたは愛と幸せで満ち溢れるようになる。

・「愛の人」になることだ。「愛の人生」を生きることだ。

 

 

境界線は、なぜ生まれるのか

・海の深いところは平穏で穏やかである。荒れるのはいつだって海の表面である。表面は常に動揺する。変化に敏感だ。

・境界線を持たない人には、衝突がない。境界線・区別・分類は、対立の根源的な理由である。

・個別の才を超えて、高次元での類似性を見出せる人は、寛大で調和的な人間であり、本質的な人間である。

 

 

自分の視点を、どこに置くか

・表面は揺れ動いても、あなたの根幹となるもの、あなたの中核となるもの、あなたの本質となるものは、揺れ動くことのない確固たるものでなければならない。

・結局のところそれは、

あなたは何を信じているのかという「信念」
あなたは何を大切に考えているのかという「価値観」
あなたはあなたの命を何のためにどう使いたいかという「使命」

という3つによって形成されるもので、それらが合わさって、揺れ動くことのない芯となり、根っことなる。

・視点はフレームであり、テレビカメラのように、現実の中でどこを切り取るか、ということを決める。その切り取り方で、あなたに見える現実は変わっていく。

 

 

失う前に、その価値に気づこう

・死を意識することで、生が苦しくなることもあるが、死を意識することで生をより価値あるものにすることもできる。

・死に対するある種の割り切りを持つことで、日常の幸せを増やすことができる。終わりを意識することで、瞬間に対する感謝と緊張感が生まれてくる。

 

愛の経験が、生きるエネルギーになる

・花が咲いては散るように、人も生まれては死んでいく。それでもそこに残るものがあるとしたら、それは「愛」ではないだろうか。愛することの経験は、人に「生きるエネルギー」を与える。

・愛する人にはそう感じた時にためらうことなく、それを言葉や行動にして伝えることが大切である。いつどんな時に別れが訪れるか、誰にもわからないのだから。

 

 

まとめ

愛というものの偉大さを感じます。

愛というとどことなく尊大で近寄りがたくまた語るには照れ臭いというイメージがありました。それはどこかボクの中で愛=恋愛というイメージが先行していたからなのかもしれません。

愛一つとっても、親子愛、母子愛、兄弟愛、師弟愛、そしてもっと大きなところには人間愛という言葉があります。

最も幸せなことは愛し愛されることだとボクは思います。

そのためにやはり自分から人に愛を与えることを常日頃から意識していきたいと思っています。

それは小さなことでもいいから人に対して貢献するということなのだと思います。愛を与えると必ず感謝という形で愛は帰ってくるのだということを実感する今日この頃です。

愛の言葉というと照れ臭いですが、日頃からの貢献と「ありがとう」が愛なのではないかなと感じます。

比較の罠から抜け出す−絶望に声を与えよう


心が理由もなくザワザワする時

・生きていると苦しいことがある。いや、人生はむしろ苦しいことのほうが多い。人は歳をとるにつれ、喜びを増やすよりも、苦しみを減らすほうが幸せになれることに気づく。

・心のザワザワのほとんどは、他人との「比較」や、他人との「関係」や、他人からの「評価」を気にすることから生まれてくることに気づくことだ。

 

根本的な成熟のための心の流儀

・第一に「自分をありのままに受け入れる」ことだ。

・第二に「他者をありのままに受け入れる」ことだ。

・第三に「他者との比較や競争をやめる」ことだ。

・第四に「自分のミスを責めすぎない」ことだ。

・第五に「流れに無理して逆らわない」ことだ。

・第六に「相手にエールを送る」ことだ。

・第七に「体調を整える」ことだ。

・第八に「熱い風呂に浸かる」ことだ。

・第九に「何もしない時間をつくる」ことだ。

・第十に「愛を生み出す訓練をする」ことだ。

 

想定外のことが予想外の人生をもたらす

・厄介なのは、人間にとっての記憶というのは、「一番覚えていたいものを忘れ、一番忘れたいものを覚える」ということである。

・「記憶=出来事×解釈」でつくられているので「不可抗力である出来事」は変えられなくても「可抗力である解釈」を変えることができれば、過去の記憶は変えることができるようになる。

・現在の自分は「解釈という武器」を使いこなすことで、「記憶を自在に変換」することができるのだ。

・人生の成功は、調子がいいときにもたらされるものとは限らない。痛みや恐れがあるときこそ、「生への緊張感」は高まるものだ。苦難や苦境、試練や逆境など、そうした極限状態の中で、がむしゃらに頑張った末に、それまでの自分、すなわち、逆境と出会う前の自分では気づくことのできなかったような力が、自分の中から引き出されたりする。

 

不満を未来の原動力として活かす

・自分の中で不満を抱いたときに、過去のせいにしたりせず、まずその不満の存在を自分が認めてあげることである。

・不満を自分の未来へのリクエストとして、その不満を解消することが「未来の自分」のために「いまの自分」ができる最善のことだととらえて、行動に移すことだ。

 

劣等感から生まれる不幸を手放す

・足を引っ張る行為の背後には、様々な感情が見え隠れするが、それらの感情の共通部分には「嫉妬」が含まれることが多い。

・人間は概ね、劣等感を感じると不幸に陥り、優越感を感じると幸福を味わう。これも全て自分の幸福度を相対的に捉えることに起因する。

・自分の幸福観を「相対的なものから絶対的なものへ」と変えないといけない。そのためには比較を超えて、自分への信頼と、他社への愛と、命への感謝をもって生きることを決意する必要がある。

 

自分の心を、より高いところに導いていく

・あなたは今この瞬間を完全なるかたちで味わっているのか。我々が日々感じる不幸感の一番の原因は「心ここに在らず」という状態である。

・自分の価値をつくっているのは、自分の「心」である。心の純度を高め、心を感謝で満たし、心を愛で溢れさせると、心の成分は変わっていく。

 

他者からの評価で本物の幸せは手に入らない

・大切なのは、自分の信じる道を愚直に突き進んでいくこと。そうした「絶対的な自己信頼」だけが、自分を強くし、自分を自由にし、自分を幸せにすることができる。

・感情は大切な何かを我々に気づかせるための、神からの啓示のようなもの。よって、その感情を見て見ぬ振りをするのではなく、自分の人生をより本質的なものにするための素材として活かすことができれば、すべての感情を自分の存在価値を高めるための原材料として受けとるようになれるはずである。

・心より頭を優先すると、心は枯れていく。感情より論理を優先すると、感情は傷ついていく。頭と論理が優先されがちないまの社会で、頭と論理をコックピットから追い出し、もう一度、心と感情に操縦権を委ねることができるかどうか。それこそが人生を自分のものにするための大切な一歩である。

 

まとめ

幸福感を感じられない原因の多くは他者との比較にあると言われます。ボクも少なからず人と比較していました。

人と比較して優越感を感じる時に幸せを感じることは誰しもあることだと思います。でもこの考え方だと幸福感は非常にブレやすい。
比べる対象が変わり自分が劣等感を感じてしまうと突如として自分が不幸であるかのように感じてしまうからです。

人と比較していれば、幸せと不幸が交互に自分の中で交錯して精神衛生上すごく良くありません。

 

他者との関係、ここでいう相対的関係に一喜一憂するのではなく、自分自身に誰にも侵すことのできない絶対的な自分の軸を持つことで他者との比較をしなくなるのだと思います。

絶対的な自分軸を形成するためには、相当な自己信頼感と自己愛、そして他者への愛情が必要なのだと思います。そしてそのすべての根本にあるのは今ここにいることへの感謝なのだと思います。

不満を口にするのは圧倒的に感謝が足りていないから。不満を明日の自分への課題として自分を育てるための糧とすることで、不満は教材になるし感謝の対象にもなりうるのだと思います。

 

人と比べず、感謝して自分を信じる。

そんな生き方が幸福を感じさせてくれるのだと思います。

 

 

影の部分に光を与える-「絶望」に声を与えよう


感情の存在を認めるということ

・まず、ネガティブな感情に「意識的になる」ことだ。なぜなら、ネガティブな状態というのは、自分では統制の利かない無意識領域の中で育つので、気づいてあげないと知らぬうちにどんどん大きくなり、最後は統制不可なものになってしまう。

・「感情に気づく」ということは「感情の存在を認める」ということだ。

・ネガティブな感情は、とても大きなエネルギーを持つので、それをそのまま他者にぶつけてしまうと、取り返しのつかない修復不可能な関係に陥る危険性さえある。

 

人間関係がうまくいかないのは、なぜか

・自分や他者の感情への理解としつけ能力の度合い次第で、その人の人間関係における力量が決まってくる。そしてその能力が高い人は、何かを他者のせいにしたりしない。

・二人のあいだでの信頼の貯金、それがパートナーであれば愛の貯金は、自分と相手の「感情との向き合い方」で決まる、ということを理解することが大切である。

 

感情を表出することで、心は浄化されていく

・抑圧された感情というのは、いずれ治すことのできない「毒」になっていく。それが病気の元となるのだが、そうやって病気にならないようにするためにも、あなたはあなたの感情を溜め込みすぎず、定期的に解放させてあげる必要がある。

・ネガティブな感情を外に吐き出す際には、言葉の力を借りるとよい。感情を言葉にする方法には、大きく二つが考えられる。一つは声に出すこと。もう一つは文章にすることだ。

 

感情を眺めて、その正体をつかむ

・「感情を眺める」ということ。それは感情と向き合う際に、とても大切な視点である。自分の中にあるうちは、それを眺めることはできない。自分の外に出したときにはじめて、それを眺めることができるようになる。

・あらゆる感情を心から愛しつつも、感情の奴隷にならないよう注意する。目指すべき内面の状態は、凪のような平静さが保たれた落ち着きのある心である。

・真の成長は、外面の拡張ではなく、「内面の深化」にある。

 

エネルギーの方向を変えていこう

・変換の鍵は、「思考」である。つまり、ネガティブな感情に対して、真逆のポジティブな「思考」を介在させることで、ネガティブな感情は、ポジティブなエネルギーに変わっていく。

・存在の意義、受容の精神、愛の贈与によって、感情は「解放の道」を歩くことになる。自分の感情を解放できたら、次は他者の感情の解放を助けてあげるといい。

 

まとめ

ネガティブな感情に対していちばんやってはいけないことは心のどこか奥底に追いやることなのだと思います。
感情を押しやってしまうことで一時的にはネガティブな感情から解放されたような気になるけれども心の奥底で溜まりたまってくるものです。

だからネガティブな感情を解放する必要があるということです。でも勘違いしがちなのは感情を解放するということと感情的になるということを混同することです。

感情的になって自分のネガティブな感情を外に出したり他者にぶつけたりしても一時的にはスッキリしたとしても他者との人間関係がギクシャクしたり自分自身がそれによって後悔する結果しか生まなくなるのだと思います。

感情を解放するということはネガティブな感情と一旦しっかりと向き合ってそれを自分の中に落とし込んだ上で言葉にすればいいということです。

感情的になって人に言葉をぶつけたりSNSに愚痴を感情のままに書き込むよりも自分が悩んだ過程やその結果得た経験をブログにしたりSNSで表現することで自分自身の本質的なポジティブは得られるんだと思います。

それによって感情豊かになり人間らしさも伝わり対人関係は良い方向に向かうのではないでしょうか。

 

感情の扉を開く~「絶望」に声を与えよう。


全ての感情は自分の子ども

・人間は自分の中にある、他者には見せられないネガティブな部分まで理解してくれる相手と出会った時に、その相手に対する本当の意味での人間的な信頼を寄せることができるようになる。

・感情というのは、向き合えば自分の味方になるが、向き合わなければ自分の敵になっていく性質を持つ。

・感じる感情自体をあなたがコントロールすることはできないが、その感情がもたらすあなたの人生への影響については、あなたは完全にコントロールすることができるということである。

 

ネガティヴな感情に居場所を与えよう

・ネガティブな感情は除去すべき対象ではなく、その存在をありのまま認め、愛を与えるべき対象である。

・泣きたい時も、人前では絶対泣けない人たち。一人の時しかわんわん泣けない人たち。そういう人たちが一番、心優しい人たちであり、そういう人たちこそが一番、救われるべき人たちである。

 

意識的に感情と向き合う

・いまの「自分の状況」よりも、「自分の感情」を少しでもわかってくれている人が一人でもいると、人は救われた気持ちになる。

・ネガティブな感情に居場所を与えるということには、多義的な側面がある。それは時間を与えることであり、関心を与えることであり、それは愛情を与えることであり、それは言葉を与えることである。

・ネガティヴな感情の終点になり、ポジティブな感情の起点になる。目指すはこの境地である。

 

感情はエネルギーである

・ある感情が生まれたということは、自分の中で「エネルギー」が発生したということである。そこで重要なのは、そのエネルギーをどの方向で、どの用途で、使いこなすか、ということであり、その感情がもたらす自分の人生への結果というのは、劇的に変わっていくのである。

・自分の中にあるネガティブな感情に気づいたら、まずそれをたっぷりと味わってあげるように心がけることだ。感情を吟味することで、ネガティブな

感情は、自分の存在が深く認められた気になる。いつも嫌われがちな自分に対して、関心を寄せてくれたあなたに対して、感謝と信頼を抱くようになる。

 

感情の本当の姿を理解する

・自分の生存を脅かすものに対して、我々はネガティブな感情を抱く。

・あらゆる感情を大事にしながらも、感情的になることについては、慎重になることが、とても大切であるということだ。「感情を感じる」のと「感情的になる」ことは、大きく異なるものだからだ。

 

感情とわかり合える関係を築く

・泣きやまない子どもと向き合うのと同じように、自分の感情にも向き合うことだ。

・すべての感情は神聖なもので、どんな感情にもそれが生まれた理由があり、その理由をちゃんと考えてあげることによって、なぜその感情が生まれたか、ということがわかってくる。

 

ネガティヴな感情に落ち込む必要はない

・ネガティブな感情は吐き出すことが大事である。それを吐き出さずに溜め込むと、楽になるまでかなりの時間と苦しみを覚悟しなければならない。

・ネガティブな感情が現れる場面が増えていくことは、あなたの中に「愛が欠如している」ということのサインとして受けとるようにするとよい。愛と感謝があるれる人は、ネガティブな感情を抱くことが少ない。

 

まとめ

ネガティブな感情が現れたときにはそのネガティブな感情から避けたり、無理やりにポジティブな感情を持ち出してネガティブな感情を追いやったりしていませんか?

ボクは若い頃はポジティブであるべきだという観念に支配されていてネガティブな自分の感情と向き合うことができませんでした。ネガティブな感情と向き合わず自分はポジティブな人間だと思い込むことによって克服してきました。

けど結局本当にネガティブ状況に陥ったときにその状態に耐えることができないほど心を痛めました。
ネガティブな感情というのは自分が虐げられれば虐げられるほどに暴れて自分の存在感を高めてくるものだとその時に痛感したことを覚えています。

ある時に自分の中にネガティブな感情が出てきた時にネガティブな感情と向き合ってとことんまで落ち込んだらなぜかその感情がいつの間にか立ち去っていました。
苦しい状況に追い込まれネガティブな感情が発生するたびに自分のネガティブな感情と向き合うとネガティブ感情は大人しくなるということを実感しました。

今から思えばそれがネガティブ感情に居場所を与えるということなんだと感じます。とことんまでネガティブ感情と向き合うことで本物のポジティブな人間に成長していけるのかなとボクは思います。

 

 

選択力ー「断言しよう。人生は変えられるのだ。」


人は選択を通じて、人生をいつでも軌道修正できる

・今の自分は、過去の自分の選択にもとづいて生まれた結果である。
そして未来の自分は、これから自分が下す選択の積み重ねによって生まれる。

・われわれが選択するのは、未来が不確実だからだ。だから選択が求められる。

・不安があるというのは「未来に可能性があるのだ」という裏返しだと気づいたとき、
選択において感じる不安は、自分の中で喜びに変わる。

 

結果ではなく、最善を尽くすことを目標にする

・選択をするとき、一つ心がけておくといい。
それは、あらゆる選択の中で、最悪の状況を想定しておくことだ。

・ポジティブな状況でいたいなら、ネガティブな状況をあらかじめしっかり考えておくということである。

・選択の前段階においては、徹底的な悲観主義になっておくことをお勧めする。

・大事なことは、最善を尽くすこと、そして、最終的な結果については、あまり気にしないことである。

・目標を達成するために、過程を犠牲にしないことだ。明日の夢を実現するために、今日を犠牲にしない。
そんな風に過程を楽しむ方法の一つが、目標の内面化なのである。

 

回り道に見えたことが最短距離の場合もある

・人生においては問題を出す側も、解く側も、採点をする側も自分自身である、ということを忘れてはならない。

・愚かな一貫性より、懸命な柔軟性が求められる場面が、人生にはたくさんある。
われわれは自由に人生を選択できるし、人生を自由に自分の意思で変えていくことができるのだ。

 

人生の醍醐味は正解を自分で決めることにある

・正解は決まっているわけではなく、自分自身が正解にしていくのである。

・正解は、自分で決める。人生を生きる意味はまさにここにある。

・ここであえて自らに問うてほしい。
自分の人生を、まわりが決めた正解なるものにあわせ続けることで一生を終えてしまって良いのかどうか、と。

 

自分の信念を貫いた非常識は美しい

・誰がなんと言おうが、自分の信じるこの道を自分で納得した正しい道だと考える。

・100人いて、99人が左に行っても、自分は右が正しいと思ったら、自分を信用して右に行く。

・世の中から愚かだと言われても、自分にとっては正しい道を進む。

 

選択とはその他をすべて捨てること

・選択とは、ゼロから何かを創り出していくような創造的な行為ではなく、
捨てたり、やめたり、断ったり、削ったりという、極めて禁欲的な行為である。

・常に自分の人生の中で大切なことは何かを問い続け、それを先送りしない人生を生きることだ。
そういう人生であれば、人生は一度で十分。

・自分の人生は自分で守り抜くという意識と、絶対不可侵の人生を確立するという決意が、
われわれの人生に夢と希望と自由を与えてくれる。

 

 

まとめ

今の状況は過去の自分が下した選択の結果。

もしも、今の状況に不満を抱き愚痴をこぼすような毎日を過ごすならば、
それは過去の自分の選択を全否定することになりますよね。

これってすごく悲しいことですよね。

過去の選択を「これでよかったのだ」と認めてあげるために、
今ここを精一杯に生きて正解に近づけていけば良いのです。

もしもそれでも変わらない、変えられないのならば、
今ここで選択を下し、未来を変えていくしかないでしょう。

それは、何かを選ぶ代わりに何かを捨てるということ。

もちろん、そこには手放したくなかったものを失うというリスクもあります。
最悪の事態を想定しておかなければならない。

だけど今を精一杯に生きるために、
不満だらけの日常はすぐにでも捨てるべきなのだと感じます。

 

時間力−「断言しよう。人生は変えられるのだ」


人生は時間の使い方でつくられている

・時間をどうマネジメントするのか。
それはすなわち、命をどうマネジメントするのか、ということである。

・時間の使い方は、単なるテクニックだけを学んでも意味はない。
時間によって人生がつくられているのだという感覚を持つことが、何より重要だ。

・自分が何に時間を割いているのか、何に時間を奪われているのかを徹底的に意識しなくてはならない。

 

人生を短くしているのは、自分自身である

・人生には限りがある、という終わりを意識することだ。
そうすることによって、瞬間を生きる意味が、初めて生まれてくる。

・終わりに向かっていくという意識が、人生のあらゆる時間にかけがえのない意味を与えてくれるのだ。

 

理想の時間の使い方を徹底的に意識する

・何をするかではなく、どんな心構えで時間を過ごしているか、ということが重要なのだ。

・何が必要な時間で、何が必要でない時間なのかを見極めるには、
自分の人生の中で何がいちばん大切なのかという判断基準を持つことが必要だ。

 

大事な二割を見極め、まず考える時間をつくる

・仕事ができる人は、本当に重要なことに自分の八割、九割の集中力と時間を使っている。
そして、仕事をスタートさせる前に、その見極めをしている。
とにかく頑張ればいい、ではなく、どこを頑張るのか、を最初に考えている。

・大事なのは問題の定義なのだ。
この仕事においては何が大切なのか、ということを考える時間をつくること。

・自分の時間を配分するということは、自分の命を配分することと同じだ、と強烈に意識する。

 

やめる、捨てる、断る、離れる勇気を持つ

・自分の命を守るために、また、大切にするためには、ある種の勇気が必要になる。
それは、自由に対するリスペクトから生まれる勇気である。

・やめることを躊躇しない。それが大切だ。
すべての、どうでもいいことに、もう時間を使わない、という決意。

・何でも頑張ればいいわけではない。
頑張るに値するかどうかを、まずは自分の中で見極めることが必要である。

 

「忙しい」という言葉を使うのは悲しい

・とにかくやってみたいと思ったことは、小さな一歩でもいいので、まずスタートしてみる。

・人生を変えるというと、何か大きなことをしなくてはいけないような気がしてくるかもしれないが、
大事なのは、ちょっとした新しいことを始めてみることなのだ。

・忙しいという言葉は使わないことだ。
それは、自分の器が小さいことの証明でもある。

・全ての瞬間は自分の選択の産物としてある、という意識で時間を使うことが大切である。

 

まとめ

自分の中で時間の有限性についての意識が高まっている。

「忙しさ」というものが押し寄せてくると、それに抗おうとしても耐えきれず流されてしまう。

自分自身でやること、やめることに明確な判断基準を持つこと。

それによって主体的に時間をコントロールできる。

 

必然的に死に向かって刻々と過ぎる時間に対して、

追われながら流されていく人生を歩むのか。

自分自身が主体的に時間を支配し、ワクワクすることに時間をつぎ込むのか。

全ては自分自身の選択次第なのだと肝に銘じたい。

 

 

人脈力ー「断言しよう、人生は変えられるのだ。」


期待された以上のものを相手に与える

・目指したいのは、自分自身を理解しようとするだけでなく、目の前にいる相手の感情をも理解することだ。

・相手自身が認識していなくても、相手以上に相手がおかれている状況や相手の感情を理解しようとすることによって、最終的に相手を制御することが可能となる。

・制御するというのは、強引にコントロールするということではない。自分が目指す目的地に相手を導くようなイメージである。

・与えることに徹すると、その間接的な効果として、周囲に自分と同様の「与えている人たち」が集ってくる。

・誰かに何かを与えた瞬間、取引は完結していると考えなければならない。

・自分が期待した以上のものが返ってきたとき、人は感動する。

 

違和感を大事にすれば、対人関係で間違わない

・まずは自分の心に聞くことだ。頭で考えるのではなく、何か違和感を持ったら、それを大事にする。

・そもそも言語というのは、完全ではない。感じたことのすべてを言語で表現することはできないのだ。だから、言語だけで物事を考えるのは危険である。

 

本当の強さを手に入れなければ、自然体にはなれない

・自分そのものが強くなければ、自然体にはなれない。

・自分の強さがわかっている人間は、他者に対して何かを見せびらかそうとはしない。

 

いい人になろうとしない

・自分の成長につながらない関係、愛情につながらない関係は、シビアに見極める必要がある。

・決して長くはない一生の間にどのような交友関係を築きあげるか。豊かな人生を築いていく上でこれ以上、大切なことはない。

・もとより人間関係においては、みんなから好かれる必要はない。そもそも全員に好かれることはできない。そして、そうあるべきではない。

 

誰もがパワーストーンのような存在になれる

・人は、価値観が合わない人に評価されても大して嬉しくないものだ。ならば、価値観が合わない人に非難されても、悲しく思う必要はない。

・対人関係において、自分と合わない人にまで、自分の心の中のエネルギーを使いすぎるのは禁物だ。心がすり減ってしまい、本当に大切な人に自分の愛情を注ぐことができなくなる。

・他者からどう思われるかということを改善したければ、まずは自分自身を大事にしなければならないのだ。

 

伝えたかどうかではなく、伝わったかどうか

・人間関係で大事なこと、とりわけ与える立場で大事なことは、愛するという気持ちを伝えるだけではなく、愛を本当に感じられるように、相手の立場に立って考えたかどうか、ということである。

・説得できるとは限らない。共感してもらえるとは限らない。自分の思いが相手に伝わっているとは限らない。

 

相手の目を見てサイレントギフトを贈り続ける

・相手に接するとき、相手が自分にとって特別な人間であることに気づかせてあげるとよい。実際、自分がこの人と親しくなりたいと認めた人であれば、相手は自分にとって特別な人間だと思っていいだろう。

・自分中心の感情を抑えて、相手の感情に目を向けることだ。相手がいかに素晴らしいかということを、相手に気づかせてあげる。

・相手に主役を譲るのだ。結果的になってしまった脇役は寂しいものだが、自分の意思で選んだ脇役は違う。心が平穏になると同時に、相手を気持ちよくさせられたことに、大きな喜びを見出せる。

 

 

まとめ

すべての人に好かれる必要はない。

この言葉で救われた気持ちになる人も多いのではないでしょうか。

 

相手の感情を理解し寄り添うことは必要だが、深入りし鵜呑みにしてしまうと自分が自分でなくなる。

自分自身の判断基準をしっかりと持ち強くなることで他者に依存しない自分をつくることが最優先課題。

 

自分が自分自身を大切に思い、自分の価値観を大切にすること。

それにより、共感してくれる人たちを引き寄せるということを実感する今日この頃です。

 

対話力−「断言しよう、人生は変えられるのだ。」


できるだけ自分からしゃべらない

・対話と言うと、まず思い浮かべるのは「どう話すか」ということだと考える人がいる。しかし、実は重要なことは話すことではない。聞くことだ。

・人間は自分自身のことをよくわかっていないのだ。自分自身を理解しているとは、限らないのである。

・口に出した瞬間、自分は何に悩んでいるのかが、わかるときがある。
これは書くことでも同様で、文字を見た瞬間、自分の心の中の状態が分かることがある。話したり書いたりすることは、自分を客観化する一つの方法なのだ。

・重要なことは話すことではない。聞くことだ。しゃべることは危険であり、不利なことでもあるのだ。

 

相手の話を遮らない、知ったかぶりしない

・言葉を聞きながら、目線で相手を感じる。
見るということを含めて、相手を深く飲み込み、吸収する。包み込むという感覚で相手を理解しようとする。その姿勢、そのオーラが、本当の意味で相手と自分との間での信頼関係を築き上げることになる。

・聞くことは観察すること。語ることは観察されること。

・会話においては、相手が輝くための舞台を自分自身が演出するという心構えを持っておくことが大切だ。
相手が特別であって、その特別な相手を最高に演出するために自分に何ができるか、という意識を持つ。

 

どうでもいいことは言わない

・深くは聞くが、鵜呑みにはしない。人の意見というのは、味わうものである。深く味わうことは大切だが、鵜呑みにする必要は必ずしもない。

・話す量を意識的に少し減らすことで、結果的に自分自身が語る一つひとつの重みが変わってくる。

 

言いたいことをワンフレーズで表現する

・世の中の現象は複雑で、全て記述しようとすると、本が何万ページあっても足りないものだが、それをワンフレーズに落とすことができるかどうか。
本質を見極めることができるかどうか。その訓練をするといい。

・自分が時間やエネルギーを配分したあらゆる体験に対して、思索を加え、自分の言葉に落としていく。
体験に思索を加えると、洞察になっていく。その洞察を書き残していくと、それがいずれ自分の哲学の素材になっていく。

 

議論に値しない人とはぶつからない

・議論をすることは大事だが、議論をする相手は慎重に選ぶことが大切だ。

・無知な人がしたり顔で議論しているときにも、平然といられることが賢者の姿勢であり、それが威厳をつくる。
時には、じっとされるがままにしているということだ。それはある意味では勇気であり、強さの証明でもある。

 

あえて語らないことも対話力の一つである

・語りたいことはたくさんあるけれど、あえて語らない、ということがあっていい。
意識的な選択として、沈黙を守るというのは、ある種の美学でもある。

・善悪は、強さがないと貫くことが極めて難しいものだ。
心が善であっても、それを守り抜く強さがないために、結果的に悪に加担してしまうということを忘れないようにしよう。
だからタダのいい人になってはいけない。

 

まとめ

自分の意見を持ち主張を通すことが自分軸を持つということと誤解している人もあるでしょう。

本当の絶対不可侵たる自分領域を持つということは対話力を高めること。
対話力とはいわゆるプレゼン力とか言葉による説得力ではない。

聴く力だ。
相手の話す言葉を全身で味わいながら受け止める。
途中でこちらの主張を入れたくなってもあえて沈黙を保つ強さ。

全く自分の主張を挟め得ない状況の中でもじっとこらえて余計なことを言わない。
それこそ対話力なのではないかと感じます。

議論をすべきでない相手と議論をしても不毛なだけである。
それならば、沈黙を通し相手の言葉を受け止めて、主体的に自分なりの解釈を加えて行動をするほうが前向きではないでしょうか。

感受力−「断言しよう。人生は変えられるのだ」


人間は裏では感情九割、理性一割で動く

・まずは、自分の感情を客観的に冷静に見ることができていなければならない。
そして、理性を介在させ、感情を制御する。その上で重要になるのが、相手の感情を理解しようといているか、だ。

・人間は、表では理性九割、感情一割で振る舞うように見えるが、裏では感情九割、理性一割で動くことも珍しくない。
そのくらい、人間は実は感情的な生き物なのだ。

 

理屈で納得させようとしてもうまくいかない

・表面的には理屈通りに進んでいたとしても、頭で納得するだけでは交渉は成立しないのだ。

・相手の感情的な内面の状態を、相手以上に深く理解しようという感受性を持つ必要があるのだ。

 

沈黙を恐れるな、間を置いて話をせよ

・意識すべきは、相手が話した後に、いったん、間を置くことだ。相手の話に深く入り込もうという、物理的な時間を稼ぐことによって、自分が相手に返す内容も、そしてその言葉も精査することができる。
言葉として組み立てる、時間的な余裕を手に入れることができるのだ。

・すぐ反応するのは、自分に自信がないという側面もあるし、深く相手に入り込めていない側面もある。だからこそワンテンポの間を意識することだ。

 

人生の決定を焦らない

・二〇代後半から三〇代前半にかけては、人生の決定を焦らない。

・焦って下した決定というのは、必ずどこかで綻びが出てくるものなのだ。落とし穴が待っているのである。

・決断をすること以上に、決断を留保することには勇気が必要なのである。

・年をとっていけばいくほど、決断の大切さよりも、決断できるにもかかわらず、あえて意識的にワンテンポ遅らせ、判断を留保することが、いわゆる人生の知恵だということに気づけるようになっていく。

 

人と対立することは無意味である

・自分の存在に対して不安があるから、敵をつくったり、対立軸をつくったり、物事を白黒に分けてトレードオフをつくりたがるのだ。

・弱い人間ほど、敵が欲しくなる。敵は、存在の不安から生まれるのだ。

・自分と言う存在に対して、自分自身で認めることができている人、自信がある人は違う。
自分を愛するという気持ちを持ったとき、人間は敵をつくらなくても済むようになる。

・他者によって自分が規定されるわけではなく、自分が自分自身を知り、信じることにより、他者との関係性の中で自分の存在を規定しなくてよくなるのである。

 

目の前の地味な仕事をこなすことが成長の近道

・今の仕事に対して、自分なりに最高の喜びを見出すことができるか。ということを常に自問しながら仕事をしてきたかどうか。

・大事なことは目の前にある完璧ではない環境の中で、自分がどのような意味を見出せるか、ということである。

・遠くも目標を見るのはかまわない。しかし、まずやるべきは、目の前にあるものの中から意味を見出す努力である。

 

理不尽なことを学びに変えていく

・問題の捉え方を変えれば、理不尽なことですら、学びになることに気づける。

・敵の中から自分が学べる材料を探してきたときに、その敵は感謝の対象に変わっていく。
それを延々と繰り返していく人生はたしかにつらいが、今の段階で付き合わなければいけない人であれば、その人を憎しみの対象ではなく感謝の対象に変えていくしかないのである。

・相手のペースに乗ってあげるくらいの気持ちであれば、状況は変わる。
そうした人の存在は、どんどん小さくなっていく。かわいそうな人だとわかる。

・余裕が大事なのだ。余裕を持たなければ、人生は楽しめなくなる。
生活の中で、精一杯にならないよう気をつける。そして同時に、自分のキャパシティを大きくしていく。
自分の器を思考力や感受力も大きくしていく。そうすることで、余裕はさらに大きくなっていくのである。

 

まとめ

組織の中で働いていると何かと理不尽に感じることも多いですよね。

理不尽だと感じながらその感情を持ったまま仕事をしていると、仕事へのヤル気や熱意が消失してしまう。
自分の仕事への誇りが持てずに仕事への自身すら失うという負のスパイラルに陥るという経験は誰しもあるのではないでしょうか。

一見理不尽だと思われることも、問題の捉え方を変える。
つまり、自分目線でなく相手の目線に置き換え、相手の立場を理解する。
そうすることで自分の肚に落とし、その仕事に対してなんらかの喜びを見つけること。
それが負のスパイラルを回避することだと考えられます。

すぐに感情的になり自分の正論を押し通すのではなく、
相手のペースに自分が乗ってあげるというような心の余裕を身につけなければならないと感じますね。