承認欲求を否定する
・われわれは「他者の期待を満たすために生きているのではない」のです。
・他者からの承認を求め、他者からの評価ばかり気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになります。
・他者もまた「あなたの期待を満たすために生きているのではない」のです。
「課題の分離」とはなにか
・たとえば目の前に「勉強する」という課題があったとき、アドラー心理学では「これは誰の課題なのか?」という観点から考えを進めていきます。
・われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題を分離していく必要があるのです。
・あらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと―あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること―によって引き起こされます。
・誰の課題かを見分ける方法はシンプルです。「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのはだれか?」を考えてください。
・自らの生について、あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけです。一方で、その選択について他者がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です。
承認欲求は不自由を強いる
・他者の期待を満たすように生きること、そして自分の人生を他人任せにすること。これは、自分に嘘をつき、周囲の人々に大しても嘘をつき続ける生き方です。
・課題を分離することは、自己中心的になることではありません。むしろ他者の課題に介入することこそ、自己中心的な発想なのです。
本当の自由とはなにか
・自由とは、他者から嫌われることである。
・他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。つまり自由になれないのです。
対人関係のカードは、「わたし」が握っている
・「あのとき殴られたから関係が悪くなった」と考えるのは、フロイト的な原因論的な発想です。
アドラー的な目的論の立場に立てば、因果律の解釈は完全に逆転します。つまり、私は「父との関係をよくしたくないために、殴られた記憶を持ち出していた」のです。
・問題は私が決心するかどうかであって、対人関係のカードは常に「わたし」がにぎっていたのです。
・わたしが変わったところで、変わるのは「わたし」だけです。その結果として相手がどうなるかはわからないし、自分の関与できるところではない。
まとめ
課題の分離。
この言葉に人間関係のあるべき姿がこのひとつの言葉に凝縮されているとさえ感じます。
親子関係から生じるトラウマ。
夫婦関係のもつれ。
職場の同僚や上司との関係における悩み。
すべて、相手に対する課題に対して、自分が過干渉したりされたりすることによって生じるものです。
相手にいいふうに見られたい。
相手の期待に応えたい。
相手軸にはまっていくほど、「本当の自分」との間できしみを上げる。
そんな生き方は本当に苦しいですよね。
ましてや、近しい人間関係のなかではなおさらです。
他者の期待に過剰に反応して、自分自身のたいせつなものを犠牲にする。
自己犠牲の精神は一見美しいもののようにも思えてしまうもの。
しかし、そうやって他者の人生に生きることは、自分自身の人生への責任を棚上げしているようなもの。
人間関係の中で幸福感を得るためには、課題の分離をして、自分の課題にフォーカスする。
それは決して自己中心的なのでなく、自分の人生に田する全責任を自分で負うことなのです。
「嫌われる勇気」を持つことが、人間関係の悩みから抜け出す第一歩ですね。