自己肯定ではなく、自己受容
・自己への執着を他者への関心に切り替え、共同体感覚を持てるようになること。そこで必要となるのが、「自己受容」「他者信頼」、そして「他者貢献」の3つになります。
・60点の自分に「今回はたまたま運が悪かっただけで、ほんとうの自分は100点なんだ」と言い聞かせるのが自己肯定です。それに対し、60点の自分をそのまま60点として受け入れた上で「100点に近づくにはどうしたらいいか」を考えるのが自己受容になります。
・交換不能なものを受け入れること。ありのままの「このわたし」を受け入れること。そして変えられるものについては、変えていく“勇気”を持つこと。それが自己受容です。
信用と信頼はなにが違うのか
・他者を信じるにあたって、いっさいの条件をつけないことです。たとえ信用に足るだけの客観的根拠がなかろうと、信じる。担保のことなど考えずに、無条件に信じる。それが信頼です。
・裏切るのか裏切らないのかを決めるのは、あなたではありません。それは他者の課題です。あなたはただ「わたしがどうするか」だけを考えればいいのです。
・他者信頼によってもっと深い人間関係に踏み込む勇気を持ち得てこそ、対人関係の喜びは増し、人生の喜びも増えるのです。
・他者貢献とは、「わたし」を捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろ「わたし」の価値を実感するためにこそ、なされるものなのです。
ひとはいま、この瞬間から幸せになることができる
・人間にとって最大の不幸は、自分を好きになれないことです。この現実に対して、アドラーは極めてシンプルな回答を用意しました。すなわち、「わたしは共同体にとって有益である」「わたしは誰かの役に立っている」という思いだけが、自らに価値があることを実感させてくれるのだと。
・他者貢献していく時のわれわれは、たとえ目に見える貢献でなくても、「わたしは誰かの役に立っている」という主体的な感覚を、すなわち「貢献感」を持てればそれでいいのです。
・承認欲求を通じた得られた貢献感には、自由がない。われわれは自由を選びながら、なおかつ幸福をめざす存在なのです。
「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てよ
・人生とは、今この瞬間をくるくるとダンスするように生きる、連続した刹那なのです。
・ダンスを踊っている「いま、ここ」が充実していれば、それでいいのです。
・人生全体にうすらぼんやりとした光を当てているからこそ、過去や未来が見えてしまう。しかし、もし、「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てていたら、過去も未来も見えなくなるでしょう。
・過去にどんなことがあったかなど、あなたの「いま、ここ」にはなんの関係もないし、未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではない。
無意味な人生に「意味」を与えよ
・われわれは困難に見舞われたときにこそ前を見て、「これからなにができるのか?」を考えるべきなのです。
・アドラーは「一般的な人生の意味はない」と語ったあと、こう続けています。「人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ」と。
・「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きてかまわない。
・世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ「わたし」によってしか変わりえない。
まとめ
過去にとらわれて日々を悶々と過ごしていませんか?
人は多かれ少なかれ、過去を振り返り後悔することはあると思います。
「あの時〜すればよかった」というようなふうに。
そして「あの時〜だったから、今がこうなんだ」と過去のせいにして、今の不満な状態のいいわけにしてしまうわけです。
そして、そうできなかった自分を卑下したり、好きになれなかったりするのかもしれません。
自分を好きにならなければ、自己信頼感なんて上がるはずもありません。
自己信頼感が得られなければ、原因論の虜になり、自分の人生を他者の責任に帰してしまいます。
「いま、ここ」はものすごいスピードで流れていきます。
延々自分の人生を他者のせいにして生きていたのでは、人生に何も遺すことはできません。
大事なのは「いま、ここ」をどう生きるのかなのです。
現在の自分は過去の自分がつくり上げてきたと感じるならば、未来の自分を今自分がつくり上げる努力をすればいいのです。
過去がどうあれ、それを受け入れた上で、いまここで「このままのわたし」でいいという甘えを捨てること。
そして、変えられる部分は変えていこうという勇気を持つ。
そういう意識を持っていれば、勇気づけてくれる人・もの・情報は引き寄せられてくるのではないでしょうか。
人生は一度きり。しかも、思ったよりも短い。
変えられない自分を嘆いている余裕はない。
よって、「このままのわたし」を変えるワクワク感を味わいながら、「いま、ここ」をダンスを踊るように生きてみませんか?