すべてを最適化せよ−本音で生きる


自分の時間は自分のもの

・時間には「自分の時間」と「他人の時間」がある。今、自分が「自分の時間」を生きているのか、「他人の時間」を生きているのかを、常に意識しておくことが必要だ。

・何かをするために、お金も地位も必要ない。必要なのは、誰にでも平等に与えられている、死ぬまでの時間だけ。だからこそ時間は何よりも貴重な資源であり、それをいかに使うかが最重要課題となるのだ。

 

すべての時間を「最適化」せよ

・「最適化」を繰り返すことで、できることが増えていく。

・自分の人生を改善することは、自分を含む人の行動や周囲の状況を注意深く観察し、疑問を持つことから始まる。

・「惰性」の中に、ムダなことはたくさんあるはずなのだ。時間をうまく使いたければ、自分の生活の中のムダな「惰性」に気づくことも大事だ。

・なぜ仕事に優先順位をつける必要があるのだろうか?優先順位をつけることにだって手間はかかる。そんな時間を浪費することなどない。片っ端から仕事をこなしていけばいいだけだ。

 

自分の得意(コアバリュー)にこそ、時間を使え

・自分一人でいくら頑張っても改善には限界がある。有益な時間を生み出すためには、積極的に外注を使うべきだ。人に仕事を任せることなしに本当の意味での改善を実現することはできない。

・たいていの人は得意でないことまで無理に自分でやろうとして、パンクしてしまっている。あるいは、自分の持っているスキルや資格にこだわりすぎて、それに関係した仕事は全部自分でやらなければいけないと思い込んでいる。自分がすべき本当の仕事、自分の持つ「コアバリュー」が見えなくなっているのだ。

・自分のコアバリューが何かなど、頭で考えていてもわかりはしない。スキルや資格があるからといって、それがコアバリューとは限らないのである。まずは、やりたいと思うことは全てやろうとすること。そして、自分一人ではどうしようもなくなった時に、人に仕事を任せていき、削ぎ落とした後に残ったものがあなたのコアバリューだ。

 

最短距離で学ぶ

・どうしてもやりたいこと、やらなければいけないことに取り組みながら、必要な情報を取り入れ、知識を身につけていくほうがはるかに効率は高い。やってみてわからないことは人に尋ねたり頼んだりすれば良いだけの話だ。

・コツコツ資格の勉強などをするより、はるかに大事なのは情報のシャワーを常に浴びるということだ。情報を仕入れることは生産性を上げるだけでなく、人生のチャンスを広げる。

・今の時代アイデアに価値などなくなっている。アイデアの価値は暴落したが、その代わりに重要になったのが実行力だ。アイデアはいくらでも転がっているのだから、あとはやるかやらないかにかかっている。

・取り入れる情報が減って良いことなど、何もない。多くの情報を取り入れれば、無意味な情報もたくさん入ってくるが、絶対的な情報量は増える。いかに良質な情報の比率を増やすかが問題なのであり、情報を遮断すれば良いアイデアが浮かぶというものではない。量が質を作るのであって、その逆はない。

・日々の習慣として「考えること」を繰り返すこと。スマホが使えなくても、数秒しか時間がなくても、考えることはできる。

・情報をインプットし、アウトプットし、「考えること」を繰り返す。ボーッとしているのではなく、自分の時間を思考で埋めていくと、ある瞬間に解決策やアイデアがふっと浮かぶようになる。

 

「今すぐやる」ことこそ、最大の最適化

・限界までやりたいことをやろうとする。そうしてはじめて、時間をどうやって使えば良いのかが見えてくるのである。たいしてすることもないのに、時間を効率化しようというのは、それこそ時間の無駄というものだ。

・時間は誰にだって平等だ。だから最短距離で「なる早」でやりたいのだ。それこそが、最適化だ。時間は有限だ。のんびり長期ビジョンを立てるなんて、全く時間の無駄でしかない。

 

まとめ

大切なことは人生のすべてを最適化するということ。時間というものはすべての人に平等に与えられている限られた資源。

その時間をどうやって使うかで人生の充実度が変わってくるのだとボクもこの歳になってようやく理解できるようになってきました。

自分にしかできないこと=コアバリューに自分の時間を投資していくことが大切だとホリエモンは言う。まずは人生の中で徹底的に大好きなことやりたいことを優先順位なんてつけずにやっていくこと。それをするための障害となる部分は人に任せていくことが大切なのです。そうやって削ぎ落とした所に自分しかできないこと=自分の価値(コアバリュー)というものが残っていく考え方はなるほどと思います。

 

そして、その材料とするための情報の収集の仕方は非常に勉強になります。デジタルデトックスとか情報の遮断が思考をクリアにしてアイデアを生み出すという考え方を真っ向から否定されています。

とにかく情報をシャワーのように浴びる。アウトプットが苦手な人はインプットの「量」が足りていないそうです。たしかに自分に有効な情報のみを選り好みしていたらその労力が相当かかる。自分にはノイズだというような情報も浴びてアウトプットの量と質を上げていきたいものです。

 

とにかく今回ホリエモンが言いたかったのは、あれこれ考えすぎずに動けよ!ってこと。それに尽きるなと思います。

本音で生きられない理由は「自意識」と「プライド」−本音で生きる


みんなプライドが高すぎる

・実際にあなたのことをそんなに注目している人は、そうはいない。多くの人は、自分以外のことになんの関心もないのだ。

・実際には存在しない「世間」などというものを機にする必要はまったくないのだ。

・プライドをなくそうとすると、惰性がついて、どんどんプライドが無くなる方向に進む。一方で、プライドの高さに慣性がついて、どんどん高くなる人もいる。そうして、すごく気難しいおじいさんや、おばあさんになっていく。

・プライドはなくなったほうが、みんなに愛される。逆に「すごい自分でいなければいけない」とか「相手に嫌われたらどうしよう」と思って、プライドが高くなると、結論として、相手が自分のそばに来づらくなる。

・「恐い相手」は自分のプライドがつくっている。「相手に悪く思われたらどうしよう」とか、「アホだと思われたらどうしよう」とか、そう思って話せなくなるのだ。

 

「小利口」になるな

・ノリで動けない人は、とにかくプライドが高い。「失敗してバカだと思われたらどうしよう」「思ったことを口にして、相手から反撃されたらどうしよう」。そんなことばかり心配して「プライド」という名の壁を自分の周りに高く築き、その中に引きこもることで、弱い自分を守ろうとする。言っておくが、そうしていて得られるものはほとんどない。

・ヨロイを着込んだ奴に周りを取り囲まれたら、囲まれた相手もくつろげない。そんな場に、気取らず自然体で動ける人間がいれば、相手も緊張せずにいられる。

・嫌われたら「プライド」は傷つくかもしれない。でも、付き合いたいのなら、踏み出さなければなんにもならない。今までの自分を守るために、チャンスを手放してしまうなんて、まったくおかしなことだ。

・「自分がバカ」であることを知っていれば、わからないことがあったら、なんの躊躇もなく人に聞くことができる。自分に知識がないことを恥じる変なプライドがないから、逆に利口な人を使ってすばやく動くことができる。「自分がバカ」であることを知っている人は強いのだ。

・中途半端に小利口な人は、グダグダ、グダグダ考えているだけで、結局何もできない。結局、「考える」ことができるほど利口じゃないバカが、得をしているのだ。

・ちょっとしたチャンスは、いつでも誰の前にでも流れている。それが将来的に何につながるかなど、誰にもわかるわけがない。自分が面白そうだと感じたら、飛びつくだけだ。

・確実にいえることがある。ノリのよい奴には、あちこちから声がかかるようになり、加速度的にいろんな経験ができるようになっていくのだ。

・やりたいことをやって成功する人は「リスク」をあまり考えていない。実現可能性をまず考えて尻込みするような人間は、リスクをとらないこと自体が最大のリスクだということに気づいていない。

・これまでと同じことをやっていても、成功はできない。自分のやりたいことを、ノリとフィーリングでやってみるしか成功はありえない。

 

 

まとめ

今思い返してみれば20代の頃の自分はすごくプライドが高かったのだと思います。仕事においても上司や会社の期待に応えられなければならないという強い観念があり、つけられた評価に対して食いついていたこともありました。

そのくせ「人によく思われたい」「嫌われたくない」という意識も強くてへつらっては自己嫌悪に陥ったりと自分の中での葛藤は激しかったのですが、これといった成長は自分の中で感じることができませんでした。

特に後輩にとっては嫌な奴だっただろうしとっつきにくい人間だったのではないかとあの頃のことを冷静に振り返るとそう思います。

人間関係も仕事の成果も全てプライドが邪魔をしていたのだということを今振り返ると実感します。少し勿体無かったなと思います。

 

30代後半になり読書したり講演会に参加したり、色んな経験を積んでプライドを手放すことができるようになってからのボクの人生は大きく変わりました。

自分の成功の基準を他人に押し付けることなく、他者を批判することがなくなり認めることができるようになりました。

むしろ自分の無力さを認めることができるようになったので人を素直に頼ることができるようになりました。周囲の助けに対して感謝の心を持つこともできると自分自身がすごく幸せな気持ちになります。

ノリの良さを大切に色々なイベントや新しいことに挑戦することで人とのつながりや自分の自信をつけることもできました。

ちっぽけプライドを捨てることの大切さは他に代え難く得られることも多いのだとようやく気づけた今日この頃のボクです。

 

 

バランスをとるな!−本音で生きる


バランスをとるな!

・まず、バランスを維持したまま、新しいことなどできるわけがない。
現状を変えることなく、物事のいいとこどりをしようというのは不可能というものだ。
・エキサイティングな人生を送るとは、何かを犠牲にして、何かに没頭することなのだ。
「今の人生を変えたくない」が、「ちょっとしたコツ」で「エキサイティングな人生を送りたい」なんて虫のいい話なのだ。
・まずは目の前の仕事に面白さを見出すことだ。
自分なりに工夫して仕事を改善してみる。そうすれば仕事も面白くなって没頭できるようになってくる。
・安定を求めることは、リスクだ。その場に留まり続けることは、同じ状態でい続けることではなく、劣化していくということなのだ。
そう考えると、「バランスをとらないといけない」と思うこと自体が、かえってリスクにもなるのだ。

 

 

ゼロイチ思考の枠を外せ

・「バランスをとらなければいけない」と考えている人は、「ゼロイチ思考」にとらわれすぎているのではないだろうか。
物事を「あり」or「なし」、「勝つ」or「負ける」のように、両極端にしか見られない。
・しかし今は、社会も人間関係も多彩だ。世界はそんな「どちらかを選べ」みたいなものでは全くない。
・人間関係はゼロイチで測れるものではなくて、グラデーションになっている。結びつきの強さのようなものは、相手によって変わってくる。
結婚とか恋人とか、そういう制度や言葉で全ての関係を言い表すことはできない。
・結局、人間関係については、その時、その時で、必要に応じて変えていけばいいのだ。
・これまでの常識を疑うことなく受け入れていると、「○○でなければならない」という思い込みから抜けられなくなってしまう。
その挙句に「バランス」をとることに必死になり、やりたいことも中途半端になり、体も壊してしまったりする。そんな思い込みにとらわれないほうがいい。

 

 

まとめ

ボクは昔から割と「バランスがいい」と言われることが多いです。

それはボクが周りの目を気にして自分以外の人や環境に合わせることが得意だったということと表裏一体なのです。

「バランスがいい」という褒め言葉は、価値観が画一していてみんなが一つの常識を持っていた時代ならば良く受け取れる。

でもボクは価値観の多様化する今現在「バランスがいい」というのは褒め言葉でもなんでもなく、自分自身の軸がなく他者の常識に自分を合わせるのが上手いという評価になりかねないのだと思います。

 

ボクがフォローしている尊敬している人は、皆一様にいい意味で「バランスが悪い」。何か好きなことややりたいことに没入する姿勢やその過程を見ているだけでワクワクするのです。

これからの時代共感される生き方というのは、何か一点について徹底的にこだわって行動したり、大好きなことに追求したり、人間関係においても自分の大切な人を極めて大切にするというそういういい意味で少しバランスを欠いた姿勢なのだと思います。

何かにとらわれず、バランスをとることに心を揺るがされないほどの「好き」や「ワクワク」をボクも追いかけていきたいと思います。

 

言い訳をやめる−本音で生きる


言い訳をやめる

・「お金がない」と言う言い訳は無意味である

・やる気があれば、お金は関係がない

・「時間がないからできない」は、現状維持を選んでいるだけ

・「自分には才能がない」「凡人だからできない」と言った時点で「今のままでいい」と言っているのと同じ

・「やり方」なんてそもそもない

・「自分には何もできない」と思ってはいけない

 

 

「リスクを考えると、できない」の本当のところ

・本当にやりたいなら「リスク」は考えない

・「リスクがあるからできない」と思っているものは、きっと「やる必要がないもの」だ

・「やる」か「今のまま」か。本当に選びたいのは、どちらなのだろうか

 

 

「できない理由」は考えない

・やってみないと「自信」はつかない

・比べるべきは、過去の自分

・言い訳をやめると本当にすっきりする。身体が動くようになる

 

 

まとめ

 

Twitterにも上げていましたが人を行動することから遠ざけるのは「言い訳」だ。

「お金がない」

「時間がない」

「家族があるから」

そんな言い訳を都合よく並べていた自分。

 

でも、本当の自分は「変わりたい自分」よりも「このままでいたい自分」のほうが勝っていたのかもしれない。

 

自分自身を低く見積もり「自信」をなくす。それが言い訳につながる。

自信をなくすのは他者との比較をするから。

でも比べる対象は常に過去の自分であるべきだと。

 

精一杯今ここを生きていれば確実に過去の自分からの成長を実感できます。

その積み上げが「自信」につながり、自信が言い訳を打ち負かす。

 

言い訳ばかりしていた過去の自分に比べれば少しは成長できているかなと最近の自分を少し高めに見積もることができてきた今日この頃です。

 

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