お金から解放される生き方−お金2.0


人生の意義を持つことが「価値」になった時代

・ミレニアル世代以前は足りないものがあって、それを埋めるために必死に頑張るという明確な方向性を持っていました。そして、その基盤を受け継いだ世代は満たされてしまっているので、何に向かって頑張れば良いのかがわからなくなっている。そしてその不完全燃焼のような感覚が多くの人を不幸にしているという事実。

・人生の意義や目的とは欠落・欲求不満から生まれるものですが、あらゆるものが満たされた世界ではこの人生の意義や目的こそが逆に「価値」になりつつあります。

・これから誰もが自分の人生の意義や目標を持てることは当然として、それを他人に与えられる存在そのものの価値がどんどん上がっていくことになります。

・マズローの五段階欲求で言えば、最上級の自己実現の欲求のさらに先の欲求、社会全体の自己実現を助けたいという利他的な欲求が生まれてきています。

 

若者よ、内面的な「価値」に着目せよ

・価値主義の世界ではどんな働き方や生き方がスタンダードになっていくのでしょうか。答えは非常にシンプルで「好きなことに熱中している人ほどうまく行きやすい」世の中に変わっていきます。

・人間の内面的な価値に関しては、現在の資本主義の枠組みでは上の世代が認識しにくく、ここには大きなチャンスが存在しています。この内面的な価値には、共感・熱狂・信頼・好意・感謝のような種類があり、わかりやすい現物があるわけではないので非常に曖昧です。

・この内面的な価値を重要視するのはミレニアル世代以降ですから、上の世代では理解しづらい。これからの働き方を考える上ではここに絞って活動していくのが生存戦略の観点からも良いと思います。

 

「儲かること」から「情熱を傾けられること」へ

・金銭的なリターンを第一に考えるほど儲からなくなり、何かに熱中している人ほど結果的に利益を得られるようになります。

・利益やメリットを最優先にする考え方は実用性としての価値の観点であって、それを内面的な価値に適用したところで全く機能しません。簡単に言えば、「役に立つこと」や「メリットがあること」と、「楽しいこと」や「共感できること」は全く関係がないのです。

・今や誰もがスマホを持ち歩いてネットに常に接続しているので、人の熱量が「情報」として一瞬で伝播しやすい環境が出来上がっています。

・多くのミレニアル世代が人生の意義のようなものを探している世界では、内面的な欲望を満たす価値を提供できる人が成功しやすくなります。

・この世界で活躍するためには、他人に伝えられるほどの熱量を持って取り組めることを探すことが、実は最も近道と言えます。その人でなければいけない、この人だからこそできる、と言った独自性がそのまま価値に繋がりやすいです。

 

人間の心は放っておくとすぐすぐサビる

・まずはあなたが一日中やっていても苦痛ではないことを探すのがいいでしょう。

・小中学校の教育を受け、やりたいことではなく、やらなければならないことを続けていくうちに、自分が何に興味を持って何に熱中していたのか、情熱の源泉を忘れてしまいます。

・色々なものに感動したり悲しんだりできるのは世界に直に触れているからであり、精神にサビが溜まっていくと麻痺して何を見ても何も感じられなくなってしまいます。

 

「お金」のためでなく「価値」を上げるために働く

・価値主義の時代では就職や転職に対する考え方も大きく変わってきます。ざっくり言ってしまうと、この先は「自分の価値を高めておけば何とでもなる」世界が実現しつつあるからです。

・従来はこれらは企業の経営戦略において、事業戦略、CSR、ブランディングのような領域でやっていくことですが、それが個人レベルでも必須になっていきます。

・日々の業務の中でも本当に今の活動が自分の価値の上昇に繋がっているかを自問自答し、それがないのであれば年収が高かったとしても別の道を考えてみることが必須になります。

 

 

まとめ

ボクらが若い頃とは圧倒的に時代は変わっている。

今の若い世代の価値観も大きく変わってきていて、むしろ昔の価値観に違和感を感じていながら無理にそれに合わせていこうとしている若者が苦しんでいるようにすら感じます。

今の若者には旧世代の価値観にとらわれずに自分自身の価値を磨いていけば「なんとかなる」とボクも言いたいです。

間違いなく価値は金銭的なものや物質的なものから内面的なものや精神的なものに移ってきている。これはまぎれもない事実であり将来はもっとその傾向が進むのだと思います。

自分の熱中できる「好き」を伸ばし、それによって共感や信頼を得られればそれは仕事になります。そういうある意味では自分らしさを出していける時代です。
だからボクは自分の子供達からは好きなものを取り上げたり嫌いなものを押し付けたりは絶対にしたくはありません。

自分自身に対してもただただ日々の暮らしに安住するのではなく、常に自分自身の価値を高める努力を促すよう自問自答していきたいと思っています。

 

 

価値主義とは何か–お金2.0


お金になりにくい「価値」の存在

・既存の資本主義に多くの人が感じていたことは、「お金にはならないけど価値のあるものって存在するよね?」という点だと思います。

・資本主義が考える価値あるものと、世の中の人の考える価値あるものの間に大きな溝ができており、それが多くの人が違和感を持つ原因です。

・お金が価値を媒介する唯一の手段であったという「独占」が終わりつつあるということです。価値を保存・交換・測定する手段は私たちがいつも使っているお金である必要はなくなっています。

・ネットの普及で自分の価値をどんな方法で保存しておくか選べるようになってきています。

 

資本主義から「価値主義」へ

・今後は可視化された「資本」ではなく、お金などの資本に変換される前の「価値」を中心とした世界に変わっていくことが予測できます。

・経済的には人間の欲望を満たす実世界での実用性(使用価値・利用価値)をさす場合や、倫理的・精神的な観点から真・善・美・愛など人間社会の存続にプラスになるような概念をさす場合もあります。

・あらゆる価値を最大化しておけば、その価値をいつでもお金に変換することができますし、お金以外にものと交換することもできるようになります。お金は価値を資本主義経済の中で使える形に変換したものに過ぎず、価値を媒介する一つの選択肢にすぎません。

 

「評価経済」の落とし穴

・いわゆる資本主義経済でお金からお金を増やした金融業と同じで、評価から評価を拡散力をテコに生み出していくことが可能になります。そして、この活動から蓄積された影響力や認知や評価といった価値は、まるでお金のように色々なものと交換することと可能です。

・なぜ多くの人が評価経済や信用経済に対して違和感を抱くのかというと、今話題になっている大半の仕組みが「評価」や「信用」ではなく、「注目」や「関心」にすぎないということがまず挙げられます。

・評価経済や信用経済も、注目や関心を集めるために、共感や行為を犠牲にしたり、倫理観や治安を犠牲にするような行為が目立つようになると、資本主義と同様に世の中がブレーキをかけることになります。

 

「経済」は選べばいい

・本当に言いたいのは「複数の経済システムは並存し得る」という点です。

・ネットが十分に普及した世界では、「どれが一番正しいのか?」という考え方ではなく「どれも正しい、人によって正解は違う」という考え方が徐々に受け入れられてもいい。

・経済圏も複数に分散していて、その中に存在するサービスも管理者不在で機能する分散したネットワーク上で完結するというこの状態を「二重の分散」と表現しています。

・複数の経済圏が並行して存在すれば、既存のメインストリームの経済から外れてしまった人に対しても膨大な選択肢を与えることになり、選択肢があることによって多くの人がリスクをとって積極的に活動できるようになります。

 

「価値主義」とは経済の民主化である

・一つ目はお金や経済の民主化です。これまで300年近く国家の専売特許とされてきた通貨の発行や経済圏の形成が、新たなテクノロジーの誕生によって誰でも簡単に低コストで実現できるようになります。

・二つ目は資本にならない価値で回る経済の実現です。

・価値主義では新たなテクノロジーの誕生によって、内面的な価値や社会的な価値をも可視化して、それらも経済として成り立たせることで、資本主義の欠点を補完できるようになっています。

・過去の常識が新しい価値観に上書きされていき、新しい価値観が常識になったかと思うと、すぐに新しい価値観による上書きが始まります。

 

 

まとめ

お金について真剣に考えなければならない時期に来ているのだと思います。

もちろん既存のお金についてもそうなんですが、これからのお金についてです。ボクらが育ってきた時代のお金に対する価値観は一気に塗り替えられる可能性があるということです。

国がお金を管理するようになって約300年、今のお金の仕組みになって約100年。このインターネットが本格的に普及してからのこの20年の社会の動きをみればわかるように目まぐるしくテクノロジーが進化している中でお金の概念も変化して然るべきものなのだと思います。

資本主義が突然なくなるということはないとは思いますが、国が一元管理するのではなく、地域社会やコミュニティがそれぞれにトークンを発行して経済圏をつくる動きが出てきていたり、タイムバンクやVALUといった個人が価値を作り出せるサービスも現れお金の概念も少なからず変わってきていると実感できます。

 

老後のためにお金は貯めておくものというのはボクらより上の世代の人たちの常識だったわけですが、10年後・20年後にはもしかしたらそのお金は全く別の価値に置き換わっているかもしれません。

そういうリスクもしっかりと把握した上で、情報に敏感になりながらこれからのお金2.0時代を迎えていくことが大切なんじゃないかなって思います。

 

人生の指揮権を取り戻す-「絶望」に声を与えよう


時間という資源の使い途を検証する

・生の有限性を認識するということは、死を意識することでもある。

・日常の中で自分の死を常に意識することにより、瞬間に対する緊張感は醸成されていく。

・本質的なことに取りかかったとしても、それに集中力を持たずに向き合っている時間が長ければ、それもまたムダに命を削っていることになる。

・大切なことと大切でないことに対し、時間の配分という意味で徹底的に差別化することにより、純度の高い自分の人生はつくられていく。そのためにも、決めて断つ、という意味での「決断」が求められる。

 

未来を生きる人には後悔がない

・過去の、自分が想定できなかった出来事があった時に、大抵の人は後悔に走りがちだが、未来を見据える人は、その出来事を生きる糧にしていく。

・幸福も不幸も原材料は同じ。重要なのは、その原材料を自分が「どのように料理するか」である。自分の腕次第で、苦いと思っていた食材が、人生のいいスパイスになったりすることもある。

 

いまを生きる。それに集中するだけで十分

・あなたを大切に思っていてくれる人は、あなたと一定の距離を保ちながら見守ってくれる人たちである。喩えて言うなら「線路」のような人。そういう人たちは、決してあなたの内面に踏み込んだりはしない。そっと寄り添うだけ。

・あなたの人生の指揮権はあなた自身にあり、その指揮権を手放すに値する瞬間は、いま手にしているこの人生の中にはない。

・あなたのことを大切に思う人たちのために生きるとは、あなたがあなた自身を大切にしながら、あなたの人生を生きることを意味する。

 

ないがしろにしている自分を意識する

・「アーティストのように生きる」ということは、時代と世界に対して、自分が「対峙する」という感覚で生きることを意味する。

・本来人間は誰もがアーティストである。そういう意味で世界の70億人の真実と自分の真実が対立したときは、自分の真実を優先するくらいの「絶対的な自己信頼」を持つことが必要である。

 

期待という呪縛から抜け出そう

・考えられるあらゆることに対して、あなたは他者から干渉される運命にある。これはいわゆる「期待」と呼ばれるものであるが、その期待によって、人は成長や喜びを感じることもあるが、その期待によって、途轍もない苦しみや抑圧感を感じることもある。

・「人生の指揮権を取り戻す」のだ。そのためにも、日々の選択における主体性を取り戻すことが必要だ。つまり、自分の人生に関わる選択の最終判断は「自分」が下すこと。

・他者が思う通りの人生でなく、自分自身が願う通りの人生を、自分自身が切り拓いて行く人生を生きることを、決意するのだ。

・自分が定めた目的地に向け、自分が選んだ軌道を突き進み、自分だけの人生の軌跡を残していく。そのスタートラインが今日も我々の前には用意されている。

 

シンプルな真実に気づく

・私の人生をほかの誰かが代わりに生きることはできない。このシンプルで普遍なる真実に気づいた瞬間から、人生が私に投げかけてくるすべては、試練や逆境や苦難も含め、「私のもの」として受け止めることができる。

・過去の記憶でさえ、固執さえしなければ、いくらでも変われるし、今日という日は自由自在に生まれ変わる可能性に満ちた一日になる。

・群れの中にいて、自分の心の声よりも他者の眼差しを意識し、常識という信じるに値しないものに縛られ、存在の自由よりも生活の安定を追い求め、世界への価値創造よりも自分を高く買ってくれる人を探し続ける人生を生きるために、この世に生まれてきたわけではないはずだ。

・心が喜ぶ目的を持ち、自分を成長させてくれる目標を持ち、自分のリズムで歩くことこそが大事だ。

 

まとめ

警察官の家庭に育ったボクは子供の頃どこか親の期待に応えるために生きていたように思います。親の望むことに対してアンテナを張り、褒められることを常に望んでいたように思います。

そんな生き方は30歳を越えても続き、人の期待に応えようとする自分が応えられない時にものすごく劣等感や自己嫌悪感を抱いていました。

ある時を境に主体的に生きるということを学びました。

それは奇しくもボクがずっと期待に応えなければと思っていた母の死がきっかけだったのかもしれません。大切な人だったけど自分を縛っていたのはやはり母の期待だったのだと思います。

ボクはそれまでの生き方を否定するつもりはないし後悔するつもりもありません。
ただ、やはり他者の期待というものを手放し、自分で選ぶ生き方はものすごく責任を感じることです。全ての選択は自己責任で他責にはできません。

けれども自己肯定感を高め毎日をイキイキと生きるためには、自ら主体的に自分の軸を定めて自分の人生を選んでいくことが本当に大切なのだと思います。

それは何歳からでも決して遅くはないのだと思います。

自分を信頼すると決める-「絶望」に声を与えよう


なぜ自分は愛されないのか

・もし本当に相手のことを、心から愛しているのであれば、相手の幸せを自分の幸せのように感じられるはずである。

・人生では「与えてほしいものを与える」ことができる者のみが、本物の愛や幸せを手にすることができる。

・人間は最初に愛されることを経験し、のちに愛することを学んでいく。

・愛を一番与えた人が、愛を一番受けとる人になるのである。

 

 

自分の中にある泉を探し当てる

・愛は与えると増えるが、与えないと枯渇してしまう。日常の中で愛を与える機会を探してみるといい。

・とにかく「愛を与えることを人生の最優先事項」にして生きてくことだ。そうすれば、あなたは愛と幸せで満ち溢れるようになる。

・「愛の人」になることだ。「愛の人生」を生きることだ。

 

 

境界線は、なぜ生まれるのか

・海の深いところは平穏で穏やかである。荒れるのはいつだって海の表面である。表面は常に動揺する。変化に敏感だ。

・境界線を持たない人には、衝突がない。境界線・区別・分類は、対立の根源的な理由である。

・個別の才を超えて、高次元での類似性を見出せる人は、寛大で調和的な人間であり、本質的な人間である。

 

 

自分の視点を、どこに置くか

・表面は揺れ動いても、あなたの根幹となるもの、あなたの中核となるもの、あなたの本質となるものは、揺れ動くことのない確固たるものでなければならない。

・結局のところそれは、

あなたは何を信じているのかという「信念」
あなたは何を大切に考えているのかという「価値観」
あなたはあなたの命を何のためにどう使いたいかという「使命」

という3つによって形成されるもので、それらが合わさって、揺れ動くことのない芯となり、根っことなる。

・視点はフレームであり、テレビカメラのように、現実の中でどこを切り取るか、ということを決める。その切り取り方で、あなたに見える現実は変わっていく。

 

 

失う前に、その価値に気づこう

・死を意識することで、生が苦しくなることもあるが、死を意識することで生をより価値あるものにすることもできる。

・死に対するある種の割り切りを持つことで、日常の幸せを増やすことができる。終わりを意識することで、瞬間に対する感謝と緊張感が生まれてくる。

 

愛の経験が、生きるエネルギーになる

・花が咲いては散るように、人も生まれては死んでいく。それでもそこに残るものがあるとしたら、それは「愛」ではないだろうか。愛することの経験は、人に「生きるエネルギー」を与える。

・愛する人にはそう感じた時にためらうことなく、それを言葉や行動にして伝えることが大切である。いつどんな時に別れが訪れるか、誰にもわからないのだから。

 

 

まとめ

愛というものの偉大さを感じます。

愛というとどことなく尊大で近寄りがたくまた語るには照れ臭いというイメージがありました。それはどこかボクの中で愛=恋愛というイメージが先行していたからなのかもしれません。

愛一つとっても、親子愛、母子愛、兄弟愛、師弟愛、そしてもっと大きなところには人間愛という言葉があります。

最も幸せなことは愛し愛されることだとボクは思います。

そのためにやはり自分から人に愛を与えることを常日頃から意識していきたいと思っています。

それは小さなことでもいいから人に対して貢献するということなのだと思います。愛を与えると必ず感謝という形で愛は帰ってくるのだということを実感する今日この頃です。

愛の言葉というと照れ臭いですが、日頃からの貢献と「ありがとう」が愛なのではないかなと感じます。

比較の罠から抜け出す−絶望に声を与えよう


心が理由もなくザワザワする時

・生きていると苦しいことがある。いや、人生はむしろ苦しいことのほうが多い。人は歳をとるにつれ、喜びを増やすよりも、苦しみを減らすほうが幸せになれることに気づく。

・心のザワザワのほとんどは、他人との「比較」や、他人との「関係」や、他人からの「評価」を気にすることから生まれてくることに気づくことだ。

 

根本的な成熟のための心の流儀

・第一に「自分をありのままに受け入れる」ことだ。

・第二に「他者をありのままに受け入れる」ことだ。

・第三に「他者との比較や競争をやめる」ことだ。

・第四に「自分のミスを責めすぎない」ことだ。

・第五に「流れに無理して逆らわない」ことだ。

・第六に「相手にエールを送る」ことだ。

・第七に「体調を整える」ことだ。

・第八に「熱い風呂に浸かる」ことだ。

・第九に「何もしない時間をつくる」ことだ。

・第十に「愛を生み出す訓練をする」ことだ。

 

想定外のことが予想外の人生をもたらす

・厄介なのは、人間にとっての記憶というのは、「一番覚えていたいものを忘れ、一番忘れたいものを覚える」ということである。

・「記憶=出来事×解釈」でつくられているので「不可抗力である出来事」は変えられなくても「可抗力である解釈」を変えることができれば、過去の記憶は変えることができるようになる。

・現在の自分は「解釈という武器」を使いこなすことで、「記憶を自在に変換」することができるのだ。

・人生の成功は、調子がいいときにもたらされるものとは限らない。痛みや恐れがあるときこそ、「生への緊張感」は高まるものだ。苦難や苦境、試練や逆境など、そうした極限状態の中で、がむしゃらに頑張った末に、それまでの自分、すなわち、逆境と出会う前の自分では気づくことのできなかったような力が、自分の中から引き出されたりする。

 

不満を未来の原動力として活かす

・自分の中で不満を抱いたときに、過去のせいにしたりせず、まずその不満の存在を自分が認めてあげることである。

・不満を自分の未来へのリクエストとして、その不満を解消することが「未来の自分」のために「いまの自分」ができる最善のことだととらえて、行動に移すことだ。

 

劣等感から生まれる不幸を手放す

・足を引っ張る行為の背後には、様々な感情が見え隠れするが、それらの感情の共通部分には「嫉妬」が含まれることが多い。

・人間は概ね、劣等感を感じると不幸に陥り、優越感を感じると幸福を味わう。これも全て自分の幸福度を相対的に捉えることに起因する。

・自分の幸福観を「相対的なものから絶対的なものへ」と変えないといけない。そのためには比較を超えて、自分への信頼と、他社への愛と、命への感謝をもって生きることを決意する必要がある。

 

自分の心を、より高いところに導いていく

・あなたは今この瞬間を完全なるかたちで味わっているのか。我々が日々感じる不幸感の一番の原因は「心ここに在らず」という状態である。

・自分の価値をつくっているのは、自分の「心」である。心の純度を高め、心を感謝で満たし、心を愛で溢れさせると、心の成分は変わっていく。

 

他者からの評価で本物の幸せは手に入らない

・大切なのは、自分の信じる道を愚直に突き進んでいくこと。そうした「絶対的な自己信頼」だけが、自分を強くし、自分を自由にし、自分を幸せにすることができる。

・感情は大切な何かを我々に気づかせるための、神からの啓示のようなもの。よって、その感情を見て見ぬ振りをするのではなく、自分の人生をより本質的なものにするための素材として活かすことができれば、すべての感情を自分の存在価値を高めるための原材料として受けとるようになれるはずである。

・心より頭を優先すると、心は枯れていく。感情より論理を優先すると、感情は傷ついていく。頭と論理が優先されがちないまの社会で、頭と論理をコックピットから追い出し、もう一度、心と感情に操縦権を委ねることができるかどうか。それこそが人生を自分のものにするための大切な一歩である。

 

まとめ

幸福感を感じられない原因の多くは他者との比較にあると言われます。ボクも少なからず人と比較していました。

人と比較して優越感を感じる時に幸せを感じることは誰しもあることだと思います。でもこの考え方だと幸福感は非常にブレやすい。
比べる対象が変わり自分が劣等感を感じてしまうと突如として自分が不幸であるかのように感じてしまうからです。

人と比較していれば、幸せと不幸が交互に自分の中で交錯して精神衛生上すごく良くありません。

 

他者との関係、ここでいう相対的関係に一喜一憂するのではなく、自分自身に誰にも侵すことのできない絶対的な自分の軸を持つことで他者との比較をしなくなるのだと思います。

絶対的な自分軸を形成するためには、相当な自己信頼感と自己愛、そして他者への愛情が必要なのだと思います。そしてそのすべての根本にあるのは今ここにいることへの感謝なのだと思います。

不満を口にするのは圧倒的に感謝が足りていないから。不満を明日の自分への課題として自分を育てるための糧とすることで、不満は教材になるし感謝の対象にもなりうるのだと思います。

 

人と比べず、感謝して自分を信じる。

そんな生き方が幸福を感じさせてくれるのだと思います。

 

 

影の部分に光を与える-「絶望」に声を与えよう


感情の存在を認めるということ

・まず、ネガティブな感情に「意識的になる」ことだ。なぜなら、ネガティブな状態というのは、自分では統制の利かない無意識領域の中で育つので、気づいてあげないと知らぬうちにどんどん大きくなり、最後は統制不可なものになってしまう。

・「感情に気づく」ということは「感情の存在を認める」ということだ。

・ネガティブな感情は、とても大きなエネルギーを持つので、それをそのまま他者にぶつけてしまうと、取り返しのつかない修復不可能な関係に陥る危険性さえある。

 

人間関係がうまくいかないのは、なぜか

・自分や他者の感情への理解としつけ能力の度合い次第で、その人の人間関係における力量が決まってくる。そしてその能力が高い人は、何かを他者のせいにしたりしない。

・二人のあいだでの信頼の貯金、それがパートナーであれば愛の貯金は、自分と相手の「感情との向き合い方」で決まる、ということを理解することが大切である。

 

感情を表出することで、心は浄化されていく

・抑圧された感情というのは、いずれ治すことのできない「毒」になっていく。それが病気の元となるのだが、そうやって病気にならないようにするためにも、あなたはあなたの感情を溜め込みすぎず、定期的に解放させてあげる必要がある。

・ネガティブな感情を外に吐き出す際には、言葉の力を借りるとよい。感情を言葉にする方法には、大きく二つが考えられる。一つは声に出すこと。もう一つは文章にすることだ。

 

感情を眺めて、その正体をつかむ

・「感情を眺める」ということ。それは感情と向き合う際に、とても大切な視点である。自分の中にあるうちは、それを眺めることはできない。自分の外に出したときにはじめて、それを眺めることができるようになる。

・あらゆる感情を心から愛しつつも、感情の奴隷にならないよう注意する。目指すべき内面の状態は、凪のような平静さが保たれた落ち着きのある心である。

・真の成長は、外面の拡張ではなく、「内面の深化」にある。

 

エネルギーの方向を変えていこう

・変換の鍵は、「思考」である。つまり、ネガティブな感情に対して、真逆のポジティブな「思考」を介在させることで、ネガティブな感情は、ポジティブなエネルギーに変わっていく。

・存在の意義、受容の精神、愛の贈与によって、感情は「解放の道」を歩くことになる。自分の感情を解放できたら、次は他者の感情の解放を助けてあげるといい。

 

まとめ

ネガティブな感情に対していちばんやってはいけないことは心のどこか奥底に追いやることなのだと思います。
感情を押しやってしまうことで一時的にはネガティブな感情から解放されたような気になるけれども心の奥底で溜まりたまってくるものです。

だからネガティブな感情を解放する必要があるということです。でも勘違いしがちなのは感情を解放するということと感情的になるということを混同することです。

感情的になって自分のネガティブな感情を外に出したり他者にぶつけたりしても一時的にはスッキリしたとしても他者との人間関係がギクシャクしたり自分自身がそれによって後悔する結果しか生まなくなるのだと思います。

感情を解放するということはネガティブな感情と一旦しっかりと向き合ってそれを自分の中に落とし込んだ上で言葉にすればいいということです。

感情的になって人に言葉をぶつけたりSNSに愚痴を感情のままに書き込むよりも自分が悩んだ過程やその結果得た経験をブログにしたりSNSで表現することで自分自身の本質的なポジティブは得られるんだと思います。

それによって感情豊かになり人間らしさも伝わり対人関係は良い方向に向かうのではないでしょうか。

 

感情の扉を開く~「絶望」に声を与えよう。


全ての感情は自分の子ども

・人間は自分の中にある、他者には見せられないネガティブな部分まで理解してくれる相手と出会った時に、その相手に対する本当の意味での人間的な信頼を寄せることができるようになる。

・感情というのは、向き合えば自分の味方になるが、向き合わなければ自分の敵になっていく性質を持つ。

・感じる感情自体をあなたがコントロールすることはできないが、その感情がもたらすあなたの人生への影響については、あなたは完全にコントロールすることができるということである。

 

ネガティヴな感情に居場所を与えよう

・ネガティブな感情は除去すべき対象ではなく、その存在をありのまま認め、愛を与えるべき対象である。

・泣きたい時も、人前では絶対泣けない人たち。一人の時しかわんわん泣けない人たち。そういう人たちが一番、心優しい人たちであり、そういう人たちこそが一番、救われるべき人たちである。

 

意識的に感情と向き合う

・いまの「自分の状況」よりも、「自分の感情」を少しでもわかってくれている人が一人でもいると、人は救われた気持ちになる。

・ネガティブな感情に居場所を与えるということには、多義的な側面がある。それは時間を与えることであり、関心を与えることであり、それは愛情を与えることであり、それは言葉を与えることである。

・ネガティヴな感情の終点になり、ポジティブな感情の起点になる。目指すはこの境地である。

 

感情はエネルギーである

・ある感情が生まれたということは、自分の中で「エネルギー」が発生したということである。そこで重要なのは、そのエネルギーをどの方向で、どの用途で、使いこなすか、ということであり、その感情がもたらす自分の人生への結果というのは、劇的に変わっていくのである。

・自分の中にあるネガティブな感情に気づいたら、まずそれをたっぷりと味わってあげるように心がけることだ。感情を吟味することで、ネガティブな

感情は、自分の存在が深く認められた気になる。いつも嫌われがちな自分に対して、関心を寄せてくれたあなたに対して、感謝と信頼を抱くようになる。

 

感情の本当の姿を理解する

・自分の生存を脅かすものに対して、我々はネガティブな感情を抱く。

・あらゆる感情を大事にしながらも、感情的になることについては、慎重になることが、とても大切であるということだ。「感情を感じる」のと「感情的になる」ことは、大きく異なるものだからだ。

 

感情とわかり合える関係を築く

・泣きやまない子どもと向き合うのと同じように、自分の感情にも向き合うことだ。

・すべての感情は神聖なもので、どんな感情にもそれが生まれた理由があり、その理由をちゃんと考えてあげることによって、なぜその感情が生まれたか、ということがわかってくる。

 

ネガティヴな感情に落ち込む必要はない

・ネガティブな感情は吐き出すことが大事である。それを吐き出さずに溜め込むと、楽になるまでかなりの時間と苦しみを覚悟しなければならない。

・ネガティブな感情が現れる場面が増えていくことは、あなたの中に「愛が欠如している」ということのサインとして受けとるようにするとよい。愛と感謝があるれる人は、ネガティブな感情を抱くことが少ない。

 

まとめ

ネガティブな感情が現れたときにはそのネガティブな感情から避けたり、無理やりにポジティブな感情を持ち出してネガティブな感情を追いやったりしていませんか?

ボクは若い頃はポジティブであるべきだという観念に支配されていてネガティブな自分の感情と向き合うことができませんでした。ネガティブな感情と向き合わず自分はポジティブな人間だと思い込むことによって克服してきました。

けど結局本当にネガティブ状況に陥ったときにその状態に耐えることができないほど心を痛めました。
ネガティブな感情というのは自分が虐げられれば虐げられるほどに暴れて自分の存在感を高めてくるものだとその時に痛感したことを覚えています。

ある時に自分の中にネガティブな感情が出てきた時にネガティブな感情と向き合ってとことんまで落ち込んだらなぜかその感情がいつの間にか立ち去っていました。
苦しい状況に追い込まれネガティブな感情が発生するたびに自分のネガティブな感情と向き合うとネガティブ感情は大人しくなるということを実感しました。

今から思えばそれがネガティブ感情に居場所を与えるということなんだと感じます。とことんまでネガティブ感情と向き合うことで本物のポジティブな人間に成長していけるのかなとボクは思います。

 

 

勝負の決め手は脳ミソの数だ。厳密に言うと体験の数だ–革命のファンファーレ


インターネットは「上下関係」を破壊し「水平関係」を作る

・信用がカジュアルに「お金化」できるの時代なので、「信用持ち」には、あらゆる選択肢が与えられる。

・これからは、”信用を稼ぎ、必要な時に必要な分だけ、自分の信用をお金に両替する”という生き方が当たり前になってくる。

 

老いていくことは「衰え」ではない「成長」だ

・100歳時代の僕達が幸せに生きていくためにやらなければならないことは、「アンチエイジング」を推奨することではない。歳を重ねることを、「衰え」ではなく「成長」にすることだ。その答えを探すことだ。

・「20歳から60歳までの仕事」と「60歳から100歳までの仕事」。僕らはこの人生において、前半と後半で2つの仕事をやらなければならない。

・若い人間にはない、ロボットにもない、老人しか持ち合わせていない能力(老人力)を見つけ、それを仕事化していかなくてはならない。

・20代よりも、80代の方が、「愛される欠陥(許され力)」の能力値が高いのだ。この「愛される欠陥(許され力)」を仕事かすることができれば、歳を重ねることをポジティブに捉えることができるし、その仕事はロボットに代替されることはない。

 

次の時代を獲るのは「信用持ち」だ

・「信用持ち」は現代の錬金術師だ。ここからは信用が力を持ち「信用持ち」が時代を獲る。

・まもなく、物質ではなく、サービスでもない、個人の信用そのものが売り物になる職業が世に出てくるだろう。

 

売れない作品は存在しない。キミの作品が売れないのは、キミが「売っていない」だけだ

・負けない(負けようがない)下地を作って、頃合いを見計らって勝負に出る。

・答えはいつも行動が教えてくれる。

・需要を操作するのは難しいけれど、需要を事前に知り、必要な分だけを作ることはできる。

・予測を立てるにしても「過去の実績」よりも「現在の受注数」の方が判断材料として精度が高いだろう。

 

踏み出す勇気は要らない。必要なのは「情報」だ

・幸福度を決めるのはクオリティではなく、昨日からの「伸び率」だ。

・自分の個性というのは編集結果だ。そう考えると編集素材たるアイデア(他人の脳ミソ)の待ち合わせ場所になった者勝ちで、では、どういう人間が待ち合わせ場所として重宝されるかというと、とにかく行動する人間だ。

・勝負の決め手は脳ミソの数だ。厳密に言うと体験の数だ。

・行動することに、勇気は必要ない。

・一歩踏み出すために必要なのは、ポジティヴシンキングではなく、ロジカルシンキングだ。

・情報は、行動する人間に集まり、さらなる行動を生み、また情報が集まってくる。

 

まとめ

やはり結論は行動なのだと思います。

人それぞれの個性が出るのは、それぞれの人が体験してきたことが違うからなんですよね。その体験したことが自分の中でデータ化されて滲み出てくるものなのだと思います。

より多く行動して体験を積んだ人の言葉にはやはり重みがある。そして起こす行動もまるで歯を磨くかのようにいとも簡単にボクらが考えもできないようなことを秒速で行動します。

それは多分彼らが、失敗を重ねながら行動して得てきている個性なんだと思います。それには年齢は関係なくて、若くても常に前のめりで行動しながら経験値を蓄えている人もいれば、ある程度年配の方でも自分の価値観から脱することができずに経験値がある一定のところで止まってしまっている人もいるように思います。

過去がどうかなんて全くもって関係ない。今動くかどうかが未来の自分への伸び率になります。ボクも40歳を越えてきたけれど、今まで以上に安全領域から飛び立ち様々な考え方を持つ人と触れ合いながら自分の経験値を高めたいと思います。

決して遅くない。今動くこと。

これからの人生100年時代においては、生涯学び続け世代を越えて行動力のある人たちとコミュニケーションを強めていくことが大切なのではないかと考えます。

 

セカンドクリエーターを味方につけろ–革命のファンファーレ


セカンドクリエーターを味方につけろ

・クラウドファンディングがメディアで取り上げられる時に、いつも「金額」が注目されるが、クラウドファンディングの金額には何の価値もない。目を向けなければいけないのは、支援学ではなく、もう一つの数字。支援者数だ。

・これまで僕らは「いかにお客さんを増やすか?」の競争をしてきたけれど、そんなことはしなくてよくて、「作り手」を増やしてしまえばいい。作り手は、そのまま消費者になるから。

・クラウドファンディングは、資金調達のツールではなく、共犯者作りのツールである。

・僕らが「買うモノ」と「買わないモノ」を線引きする基準は単純明快、「生活する上で必要であるか否か」だ。

・どうやら僕らは「作品」にはお金を出さないが、「思い出」にはお金を出すようだ。

・「おみやげ」は生活必需品だったのだ。

・人は「体験」に流れ、その「体験」を家族や友達と共有するべく「おみやげ」を買う。

・セカンドクリエーター(ラジオでいうハガキ職人)の層が増えに増えた。

・これからの時代は、このセカンドクリエーターのクリエーター心をいかに揺さぶるか。いかに「作ってみたい」と思わせるか。そこがヒットの鍵になってくる。

 

信用時代の宣伝は、口コミが最強。口コミをデザインせよ

・現代の宣伝力は、つまり信用力だ。信用が担保されない広告に、広告効果などない。

・広告は「いかに口コミをさせるか」の勝負になってくる。

・自分一人で広告をしてはいけない。”広告させる”ことが大切だ。

 

ニュースを出すな。ニュースになれ。自分の時間を使うな。他人の時間を使え

・大切なのはニュースを出すことではなくて、ニュースになることだ。

・手元にはどんなカードがあるのか?そのカードを使ったほうがいいのか、カードを使わないほうがいいのか?それはその時々で変わってくる。広告とは、常に「最適解」を探す作業だ。

 

お客さんは、お金を持っていないわけではなく、お金を出す「キッカケ」がないだけだ

・皆、1500円は持っているのだけれど、本屋には、1500円を出す「キッカケ」がないのだ。

・本屋に置かれている本は、「本の力」だけで売れなければならないのだ。

・そのプロモーションからゴッソリ抜け落ちているのは、コミュニケーションデザインと、それともう一つ、「お客さん側の手柄」だ。

・本気で本を売るのなら”本を買うキッカケ”をデザインする必要がある。それは「コミュニケーション」だ。

 

まとめ

自分自身はクラウドファンディングを立ち上げた経験はないのですが友人のクラウドファンディングの支援をしたことはあります。

その時感じたことは支援をし、プロジェクトに携わっているとそのプロジェクト自体が自分ごとのように感じられてくるということです。

書かれているように金額の多寡は全く広がりができないけれども、共犯者を多く作ることでその輪がさらに大きく広がり支援者が支援者を呼ぶ流れになるということを実感することができた貴重な機会です。

 

商品を売るにしても、サービスを広げたいと思ったとしてもやはりそれはいかに共感者を作ることが大切なのかということを実感します。

共感者となった人がその体験に満足を感じながらセカンドクリエーターとなって商品やサービスを自然発生的に広げていってくれる。そんな環境を作り出していくことができれば成功したも同然なのでしょう。

そのためには「この人のために」とか「お世話になっているから」という信用がその人自体になければならないのだと思う。

しかし信用は1日にしてならず。

結局は地道な努力を積み重ねて人とコミュニケーションをとりながら信用を積み重ねていくことが大切なのだと実感します。

常識にしがみつくな。その船は沈む。逃げろ。–革命のファンファーレ


 

2017年1月お金の奴隷解放宣言。

・奪い合うからお金は発生するのだ。

・もし”限り”がない、無限に続く土地があったなら、奪い合いは発生しない。奪い合いがなければ、お金は発生しようがない。

・インターネットによる物理的制約の破壊は、ありとあらゆるものを無料化した。

 

無料公開を批判する人に未来はない。

・価値がないもの(ゴミ)を無料で提供しても、お金は発生しない。価値があるもの(無料ではないもの)を無料公開しているから、ファンが生まれ、巡り巡ってお金が落ちるている。

・グーグルやYahoo!も無料にした方が売り上げが伸びるという判断だ。一見無料のようだが、その実、マネタイズのタイミングを後ろにズラしているだけの話。

・「自分の意思」ではなく、「お金」によって、選択肢が狭められ、行動が抑制されている。そして、そのルールの外に出ようともしない。これを「お金の奴隷」と呼ばずになんと呼ぼうか。

 

 

過去の常識にしがみつくな。その船はもう沈む。逃げろ。

・モノを売るということは、人の動きを読むということだ。現代でモノを売るなら、当然、現代人の動きを読まなければならない。

・感情に支配されず、常識に支配されず、お金に支配されず、時代の変化を冷静に見極め、受け止め、常に半歩だけ先回りすることが大切だ。

・船ぞこに穴が空き、沈んでいく船の、”まだマシな部屋”を探してはいけない。最後に水が浸かる部屋を奪い合ってはいけない。

 

 

ネタバレを恐れるな。人は「確認作業」でしか動かない。

・人が時間やお金を割いて、その場に足を運ぶ動機は、いつだって「確認作業」で、つまりネタバレしているものにしか反応していない。

・無料公開の出し場所を散らしてしまえば、情報を回収するコストよりも、本を買うコストの方が安いから、ビジネス書ですら無料公開した方が売り上げが上がる。

・無料公開することで実力が可視化されて売り上げが上がる人間と、無料公開することで実力不足が露呈して売り上げが落ちてしまう人間の2種類が存在する。

 

その作品を守るために、「著作権」は本当に必要か?

・かつての僕らは10人しかいない世界で生きていたわけだ。そんな中で、例えば一生懸命…それこそ1年間を費やして、とびきりかわいいキャラクターを生み出したとしよう。生み出すまでの間の収入はゼロだ。となるとこのキャラクターの権利を、”販売”しないことには生きていけない。

・一方1億人の世界だとどうだろう?同じように1年を費やしてかわいいキャラクターを作ったとする。ここで販売することを放棄し、1億人に無料で使われたら、10人の時と同じように食いっぱぐれてしまうのだろうか?いやいや、10人に使われた時と違って、そこには「1億人が使っている」という価値が生まれる。

・著作権の必要度は人口に左右される。場合によっては著作権を放棄した方が売り上げが伸びる場合もある。

・お金のための著作権なら尚のこと。権利を放棄し、できるだけ多くの人に無料で使ってもらい、そのことで多くの人の生活をバックアップし、「使わせてくれてありがとう」という信用を稼いだ方が良い。

・まもなく「貯金」の時代が終わり、信用を貯める「貯信」の時代が来る。というか、もう来ている。信用を貯めることが力を持つ時代に本当に著作権は必要なのだろうか?

 

 

まとめ

ボクらはついつい常識の範疇で、しかも今この時点で損か得かという基準を作ってしまいがちです。

今ここで権利を主張するというのは要は目的がお金であって、お金を奪われることに対しての防衛反応が働くからです。要はお金を奪い合ったり客を取り合ったりするからお金が発生するということを冷静に見る必要がある。

そして、そんな奪い合いに風穴を空けるようにインターネットが今までの常識をことごとく壊していっているということを理解しなければなりません。無料で公開すると提供した人や関係者が損をするというのは一昔前の話で、今では多くの人に知られ利用されることが価値になり様々なビジネスチャンスにつながるのです。

いちいち人の言うことやすることに反応することなく、自分を見つめ直して与えられる価値を見つけ育てることが大切なのだと思います。
それを無料で提供していくことが人の役に立ち、社会の役に立つ。

それはSNSが発達している現代では個人で実行することができるのです。

お金を小賢しく貯めることはそのうち何の価値をも生まなくなり、そうやって価値を提供して信用を貯めるということがその人の何者にも変えがたい価値になるように思います。