「縁」を大切にする
・「誰かと出会う」ということは、そこに「縁が働いている」ということです。仏教ではこの「縁」ということ、「因縁」ということを、非常に重要なことと考えます。
・あらゆるものが因縁によって生じている、この世に存在しているとするのが、仏教の根本的な考え方です。
・「我逢人」という禅語があります。すべての物事は「出会う」ことから始まる。だから人と会うことや、人と会う場、人と出会う姿を大切にしなさい、といった意味です。
いい「縁」を結ぶ
・「良縁」を結ぶためには、普段から準備を整えておくことが必要です。
・「歩歩是道場」という禅語があります。どこにいてもそこが「道場」であり、何としていてもそれが「修行」である、という意味です。
・「いま」「そこ」にある仕事は、あなたが一生懸命にやるべき仕事です。その姿勢でいたら、自ずから良縁がもたらされます。
「正論」を振りかざさない
・正論を言うとき、その人の目線は、必ず相手より高くなっています。そういう関係性の中では、言葉は通じ合わないし、信頼も生まれません。
・どんな考え方も、意見もあっていいのだ、と受け止めてこそ、相手に「度量」を感じさせるというものです。いったん受け止めた上で、淡々と持論を展開する。
・「相手の顔も立てる」というのは、自分の考え方を広げたり、深めたりするために有効なヒントを求めることであり、また人間関係を円滑にし、仕事で成果を出したり、自分自身を成長させたりするための知恵でもあるのです。
「また会いたい」と思わせる
・人付き合いには大事な原則があります。キーワードは「恕」です。恕の意味は「許すこと」「思いやること」です。
・あなたが普段感じている“いやなこと”はいくらでもあるはずです。それを人に対してしないと決めたら、いい変化がたくさん起こります。
・さらにもう一歩進んで、人からされて嬉しかったこと、ありがたかったこと、幸せに感じたことを、相手にも積極的にする。
・道元禅師の言葉に「同時」というものがあります。相手の立場に立って、喜びも、悲しみも、自分のものにするということですが、この教えもどこかで「恕」の精神とつながっているのではないでしょうか。
迷わず助けを求める
・「門を開けば福寿多し」という禅語があります。なにもかも包み隠さず、あからさまにしてしまえば、よいことがたくさんある、という意味です。
・苦しければ苦しいと、辛ければ辛いと、思いをあからさまにする。助けてほしいときは、一人で抱え込まずに助けを求めればいいのです。
損得で判断しない
・損得勘定を人間関係の「前提」にしてはいけない。
・悟りへの道は決して難しいものではない。しかし、たった一つ、ものごとを分別によって判断したり、選り好みすることだけはしてはいけない。
・「放下着」という禅語があります。なにもかも捨ててしまえ、捨てて、捨てて、捨てきってしまえ、と教えています。「損得」のモノサシを捨てれば、人生で大事なことがはっきりと見えてきます。
まとめ
人間関係に苦しむ。だれでも経験のあることではないでしょうか?
この人と仕事をするのはイヤだ、この人と話をするのもイヤだ。
そんな経験は誰しもあるはず。
そんな時にはふと「我逢人」という禅語を思い出そう。
何億人という人の中から偶然出会う人。
みんなそれぞれが奇跡的なご縁によって出会っているわけである。
あなたの思考がその人を必要として引き寄せているのかもしれません。
縁なんてそんなものです。
あんなに第一印象がイヤで、いじめのような待遇を受けたのに、ふと思い返すとその人に出会う前の自分よりもずっと強くなっている。
そんな経験はないですか?
そうすれば、当時がイヤだったとしても、今現在は感謝の気持ちを持てるのです。
イヤな人とも真剣に付き合えば、プラスとなる学ぶところはたくさんあるのです。
三世に生きる。今はあっという間に過去になり、未来がすぐに現在になる。
縁を大切にすれば、きっと今がイヤな人でも、将来思い出せばそれはそれでいい経験だったと思うこともできるはず。
だから、イヤだイヤだとクヨクヨ悩み、今の時間を死んだ時間にするのはもったいないこと。
将来のための種まきだと切り替えることが大切だと感じます。
そして「恕」の精神を持ち、自分がされてイヤだったことは決して相手にしないと誓うこと。
嬉しかったことは積極的に相手に施すこと。
この「恕」の精神こそが、内的な幸福感を得る「良好な人間関係の中で生きる」ためのキーワードではないでしょうか?