「お金」について
・「人間の欲望というものは、たとえヒマラヤの山をすべて黄金に変えたところで、満たされることはない」。
・本来、人生とは自分のやりたいこと、得意なことを一生懸命にやって、社会に何らかの貢献をする。その結果としてなにがしかのお金が入ってくるというものでしょう。
われわれはお金のために生きているのではありません。生きる目的はあくまで前段にあって、お金ではないはずです。
・「少欲知足」という禅語があります。「足ることを知っている人は、たとえ地べたに寝るような生活をしていても、心は安らかで、幸せを感じている。しかし足ることを知らない者は、天上の宮殿のようなところに暮らしていても、満足ということを感じられない。足ることを知らない者は、どんなに裕福であっても、心はいかにも貧しい」ということです。
「恋愛」について
・恋愛で心得ておかなければならないのは「腹八分目」ということだと思います。「相手に完璧を求めないこと」。
・違っていて当たり前。お互いの理解の80%、つまり、腹八分目で「よし」とするのが恋愛をうまく進める、よいさじ加減といえるのではないでしょうか。
・つきあっていくうちに価値観の違いに気づいたら、一歩立ち止まるのがいいと思います。
「夫婦」について
・「露」という禅語があります。すべてがむき出しになっていて、どこにも隠すところがない、というのがその意味。
・愚痴は露わな裸の心がいわせる、相手への信頼がいわせる、包み隠すことのない思いの迸りなのです。
・心おきなく、思う存分、愚痴が言える「環境づくり」を始める。
「親子」について
・度をすぎた過干渉が、子供をスポイルする。その感は強くなるばかりです。
・「是は我が子、わが財宝と考えて、愚かな者は苦しむ。己さえ己のものでないのに、どうして子と財宝とが己のものであろうか」。
・過干渉の背景には子供を“わがもの”と思う心があるのでしょう。早々にその愚かな心を断ち切ったら、親子関係は清々しく、正しく、軽やかなものになります。
「死」について
・「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」。仏教者として一番大事なことは、生きるとはどういうことを明らかにし、さらに、死の意味も明らかにして、それをどう受け止めるかだ、ということです。
・「前後際断」という禅語があります。その一瞬一瞬が絶対であり、前も後ろもつながっていない、ということです。生も死もそれぞれに絶対なのです。生は死に至る前の姿ではなく、死は生の後の姿としてあるわけではない。
・生ききるとはその絶対の生をまっとうすること、ひたすら一生懸命に生きること。死は自分ではどうすることもできませんから、仏様にお任せしていればいい。
まとめ
生きている間は悩みは尽きないものですよね。
でも、その悩みが100%解決されるということはほとんどありません。
なぜ解決されないのか?
それはわたしたちが完璧主義を捨てきれないことが原因にあると感じます。
人間の欲求は果てしない。
何かが満たされれば、また新しい何かを欲する。
完璧な状況でありたいという欲求が悩みを引き起こしているのではないかと考えさせられます。
足るを知ること。現状に感謝して「こうでなければならない」という思い込みを捨てること。
それが、悩み方を変えて幸福感を手に入れる手段なのではないでしょうか。