「自分のペース」を知っている人は仕事ができる
・重要なのは「自分のペースをしっかりつかみ、それを守り抜く」ことです。
・道元禅師の言葉に「毫厘(ごうり)も差あれば、天地懸(はるか)に隔たり」という言葉があります。
一言でいえば、ちょっとの差もやがては天地ほど違ってくる、という意味。
コツコツと着実に進めるために、自分のペースを守るのが大事なのです。
「頑張る」のも、ほどほどにする
・とにかく努力をしなければならない、と自分を駆立てていく「努力主義」には落とし穴があるからやっかいです。
・「欠気一息(かんきいっそく)あるべし」。静かなところで、呼吸を整える。一息つくことが大切だ。
・「ひと息つく」ことは「視野を広げる」ことになります。そうすると全体を見通せるのです。
・「オーバーワーク」は自分のためにも周囲のためにもなりません。
闇雲な「努力主義」から一歩離れてみると、努力の「質」が高まるのです。
「自分を責める」前に、やるべきことがある
・「結果」はもう変えられないのですから、目を向けるべきは「プロセス」です。
・失敗したらきちんと「プロセス」に目を向けること。むしろ「結果」は放念してしまう。
・「一念忘機(いちねんきをぼうず)」という禅語があります。
心を働かせず、余計なはからいを一切捨てる、という意味です。
・まず「一念忘機」があって、それから「一念発起」をする。
「失敗を成功に転じる」禅的発想法
・失敗やミスを糊塗しようとして、すればするほど、傷口を広げることになるのが言い訳なのです。これは動かぬ原理です。
・マイナスをプラスに転じる。これは禅的な発想の基本です。
・「処々全真」という禅語があります。
失敗もミスも、それが今の自分にとってのすべての結果として、すべての真実として受け取る、という意味です。
負けから学べないものに成長なし
・「勝ってうれし涙、負けて悔し涙」。勝っても負けても、そこで涙を流せるくらいプロセスにおいて一生懸命にやることにこそ意味があるのだ。
・負けを活かすも殺すも、すべては「プロセス」にかかっています。
「手放す」ほど、大事なものが手に入る
・禅語でいう「身心脱落」。
ここでいう「脱落」とは「解脱」という意味で、一切合切を放下し、なんの執着もない、という「自由無碍」の境地を指します。
・道元禅師の言葉に、「放てば手にみてり」というものがあります。
欲や執着を手放したとき、本当に大切なものが手に入る、ということです。
・上手に「あきらめる」ことには、坐禅にも匹敵するような作用があるようです。
過度な競争心は、健康をもむしばむ
・競争からちょっと離れると、自分のペースを取り戻せます。
・感情は素直に表現して、なおかつ抑制がきいているのが美しい振る舞いといえるのではないでしょうか。
・「平常心是道(びょうじょうしんこれどう)」という禅語があります。
感情のままに自然に動いていいのです。しかし、いつまでもそこにとどまっていない、小さな振れ幅であるべき場所に戻ってくる。
それが「平常心」ということでしょう。
けっして、自分以外を“主体”にしてはいけない
・時代が移ろうと、社会が変わろうと、けっして変わることなく輝き続けるもの。
それが「道理」であり「真理」です。
・ふれあい、結ばれる絆の強さ...。それらは、思いやる心が生きる拠り所にするに足る真理であるからこそ、感じられるものではないでしょうか。
・「自灯明、法灯明(じとうみょう、ほうとうみょう)」。
常に「自分」というものを主体に置いて、時代を超えて変わらないものを拠り所として生きていれば、心はいつも安心です。
まとめ
気がつけば自分のペースが乱れている。
そんな状況ってよくありませんか?
自分のペースを守るということは人生において何かを成し遂げるために本当に大切なことだと思います。
それでは自分のペースが乱される時ってどんな時でしょうか。
競争にさらされる時。
自分自身の環境に変化が起こる時。
いわゆる空氣を読まなければならない時。
。。。
色々な状況があると思います。
そのような状況が長く続くと病んでしまいますよね。
上のような状況は、他人軸に自分が取り込まれてしまっている状態ですよね。
では、自分のペースを守るためにどうすればいいのか?
禅の言葉「自明灯、法明灯」に集約されているのではないのでしょうか。
とにかく「これは自分の人生なんだ」ということを自覚する。
そして人生を主体的に当事者意識を持って生きる決意をすることにあるのではないでしょうか。