他者の課題を切り捨てるー嫌われる勇気


承認欲求を否定する

・われわれは「他者の期待を満たすために生きているのではない」のです。

・他者からの承認を求め、他者からの評価ばかり気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになります。

・他者もまた「あなたの期待を満たすために生きているのではない」のです。

 

「課題の分離」とはなにか

・たとえば目の前に「勉強する」という課題があったとき、アドラー心理学では「これは誰の課題なのか?」という観点から考えを進めていきます。

・われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題を分離していく必要があるのです。

・あらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと―あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること―によって引き起こされます。

・誰の課題かを見分ける方法はシンプルです。「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのはだれか?」を考えてください。

・自らの生について、あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけです。一方で、その選択について他者がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です。

 

承認欲求は不自由を強いる

・他者の期待を満たすように生きること、そして自分の人生を他人任せにすること。これは、自分に嘘をつき、周囲の人々に大しても嘘をつき続ける生き方です。

・課題を分離することは、自己中心的になることではありません。むしろ他者の課題に介入することこそ、自己中心的な発想なのです。

 

本当の自由とはなにか

・自由とは、他者から嫌われることである。

・他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。つまり自由になれないのです。

 

対人関係のカードは、「わたし」が握っている

・「あのとき殴られたから関係が悪くなった」と考えるのは、フロイト的な原因論的な発想です。

アドラー的な目的論の立場に立てば、因果律の解釈は完全に逆転します。つまり、私は「父との関係をよくしたくないために、殴られた記憶を持ち出していた」のです。

・問題は私が決心するかどうかであって、対人関係のカードは常に「わたし」がにぎっていたのです。

・わたしが変わったところで、変わるのは「わたし」だけです。その結果として相手がどうなるかはわからないし、自分の関与できるところではない。

 

 

まとめ

課題の分離。
この言葉に人間関係のあるべき姿がこのひとつの言葉に凝縮されているとさえ感じます。

 

親子関係から生じるトラウマ。

夫婦関係のもつれ。

職場の同僚や上司との関係における悩み。

 

すべて、相手に対する課題に対して、自分が過干渉したりされたりすることによって生じるものです。

 

相手にいいふうに見られたい。

相手の期待に応えたい。

 

相手軸にはまっていくほど、「本当の自分」との間できしみを上げる。

そんな生き方は本当に苦しいですよね。

ましてや、近しい人間関係のなかではなおさらです。

 

他者の期待に過剰に反応して、自分自身のたいせつなものを犠牲にする。
自己犠牲の精神は一見美しいもののようにも思えてしまうもの。

しかし、そうやって他者の人生に生きることは、自分自身の人生への責任を棚上げしているようなもの。

 

人間関係の中で幸福感を得るためには、課題の分離をして、自分の課題にフォーカスする。

それは決して自己中心的なのでなく、自分の人生に田する全責任を自分で負うことなのです。

 

「嫌われる勇気」を持つことが、人間関係の悩みから抜け出す第一歩ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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すべての悩みは対人関係−嫌われる勇気


なぜ自分のことが嫌いなのか

・短所ばかりが目についてしまうのは、あなたが「自分を好きにならないでおこう」と、決心しているからです。

・わたしにできることとしては、まずは「今の自分」を受け入れてもらい、たとえ結果がどうであったとしても前に踏み出す勇気を持ってもらうことです。アドラー心理学では、こうしたアプローチのことを「勇気づけ」と呼んでいます。

・なぜ短所ばかり見つめ、自分を好きにならないでおこうとしているのか?それはあなたが他者から嫌われ、対人関係のなかで傷つくことを過剰に怖れているからです。

・「悩みを消し去るには、宇宙のなかにただひとりで生きるしかない」。

 

すべての悩みは「対人関係の悩み」である

・われわれは孤独を感じるのにも、他者を必要とします。

・「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである。」

・個人だけで完結する悩み、いわゆる内面の悩みなどというものは存在しません。

 

言い訳としての劣等コンプレックス

・人は無力な存在としてこの世に生を受けます。そしてその無力な状態から脱したいと願う、普遍的な欲求を持っています。アドラーはこれを「優越性の追求」と呼びました。

・劣等感それ自体は、別に悪いものではない。劣等感は努力や成長を促すきっかけにもなりうるものです。

・劣等コンプレックスとは、自らの劣等感をある種の言い訳に使い始めた状態のことを指します。

・本来はなんの因果関係もないところに、あたかも重大な因果関係があるかのように自らを説明し納得させてしまう。アドラーはこれを「見かけの因果律」という言葉で説明されています。

 

人生は他者との競争ではない

・「優越性の追求」とは、自らの足を一歩前に踏み出す意思であって、他者よりも上を目指さんとする競争の意思ではありません。

・健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるものです。

・対人関係の軸に「競争」があると、人は対人関係の悩みから逃れられず、不幸から逃れることはできません。

 

直面する「人生のタスク」をどう乗り越えるか

・まず、行動面の目標は「自立すること」と「社会と調和して暮らせること」の2つ。そしてこの行動を支える心理面の目標が「わたしには能力がある」という意識、それから「人々は私の仲間である」という意識です。

・これらの目標は、アドラーのいう「人生のタスク」と向き合うことで達成できるわけです。

・ひとりの個人が、社会的な存在として生きていこうとするとき、直面せざるをえない対人関係。それが人生のタスクです。

 

「人生の嘘」から目を逸らすな

・世間はいつでも危険なところになりうるし、あらゆる他者を「敵」と見なすことも可能なのです。

・アドラーは、さまざまな口実を設けて人生のタスクを回避しようとすることを指して、「人生の嘘」と呼びました。

・アドラーは、人生のタスクや人生の嘘について、善悪で語ろうとしていません。いまわれわれが語るべきは、善悪でも道徳でもなく、“勇気”の問題です。

・アドラー心理学とは「勇気の心理学」であり、同時に「使用の心理学」である。

・目的論の立場に立って、自らの人生を、自らのライフスタイルを、自分の手で選ぶのです。われわれにはその力があります。

 

 

まとめ

生きている限り悩みは付き物ですよね。
アドラーは「すべての悩みは対人関係にある」と断言します。

悩みのない暮らしをしたいならば、宇宙の中でひとり孤独に暮らすしかないとまで言っています。

他の人と比べることによって、人生に言い訳をしていませんか?

人の生活をうらやんだり、人の能力が自分の能力より優れていると思い込んで妬んだり。。。

それらは、すべて原因論の立場に立って、本来ありもしない原因を勝手に自分の中でつくっているからです。
いわば、できない理由をつくることによって自分を守っているのです。

 

ここで重要なのは「人生のタスク」という言葉。

それは「自立すること」「社会と調和して暮らすこと」の二つに要約される。

これは、自分と向き合い、自分を認め、他者をも認める生き方。

 

わたしたちは人生における様々な場面で「人生のタスク」に直面します。

そしてそれにどう対処するのかの決定権はわたしたちが握っているのです。

 

劣等コンプレックスに苛まれ、悩みの多い人生を選ぶのか。

自分と向き合う勇気を絞って、目的論的立場に立って一歩でも前に進むのか。

 

それはあなたの選択次第なのです。
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トラウマを否定せよー嫌われる勇気


なぜ「人は変われる」なのか

・過去の原因にばかり目を向け、原因だけで物事を説明しようとすると、話はおのずと「決定論」に行き着きます。

・アドラー心理学では、過去の「原因」ではなく、いまの「目的」を考えます。

・「不安だから外に出られない」のではありません。順番は逆で「外に出たくないから、不安という感情をつくりだしている」と考える。

・われわれは原因論の住人であり続ける限り、一歩も前に進めません。

 

トラウマは、存在しない

・アドラー心理学では、トラウマを明確に否定します。

・われわれは自分の経験によるショック―いわゆるトラウマ―に苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。

自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである。

・われわれはみな、なにかしらの「目的」に沿って生きている。それが目的論です。

 

人は常に「変わらない」という決心をしている

・アドラー心理学ではライフスタイル(人生のあり方)は自ら選びとるものだと考えます。

・あなたはあなたのライフスタイルを、自ら選んだのです。

・あなたが変われないでいるのは、自らに対して「変わらない」という決心を下しているからなのです。

・つまり人は、いろいろと不満はあったとしても、「このままのわたし」でいることのほうが楽であり、安心なのです。

・アドラー心理学は、勇気の心理学です。あなたが不幸なのは、過去の環境のせいではありません。ましてや能力が足りないのでもない。

あなたには、ただ“勇気”が足りない。いうなれば「幸せになる勇気」が足りていないのです。

 

あなたの人生は「今、ここ」で決まる

・「もしも何々だったら」と可能性のなかに生きているうちは、変わることなどできません。

・あなたは「あなた」のまま、ただライフスタイルを選びなおせばいい。

・「これまでの人生に何があったとしても、今後の人生をどう生きるかについて何の影響もない」

 

 

まとめ

あなたは今この瞬間を自分らしく生きていますか?
それとも、過去や他者との関係にとらわれながら生きていますか?

 

過去にこんな辛い経験をした、だから今がこんな状態なんだ。

親がこんなんだから、自分はこうなってしまったんだ。

政治が悪いから、生活が苦しいんだ。

会社の方針が悪いから、業績が上がらないんだ。

 

こんな風に愚痴をこぼしている毎日を送っていませんか?
こういった「原因論」に立っている限りは、わたしたちは一切成長することはできません。

なぜなら、これはすべての原因を他のものに委ねていて、そうやって他者の責任に帰すことで自分が安心感を得ているからです。

どこかうまくいっていない現状に不満をいだきながらも、実はその状態が心地よいのかもしれません。

 

でも、われわれが現状を打破して、理想とする将来にするためは「目的論」的な立場に立たなければなりません。

「〜だからできない」ではなく「〜するためにどうすればいいのか」という立場に立って、動き出す勇気が必要なのです。

 

いたずらに他者に「人生の主導権」を譲ってはいけない。

自分で自分の人生のハンドルはしっかりと握り、自分がたどりつきたいゴールを目指す。
いわば悪路かもしれない「今」をひたすら走り続ける勇気を持つことが本当に大切なのです。

 

あなたも「幸せになる勇気」を持ってみませんか?
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「発想の豊かさ」はここから生まれるー「考える力」をつける本


オリジナルなものを生み出す力

・だれにも「立場」というものがある。その立場から、どれほど離れられることができるか。その距離が、独創的なものを生み出す源泉となる。

・自分が「生活者」になることだ。多くの会社員は、職場を離れても「会社人間」のままでいる。職場を一歩離れたら、「生活人間」に切り替えなくてはいけないのに。

・ほかの人とちょっと違う「行動」を意識的に「演出」することが、同じ流れから抜け出す一つの方法なのである。素材との出逢いのチャンスを自ら創出するのである。

・平凡な体験であっても、「なぜ?」かを深く考えていこうとする筆者の精神の動きは、読む人に新鮮な印象を与えることになるはずである。

 

「好奇心」の領域を広げていく法

・ちょっとしたツテを有効に生かすことができるかどうかは、サラリーマンの能力の中でも特に重要な要素である。

・人間関係のツテは、ツテがあるというだけでは生きてこない。「知」の領域の広さがツテを生かす道である。いいかえれば、話題が豊富であること。

・ちょっとした「ツテ」、つまり「きっかけ」を大切にして、その都度、集中豪雨的に、次から次へとツテを継いで、調べを進めてゆくのである。「ツテ」を有効に生かすことこそ、人との付き合いや、「知」の幅を広げる道なのだ。

・「好奇心の領域を広げてゆく法」とは、遊びのこころであり、遊びの方法なのだ。

・何か一つ、こころに引っかかったら、糸をたぐるように追跡してゆく。いつも何者かに問いかけようと努めることを通じて、「こころに引っかかる」ものを求めてゆく。それからあと、集中豪雨的に一つのことに関心を集中させて、先へ先へと進んでゆく。

 

遊び上手は仕事上手

・人間はもともと「遊ぶ」ようにできているのである。だから、遊びたくなる自分に思い患う必要はない。むしろ、遊びたくならなかったら、体や精神のどこかが痛んでいるのではないかと、心配したほうがいい。

・仕事に追われれば、追われるほど遊びたくなるのは、人間としてごく自然なこころの動きなのだ。だから、遊びたくなったら遊ぶことだ。

・「火事場の馬鹿力」を仕事に応用する。「火事場の馬鹿力」を出すような状況を、意識的に作り出す。

・遊び心を無理矢理抑えつけながら、集中力のない仕事を続けるのに、それほどの勇気はいらない。だが、思い切って遊んでしまうには、それ相応の勇気が求められるのである。

・「勇気のない人は、遊ぶべからず」。「知性は、仕事よりもむしろ遊びに宿る」。「遊び上手は仕事上手」。

 

 

まとめ

遊ぶことに罪悪感を感じていませんか?

 

朝早くから夜遅くまで働いている。
休みの日もつぶしながら仕事をしている。

自分自身つまらないな〜と感じる毎日を送っていませんか?

 

私も30代前半がそんな感じ。

ただただ、自分も必死に「会社人間」であろうとした。

仕事が好きで持って帰ってしても充実しているという「仕事人間」ではなかった。

まわりの人に合わせて「自分もそうでなければならない」という思い込みをしていた「会社人間」でした。

休みも仕事。持って帰って家で仕事。

そんな生活をしていたが、結局能率があがらず時間に対する生産性が悪かった。

つまりは、すべてを「会社」や「仕事」のせいにして、内容の悪い仕事をしていたのです。

 

でも、今は自分の生き方の選択は自分自身ですることはできることに気づきました。

仕事のときは仕事を真剣にする。

遊ぶときは真剣に遊ぶ。

 

生活者に帰るという行為は、仕事の集中力を高め能率を上げてくれる。

そして、読書をしたり、SNSを通じて会社以外の人たちと触れ合うことで、自分の感性が磨かれ発想が豊かになる。

「遊ぶ」という行為はそんな好循環を生み出してくれるものだと感じます。

 

是非、遊ぶ勇気を持つことをオススメします(笑)。

 

 

 

 

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「考える力」と「表現する力」を磨く法ー「考える力」をつける本


「考えるきっかけ」をどうつかむか

・世界について考えようとするときには、まず、頭の中から「世界」という言葉を追い払おう。

そのうえで、日本、もっというなら、身の周りの日常性に思いを凝らす。そこから、世界へと、考えを広げていく。

・「ストローの穴から天井を覗く」。日本から世界を覗くのも、世界から日本を覗くのも、はなから全体を覗こうとしても覗けるものではない。

小さく覗いて、大きく育てる。そんな心構えのほうが効果を上げるのではあるまいか。

・「同質性」を知って得るものはただの「安心」だが、「異質性」を知って得るものは「知」の楽しみである。

・「同質性」と「異質性」の問題を「知的に整理」してゆけば、ほんとうは、日本とか日本人とかいうものも存在していないのかもしれない。

そこへ思いが至ったとき、わたしたちの意識は、限りなく自分という一人の人間へ、自分の暮らす一つの地域へと帰っていく。

 

「書くこと」は「考えること」

・できるだけ身近な問題に目を向けることから、次第に視野を広げてゆくという「物の見方」、「考え方」は、思考の一つの方法であると同時に、「書き方」の方法でもあるはずだ。

・「書くこと」は、「思うこと」や「考えること」をさらに深化させる、自分自身のこころの奥への小さな旅なのである。

その旅によって、人は、新しい自分を、新しい自分の「考え方」、「ものの見方」を発見するだろう。

・「なぜ?」という問いこそ文章を書かせ、先へ先へと書き続けてゆくエネルギーの源なのである。

・「考え方」とは、自らに「なぜ?」と問いかけながら深さを獲得ししてゆく方法ではなかったのか。多くを考えて、多くを捨てる。「考え方」とは、問いかけによる「削り方」なのである。

 

「情報」を生かすための考え方

・情報は「情報」という名札をつけて、そこらに転がっているものではない。人間が、その気にならない限り、「情報」というものはない。

・人の命に関わるような情報も、人の命に関係する立場にある人が、命の問題に人間として誠実に立ち向かおうとすることによって、はじめて「情報」として存在することになり、生きてくるのである。

・まことに「情報」の生かし方とは、人生の選択の問題であり、判断であり、決定であり、そして勇気である。

 

議論の方法

・「論理的」イコール「正しいこと」とは限らない。

「論理的」という言葉には、どこか肩をいからせ、目を吊り上げたような気配があるけれど、「筋道」には、語り合いながら森の中の道を歩いてゆくような風情がある。

・結局は肯定的な結論に落ち着くにしても、否定があってこそ議論の幅が広がり、結論としての「肯定」が、くっきりと際立ってくる。

・人は好んで「論理」ということを口にするけれど、早い話が、それは「直感」を筋道立てて説明することに過ぎないのではあるまいか。

・論理も筋道も直感も、感動にはじまるのである。ものごとにこころ動かすこと少ない人は、筋道を立てて論理的に考えること少ない人であるはずだ。

・こう書き、語れば、人に理解してもらえるだろうかと、常に自分を振り返り、批判しながら、他人に納得してもらえるような説得力のある表現を探し求める行為こそが客観性を求める作業なのである。

 

 

まとめ

大きな部分にばかり目がいって抽象的になってしまうということはありませんか?

 

結論を急ぎすぎると、考えも面白みがなくなってしまいますよね。

小さな部分から、考えを巡らせて大きく膨らませていくという思考をしていく。

「なぜ?」「なぜ?」と問いかけながら。

すると、想像力が働いて、もっと大きいものが考えだせるかもしれない。

結果からプロセスをたどると物事は面白くない。

プロセスを積み上げながら、考えをまとめていきたいものです。

 

そして、それは表現するときも同じことがいえる。

例えばブログ。

すでに完成された先人が到達したことをなぞっているものよりも、

未熟でも自分自身の言葉を用いて、リアルで身近な経験を綴られているもののほうが面白いですよね。

そういう意味で「日常性」というのは、どんなブログにも適用されるキーワードなのではないでしょうか。

そして、自分なりの「筋道」を持ちながらも、どうしたら読み手に喜んでもらえるのだろうかと常に客観性を求めることが大切ですね。

 

拙いながらもブログを書く身としては、非常に参考になる内容でした。

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「考える力」をつけるための第一歩−「考える力」をつける本


「今日一日」から始める知的生産術

・今日「自分のために」どれだけの時間を使ったか?
・わたしたちは、二つの時間を生きている。一つは、人間としての自分の時間である。もう一つは、仕事というものが、否応無しに押し付けてくる時間である。

・「ゆとり」を持てない人にいい仕事はできない

・「循環する自然の単調さから逃れるために」、「時」を定めた人類はいま、自らが定めた「時」に追われている。そして、「時間の上手な使い方」が問われているのである。

・仕事で行き詰まったら、「目的」から一時的に離れることだ。代償を求めない無償の行為に転換しなければならない。

 

新聞から何をどう読み取っていくか

・朝、新聞を読むことは、「考える」ための基本となる資料入手の第一歩なのである。

・国際問題、政治、経済など、あらゆる問題に点いて、内外のマスコミの扱いの差を知っておくのはとても重要なことだ。

・「情報」や「資料」というゼッケンをつけていない情報や資料こそ重要であると知るべきである。お仕着せだけを受け取るのでなく、自らが自分の意識と感性で読み取り、聴き取る情報や資料こそ意味深いのだ。

・一つのマスコミに流されるのではなく、報じ方や論調に立ち向かうくらいの問題意識を持つ。

 

「量の読書法」と「質の読書法」

・失敗も読書のうち。読んで、つまらない、と感じるのは読んだからなのである。「つまらない」と思っても、それを「失敗」と考えてはいけない。「つまらない」と判断できたことをむしろ誇るべきである。

・いい文章を書くためには、人の文章をたっぷり読まなければならないのと同じに、いい本に巡り会うには、失敗を恐れずに本をたっぷり読まなければならない。

・メモはあとでとればいい。そのほうがリズムは持続できるし、ここぞという部分を記憶するためにも効果的なのである。

 

「いい問いかけ」の条件

・自分自身に対する問いかけがなければ、考えたり、書いたり、しゃべったりするための資料はどこからも出てきはしない。「問い」があってこそ、あらゆるものの意味が現れてくる。「問い」がなければ、「意味」もまたない。

・「問い」に応じて「答え」を考える資料は出てくるものなのである。いうまでもなく、いうまでもなく、資料を探し出す苦労は常につきまとう問題であるし、ついには発見できないままになってしまうことも多い。しかし、いずれにせよ、はじめに「問い」がなければ、わたしたちは考えることに向かって出発することができない。

・人間は、教えたい動物なのである。そのためには、質問を具体的に設定することだ。そう務めることによって、質問者であるわたしたちは。思考をを広げ、具体化してくれる資料のほうへ向かっておのずと出発していることになる。

 

 

まとめ

日々考えていますか?

私は自己診断で非常に考えが浅い人間だと思っています(苦笑)

だからこの本を思わず手にとったのかもしれません。

 

なぜ、考える力がないのか?

やはり忙しすぎたのかも。

仕事や自分のまわりのことに、時間を支配されていたということが言えると思います。

否応無しに自分に押し付けられる時間に支配されると、考える隙もなく時間の渦に飲み込まれてしまう。

 

主体的に自分の時間を作り出すということが考える力の源泉にあると感じます。

 

 

そして、もう一つはすぐにあきらめていたこと。

自分にはできないという自分の限界値を勝手に決めていた。

そして、苦手なことや関係のないと判断したものには触れずに追いやっていたというように感じます。

無難だけれど考えずにすむ生き方。

楽だけど、これでは考える力はつくはずもない。

 

「問い」がなければ「答え」はない。

 

わからないことを恐れず、自分の中で「問い」を持つことがすごく大切だと感じます。

 

ヒントになったのは人に教えるためということをモチベーションに変えること。

これは使えるかもしれません。

 

何かを始めるのに遅すぎることはない。

「考える力」をつける第一歩を踏み出したいものです。
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「悩み方」を変えると人生は好転する−心配事の9割は起こらない


 「お金」について

・「人間の欲望というものは、たとえヒマラヤの山をすべて黄金に変えたところで、満たされることはない」。

・本来、人生とは自分のやりたいこと、得意なことを一生懸命にやって、社会に何らかの貢献をする。その結果としてなにがしかのお金が入ってくるというものでしょう。
われわれはお金のために生きているのではありません。生きる目的はあくまで前段にあって、お金ではないはずです。

・「少欲知足」という禅語があります。「足ることを知っている人は、たとえ地べたに寝るような生活をしていても、心は安らかで、幸せを感じている。しかし足ることを知らない者は、天上の宮殿のようなところに暮らしていても、満足ということを感じられない。足ることを知らない者は、どんなに裕福であっても、心はいかにも貧しい」ということです。

 

「恋愛」について

・恋愛で心得ておかなければならないのは「腹八分目」ということだと思います。「相手に完璧を求めないこと」。

・違っていて当たり前。お互いの理解の80%、つまり、腹八分目で「よし」とするのが恋愛をうまく進める、よいさじ加減といえるのではないでしょうか。

・つきあっていくうちに価値観の違いに気づいたら、一歩立ち止まるのがいいと思います。

 

「夫婦」について

・「露」という禅語があります。すべてがむき出しになっていて、どこにも隠すところがない、というのがその意味。

・愚痴は露わな裸の心がいわせる、相手への信頼がいわせる、包み隠すことのない思いの迸りなのです。

・心おきなく、思う存分、愚痴が言える「環境づくり」を始める。

 

「親子」について

・度をすぎた過干渉が、子供をスポイルする。その感は強くなるばかりです。

・「是は我が子、わが財宝と考えて、愚かな者は苦しむ。己さえ己のものでないのに、どうして子と財宝とが己のものであろうか」。

・過干渉の背景には子供を“わがもの”と思う心があるのでしょう。早々にその愚かな心を断ち切ったら、親子関係は清々しく、正しく、軽やかなものになります。

 

「死」について

・「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」。仏教者として一番大事なことは、生きるとはどういうことを明らかにし、さらに、死の意味も明らかにして、それをどう受け止めるかだ、ということです。

・「前後際断」という禅語があります。その一瞬一瞬が絶対であり、前も後ろもつながっていない、ということです。生も死もそれぞれに絶対なのです。生は死に至る前の姿ではなく、死は生の後の姿としてあるわけではない。

・生ききるとはその絶対の生をまっとうすること、ひたすら一生懸命に生きること。死は自分ではどうすることもできませんから、仏様にお任せしていればいい。

 

 

まとめ

生きている間は悩みは尽きないものですよね。

でも、その悩みが100%解決されるということはほとんどありません。

 

なぜ解決されないのか?

それはわたしたちが完璧主義を捨てきれないことが原因にあると感じます。

 

人間の欲求は果てしない。

何かが満たされれば、また新しい何かを欲する。

完璧な状況でありたいという欲求が悩みを引き起こしているのではないかと考えさせられます。

 

足るを知ること。現状に感謝して「こうでなければならない」という思い込みを捨てること。

それが、悩み方を変えて幸福感を手に入れる手段なのではないでしょうか。

 

 

 

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人間関係が驚くほど楽になるヒント−心配事の9割は起こらない


「縁」を大切にする

・「誰かと出会う」ということは、そこに「縁が働いている」ということです。仏教ではこの「縁」ということ、「因縁」ということを、非常に重要なことと考えます。

・あらゆるものが因縁によって生じている、この世に存在しているとするのが、仏教の根本的な考え方です。

・「我逢人」という禅語があります。すべての物事は「出会う」ことから始まる。だから人と会うことや、人と会う場、人と出会う姿を大切にしなさい、といった意味です。

 

いい「縁」を結ぶ

・「良縁」を結ぶためには、普段から準備を整えておくことが必要です。

・「歩歩是道場」という禅語があります。どこにいてもそこが「道場」であり、何としていてもそれが「修行」である、という意味です。

・「いま」「そこ」にある仕事は、あなたが一生懸命にやるべき仕事です。その姿勢でいたら、自ずから良縁がもたらされます。

 

「正論」を振りかざさない

・正論を言うとき、その人の目線は、必ず相手より高くなっています。そういう関係性の中では、言葉は通じ合わないし、信頼も生まれません。

・どんな考え方も、意見もあっていいのだ、と受け止めてこそ、相手に「度量」を感じさせるというものです。いったん受け止めた上で、淡々と持論を展開する。

・「相手の顔も立てる」というのは、自分の考え方を広げたり、深めたりするために有効なヒントを求めることであり、また人間関係を円滑にし、仕事で成果を出したり、自分自身を成長させたりするための知恵でもあるのです。

 

「また会いたい」と思わせる

・人付き合いには大事な原則があります。キーワードは「恕」です。恕の意味は「許すこと」「思いやること」です。

・あなたが普段感じている“いやなこと”はいくらでもあるはずです。それを人に対してしないと決めたら、いい変化がたくさん起こります。

・さらにもう一歩進んで、人からされて嬉しかったこと、ありがたかったこと、幸せに感じたことを、相手にも積極的にする。

・道元禅師の言葉に「同時」というものがあります。相手の立場に立って、喜びも、悲しみも、自分のものにするということですが、この教えもどこかで「恕」の精神とつながっているのではないでしょうか。

 

迷わず助けを求める

・「門を開けば福寿多し」という禅語があります。なにもかも包み隠さず、あからさまにしてしまえば、よいことがたくさんある、という意味です。

・苦しければ苦しいと、辛ければ辛いと、思いをあからさまにする。助けてほしいときは、一人で抱え込まずに助けを求めればいいのです。

 

損得で判断しない

・損得勘定を人間関係の「前提」にしてはいけない。

・悟りへの道は決して難しいものではない。しかし、たった一つ、ものごとを分別によって判断したり、選り好みすることだけはしてはいけない。

・「放下着」という禅語があります。なにもかも捨ててしまえ、捨てて、捨てて、捨てきってしまえ、と教えています。「損得」のモノサシを捨てれば、人生で大事なことがはっきりと見えてきます。

 

 

まとめ

人間関係に苦しむ。だれでも経験のあることではないでしょうか?

この人と仕事をするのはイヤだ、この人と話をするのもイヤだ。
そんな経験は誰しもあるはず。

 

そんな時にはふと「我逢人」という禅語を思い出そう。

何億人という人の中から偶然出会う人。

みんなそれぞれが奇跡的なご縁によって出会っているわけである。

あなたの思考がその人を必要として引き寄せているのかもしれません。

 

縁なんてそんなものです。

あんなに第一印象がイヤで、いじめのような待遇を受けたのに、ふと思い返すとその人に出会う前の自分よりもずっと強くなっている。

そんな経験はないですか?

そうすれば、当時がイヤだったとしても、今現在は感謝の気持ちを持てるのです。

イヤな人とも真剣に付き合えば、プラスとなる学ぶところはたくさんあるのです。

 

三世に生きる。今はあっという間に過去になり、未来がすぐに現在になる。
縁を大切にすれば、きっと今がイヤな人でも、将来思い出せばそれはそれでいい経験だったと思うこともできるはず。

 

だから、イヤだイヤだとクヨクヨ悩み、今の時間を死んだ時間にするのはもったいないこと。
将来のための種まきだと切り替えることが大切だと感じます。

 

 

そして「恕」の精神を持ち、自分がされてイヤだったことは決して相手にしないと誓うこと。

嬉しかったことは積極的に相手に施すこと。

この「恕」の精神こそが、内的な幸福感を得る「良好な人間関係の中で生きる」ためのキーワードではないでしょうか?

 

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競争から一歩離れると、うまくいく−心配事の9割は起こらない


「勝負」にこだわらない

・競争は自分を高めるモチベーションになります。しかし、同時にすべての価値観が「勝ち」「負け」だけになって、心の動揺や、一喜一憂にいつも振り回されることになります。

・「八風吹けども動ぜず」そのときどきに、それぞれの風が吹いているだけのこと。ですから、どの風も自然に受け止めたらいいのです。

・真摯に向き合うためには、目を外側の「誰か」に向けるのではなく、内側の「自分の心」に向けることです。

 

「いい言葉」を使う

・「愛語は愛心より起こる、愛心は慈心を種子とせり。愛語よく廻天の力あることを、学すべきなり」(道元禅師)

相手に慈しみの心を持って語る愛語は、天地をひっくり返すほどの力がある。

・目を転じて、相手のいいところ、長所を見つけて、そこを褒めるのです。

大事なのは、「とにかく相手を持ち上げておけばいい」という安易な褒め方はしないことです。

 

若い人に任せる

・「閑古錐」人間も年を重ねると、若い世代ほどの機動力も行動力もなくなります。新技術といったものも習得できないかもしれません。しかし、長年にわたって積み重ねてきた様々な経験の厚みがあります。

 

どんな境遇も受け入れる

・「逆境も良し、順境も良し、要はその与えられた境遇を素直に生き抜くことである。」(松下幸之助)

・素直に生きていたらよい境遇も悪い境遇もないのです。そこにはただ、一生懸命にいきる「場所」があるだけです。

・「日々是好日」境遇があなたの生き方を左右するのではありません。あなたの生き方によって境遇はどんなものにでもなるのです。

 

簡単に逃げない

・失敗したって、何も命までとられるわけではない。開き直るのではなく、そのくらいに腹をくくって構えていたらどうでしょう。

・「本来無一物」人間は本来、何一つ持たずに生まれてきたのだ、それが人間の本来の姿なのだから、執着するものなどどこにもない。

・「世の中に失敗というものはない。チャレンジしているうちは失敗はない。あきらめたときが失敗である。」(稲盛和夫)

 

「流れ」に任せる

・人の上に立つ人は本来「孤独」なものだといわれますが、「孤立」してしまってはいけません。

・ものごとには、すべて、力づくではどうにもならない「流れ」というものがあります。

・流れに任せるというのは、ただ流されるままになることとは違います。流れの方向を見定め、速さも読み切って、その上で、むやみに流れに逆らわず、みずから、すなわち“確固たる自分”として流れとともにゆく。任せるとはそういうことだと思います。

 

 

まとめ

他者との比較、競争の中でもがき苦しんでいませんか?

 

他者との競争の中で生まれるのは、劣等感や傲慢といったネガティブな感情。

これらの中に住み続けると、自分に成長はないし、不可抗力に抗うことによって疲弊してしまう。

 

 

他者との競争に巻き込まれそうになったら、一度立ち止まり自分と向き合う。

自分と向き合うことで、他者との競争で得るもの・失うものは無力化する。

 

そして、そこには確固たる自分の価値観に基づいたものだけが残る。

 

日々自分自身と向き合い、不可抗力に向き合うエネルギーを、過去の自分を乗り越える力に変えればいい。

 

「日々是好日」。

自分自身の主体的な心の持ち方が、自分のまわりの環境を変えてくれると信じて。

 

 

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「いま」出来ることだけに集中するー心配事の9割は起こらない


「あたりまえ」を見直す

・「あるべきものが、あるべきところに、あるべきように、ある」

・「いま」「ここ」にある「あたりまえ」のことにどれほど自分が支えられているか、あるいは、癒されたり、励まされたり、勇気づけられたりしているか。
そのことに気づいて下さい。すると、心は大きく変わります。

 

あせらない、あわてない

・「七生一坐」七回走ったら、一旦座ってみよ。ひたすら走る人生もそれはそれでかまわないと思いますが、禅語は、止まることは決して悪いことではない、むしろ大事なことなんですよ、と教えています。

・とくに躓いたとき、失敗した時は、止まることが大事です。

・躓いた失敗をいい体験にする、尊い教訓とするための条件は、きちんと失敗の原因を見極め、明らかにするということでしょう。「いま」やるべきことがあるのです。

 

自分の「ものさし」で生きる

・根底には常識というものを感じながら、ときにそれにこだわらないで自分独自の判断をする指針、物事を自分流に解釈するよりどころ。

「ものさし」とはそういうものだと思います。

・「冷暖自知」。器に入っている水は、見ているだけでは「冷たい」のか「暖かい」のかはわからない。

実際に自分で飲んでみる以外に、「冷暖」を知る手だてはないのだ。

・実践する中で経験を積み重ねて、体でわかる、つまり「体感」することで、自分にとって正しい判断ができて、もちろん、行動もついてくるのです。

知識だけでは「ものさし」を持つことはできないのです。

 

余計なことは調べない

・本来、仕事を考える上では「自分が何をしたいか」という視点が最も大切です。

・どんなにたくさんの情報を集めたって「したいこと」も「生き方」も見つけることは出来ません。やはり、自分の心の中に見つけるしかない。

・「心の置きどころ」を定めるということに力点を置いて、そのために必要と思われる情報だけを集め、選択肢を広げる。

 

置かれた場所で輝く

・「いま」就いている仕事に“本気”になるしかない。生きている「いま」を楽しむしかないのです。

・「大地黄金」光り輝く黄金の大地があるのではありません。そこにいるあなたが大地を黄金にするのです。

自分には合っていないように感じても、やりたいことと違っていても、「いま」「そこ」でついている仕事が「あなたの仕事」なのです。

・いましかない、ここしかない、と腹を据えたら、仕事に本気になるための、生きていることを楽しむための「工夫」というものが生まれてきます。

 

感情に逆らわない

・浮かぶに任せ、消えるに任せる。それが「無心」に近い心の有り様です。

・もちろん、喜怒哀楽という感情は、人間らしさそのものですから、わき上がってくるのに任せておけばいいのですが、それをなんとかしようとするから、跳ね返してやろうとするから、いつまでもそこから離れられなくなるのです。

・その時々の思いや感情に「動かされない」でいようとする必要はありません。浮かぶに任せ、消えるに任せ、です。

 

 

 

まとめ

あなたは時々現状に不安や不満を感じたりすることはないですか?

 

不安や不満は自分が満足している状態が「あたりまえ」だと思っているから。

一度「あたりまえ」を見直してみませんか?

 

今あなたが抗えない環境にいるとしたら、無理に抗わず自分が影響できる部分に集中すればいい。

そうすれば、心の持ち方も変わり今の状況に感謝すら沸いてくるかもしれません。

 

突っ走っていると、周りが見えなくなる。
混乱したら「七生一坐」という言葉を思い出し、一度立ち止まってみよう。

そしたら、次の一歩が前向きに踏み出せるかもしれない。

 

「浮かぶに任せ、消えるに任せる」。

あなたが今辛い状況にあったとしても、無理に感情を押さえ込まないようにしよう。
きっと時間が癒してくれるに違いない。

 

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