みんなプライドが高すぎる
・実際にあなたのことをそんなに注目している人は、そうはいない。多くの人は、自分以外のことになんの関心もないのだ。
・実際には存在しない「世間」などというものを機にする必要はまったくないのだ。
・プライドをなくそうとすると、惰性がついて、どんどんプライドが無くなる方向に進む。一方で、プライドの高さに慣性がついて、どんどん高くなる人もいる。そうして、すごく気難しいおじいさんや、おばあさんになっていく。
・プライドはなくなったほうが、みんなに愛される。逆に「すごい自分でいなければいけない」とか「相手に嫌われたらどうしよう」と思って、プライドが高くなると、結論として、相手が自分のそばに来づらくなる。
・「恐い相手」は自分のプライドがつくっている。「相手に悪く思われたらどうしよう」とか、「アホだと思われたらどうしよう」とか、そう思って話せなくなるのだ。
「小利口」になるな
・ノリで動けない人は、とにかくプライドが高い。「失敗してバカだと思われたらどうしよう」「思ったことを口にして、相手から反撃されたらどうしよう」。そんなことばかり心配して「プライド」という名の壁を自分の周りに高く築き、その中に引きこもることで、弱い自分を守ろうとする。言っておくが、そうしていて得られるものはほとんどない。
・ヨロイを着込んだ奴に周りを取り囲まれたら、囲まれた相手もくつろげない。そんな場に、気取らず自然体で動ける人間がいれば、相手も緊張せずにいられる。
・嫌われたら「プライド」は傷つくかもしれない。でも、付き合いたいのなら、踏み出さなければなんにもならない。今までの自分を守るために、チャンスを手放してしまうなんて、まったくおかしなことだ。
・「自分がバカ」であることを知っていれば、わからないことがあったら、なんの躊躇もなく人に聞くことができる。自分に知識がないことを恥じる変なプライドがないから、逆に利口な人を使ってすばやく動くことができる。「自分がバカ」であることを知っている人は強いのだ。
・中途半端に小利口な人は、グダグダ、グダグダ考えているだけで、結局何もできない。結局、「考える」ことができるほど利口じゃないバカが、得をしているのだ。
・ちょっとしたチャンスは、いつでも誰の前にでも流れている。それが将来的に何につながるかなど、誰にもわかるわけがない。自分が面白そうだと感じたら、飛びつくだけだ。
・確実にいえることがある。ノリのよい奴には、あちこちから声がかかるようになり、加速度的にいろんな経験ができるようになっていくのだ。
・やりたいことをやって成功する人は「リスク」をあまり考えていない。実現可能性をまず考えて尻込みするような人間は、リスクをとらないこと自体が最大のリスクだということに気づいていない。
・これまでと同じことをやっていても、成功はできない。自分のやりたいことを、ノリとフィーリングでやってみるしか成功はありえない。
まとめ
今思い返してみれば20代の頃の自分はすごくプライドが高かったのだと思います。仕事においても上司や会社の期待に応えられなければならないという強い観念があり、つけられた評価に対して食いついていたこともありました。
そのくせ「人によく思われたい」「嫌われたくない」という意識も強くてへつらっては自己嫌悪に陥ったりと自分の中での葛藤は激しかったのですが、これといった成長は自分の中で感じることができませんでした。
特に後輩にとっては嫌な奴だっただろうしとっつきにくい人間だったのではないかとあの頃のことを冷静に振り返るとそう思います。
人間関係も仕事の成果も全てプライドが邪魔をしていたのだということを今振り返ると実感します。少し勿体無かったなと思います。
30代後半になり読書したり講演会に参加したり、色んな経験を積んでプライドを手放すことができるようになってからのボクの人生は大きく変わりました。
自分の成功の基準を他人に押し付けることなく、他者を批判することがなくなり認めることができるようになりました。
むしろ自分の無力さを認めることができるようになったので人を素直に頼ることができるようになりました。周囲の助けに対して感謝の心を持つこともできると自分自身がすごく幸せな気持ちになります。
ノリの良さを大切に色々なイベントや新しいことに挑戦することで人とのつながりや自分の自信をつけることもできました。
ちっぽけプライドを捨てることの大切さは他に代え難く得られることも多いのだとようやく気づけた今日この頃のボクです。