自分の限界は体感で理解する
・「これ以上続けると自分が壊れてしまいそうだ」というのを、理屈ではなくて「体感としてわかっている」ということ。
・自分の限界が体感としてわかるということは、つまり、等身大の自分が分かるということ。
・人には可能性があり、限界がある。人生で進むべき方向は一つではなくて無数にある。そして、何かに限界を感じるのは次の世界の可能性を広げることだったりする。
心と体はどうしたって切り離せない
・自分を客観視できる一番のメリットは、自分の「崩れ際」がわかること。
・「感覚」を磨くには観察しかない。観察することで、「感覚」はやがて実感となる。
朝起きて10秒、「自分観察」の習慣
・一日は朝起きた時の空腹感の「観察」から始まる。
・状況に合わせたケアをするのもまた仕事の一環。責任感があればこそ、大事に至る前の睡眠、休養をしっかりとスケジュールする。
心も検温して体調を計る
・無心になることを目的とするよりも、「雑念がざわざわとしてきた」瞬間に気づくことが、観察の第一歩である。
・楽しい時、あるは楽しくない時に「なんでこんなに楽しいんだろう」「なんでこんなに楽しくないんだろう」と問いかけてみる。
足首が立つ、脛が光る、アスリートは体のコトバを持っている
・アスリートは試合に合わせて自分のコンディションをピークに持っていく、ピーキングを常に行っている。一言でいえば「反応の調整」。
・自分の身体の変化に対する洞察力と、刺激と反応の因果関係を読み取る「推論力」によって、結果に大きな違いが出るのだ。
「考えた」でなく「感じた」「思った」トークをしよう
・人間は「知識」ではなく、体にいいもの、よくなるもの、心地いいものを本能としてすでに「知っている」「感じている」のかもしれない。
・体感は「ない」わけではなくて、本来、誰もが持っているもの。
心を抑えつけずにコントロールする
・自分の状況や考えを記録することによって、感情を切り離した客観的な評価を行う習慣が身につく。
・抑制しないといっても、ただ感情の赴くままに怒りまくるわけでは、もちろんない。怒りや悲しみという感情を表に出す方法を、ちょっと工夫する。
・人に本音を言うのは確かに恐ろしい。それなら、少なくとも自分の中でも認識しておきたい。時々本音を解放させてあげることで、自分自身が解放される。
体感の先にあるものが、イメージ
・イメージとしてちゃんと描けたことは、かなりの確率で実現できる。それは「やってやるぞ!」というよりも、「ああ、できてしまいそうだ」というのに近い。
・濃くてリアリティのあるイメージは、そんなに頻繁に描けない。
・リアリティのあるイメージと、ぼんやりと浮かんだイメージの違いが分からないと、何が自分にできることで、何ができないことか分からないんじゃないか。
・目標がどんなに困難に見えても、全ては自分から始まっている。イメージとは最初は霧みたいなもので、体験を経てそれが輪郭になる。
まとめ
体感の重要性を感じます。自分のことがよくわかっている人は体感として、自分の崩れ際や限界が分かる。
自分のことがよくわかっていない人は、その体感がなく限界を超えて心や体を壊してしまう。
人生でのバランス感覚のようなものが体感というものなのでしょうね。体感を鋭くするためには「自分と向き合うこと」がすごく大切だと思います。
自分の一番の理解者であり続けること。自分に厳しすぎず、甘すぎずのバランスが非常に重要だと感じます。
一度挫折しただけで、もう終わりだ、駄目だと落ち込み続けるのではなく、またほかのチャンスがあるとある意味楽観的に物事を考えられるしなやかさが必要なのではないかと思います。
そのためにはもっと自分を解放して「考える」から「感じる」生き方にシフトしていくことが大切ですね。