誰もが死に向かって走っている−走りながら考える


日々老いていく中で、いったい何を目指せばいいか

・人は毎日老いる。だったら、今日という日を一生懸命に生きることしかない。
・人間、日々一生懸命に生きていると、終わりに近づくほど妙な清々しさが出てくる。

一秒でも速くより、「今自己ベスト」を突き詰める

・挑戦は常に失敗も込みである。
・衰えを責めず嘆かず、「こういうものだ」と眺め、道中で多くを感じ、理解し、淡々と走り続けることは大きな意義がある。

余命半年だとしたら、今の自分で本当に大丈夫だろうか

・いつのときも、準備と覚悟は必要だし、それらは悪いものじゃない。
・「必ず終わりがくる」という感覚になると、辛さ度合いも変わり、残された時間の使い方も変わってくる。

他人と比較して、自分の価値を計るのは無意味

・あるがままの自分を受け入れた人は強い、でも果たしてそのままの自分を受け入れられる人は、どのくらいいるのだろう。
・コンプレックスはしょせん人との比較の中から生まれるものだ。
・変に理論をこねくり回さず「自分はこうなるべき」とか「こうあるべきだ」もなく、このまま自分として勝てる場所を見据え、自分らしい方向に向かっていけばよいのだ。

子供のころにフタしてきたことを、終わらせにいく

・子供のころに受けた傷も含め、「終わらせていないこと」が今に与える影響は思いのほか大きくて、そして人は「あのときにフタをした何か」をずっとどこかで気にしている。
・起こった出来事は同じでも、自分がする解釈、自分がつける意味によって、物事の見え方が変わることはとても多い。

「自分はちゃんとやりきった」が、一生モノの自信になる

・結果が残せないからと挑まずにいたら、何も生み出せない。言い訳をしながら生きていると、何も選べないし、永遠に何も成し遂げられない。
・「いい思い出」というのは、必ずしも素晴らしい結果ばかりではないはずだ。
・結果云々ではなく、むしろ最善を尽くしたのだという履歴を残していくこと。それによって自尊心や本当のプライド、自分への尊厳というものが生まれていく。

ちっぽけな自分はそんなに悪くない

・現実の状況を変える手っ取り早い、そして最も効果的な方法がある。それは物事を見ている、自分自身の視点を変えること。
・自分や自分の観点が「小さく思える」ような体験をする。例えば星を見ること。
・「ちっぽけな自分」だって宇宙の構成要素のひとつ。そう思うとちっぽけな自分はそんなに悪くない。

 

まとめ

人間死ぬ時は必ず訪れるものですが、そんなことは日常考えたりしないですよね。でも、死ぬときに「いい人生だった」と振り返ることができれば、それは本当に素晴らしいことですよね。

そのために必要なことは、

人と比較しない。

現在を一生懸命に生きる。

失敗を恐れず挑戦し続ける。

結果ではなく、プロセスを重視する。

ということに要約できると思います。自分への尊厳を持って人生の終焉を迎えるために、今自分にできること、やりたいことに集中して、失敗を繰り返しながらも一生懸命に生きることが大切だと感じます。

 

 

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投稿者: Masahiro Ito

サーフィンとマラソンをこよなく愛する自称ソーシャルサラリーマン。 自分自身がメディアとして発信できる新しい時代の波に乗るために奔走中。 伊藤人語では、読書初心者の方にポイントを紹介。 僕が薦める本に興味を持ってもらえればこれ幸いでございます。

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