どん底まで落ちたら、そこがあなたの出発点
・「底を抜く」とは哲学で使う言葉である。器の底を抜いてしまえば、その容量は無限大になり、見聞きしたことを全て取り込めるようになる。
・悩みも迷いも中途半端だから余計苦しい。
とことんまで落ちれば自然と底に足が着く。あとは上がっていくばかりである。
だから、苦しみから逃れようとせず、そのまま苦しみのただ中へと身を沈めることが大切なのだ。
目の前の小さな「いま」を懸命に生きてみよ
・何ごとかをなしたかったら、意味や損得などはいったん脇にどけて、とりあえず眼前のことに集中することが肝要である。
どれほどささいでちっぽけなことであっても、目の前にある「すべきこと」を一生懸命やる。それが全てのスタートになるのだ。
・過去はもうすませてしまった食事のようなもの、未来はまだ食材もそろっていない献立のようなもの。
現在は過去の成績表であり、未来の予定表である。これまでやこれからのことにいくら想像をたくましくしようとも、現実にいきられるのは「いま」しかないのだ。
平凡を非凡に変える愚直という妙薬
・なまじ知恵や知識があるために、その愚直なふるまいが利口な人にはなかなかできない。行為の意味も価値もとりあえず忘れて、なりふり構わずやれるのは愚鈍で真正直な人だけである。
・適当にお茶を濁して九十点をとるよりも、必死にやって二十点のほうが尊い。才能とはつまるところ、情熱のことである。
結果は問わず、いま目の前のことに必死、愚直に取り組む。このことの大切さ、このことの抗力に古いも新しいもないはずだ。
ぶざまで非力な自分を直視する勇気を持つ
・現実を直視することは、ときに身をよじるような苦痛、震えるような恐怖をともなう。だから自分以外の何かのせいにしたり、周囲を悪者に仕立てることで現実から目をそらし、今の状態を正当化したがる。
・弱い自分をいくらごまかしていても自分の人生から逃げ切ることはできないし、自分と向き合うことから逃避しているうちは、真に生きることを始められないからである。
サイズを大きくするよりも密度を高める努力
・自分を大きくみせるのはたやすい行為である。それが人間本然の欲望に沿ったものだからである。
反対に「自分を小さくする」ことはきわめてむずかしい。それが意思にもとづく行為だからである。
・いたずらにサイズを大きくしようとするよりも、サイズはそのままでいいから中身の密度を濃くすることに力を注ぐ。
新しいことに手を広げるよりも、いまやっていることをさらにより良くやることに努める。
・小さいが濃密な自分を原点とし、迷ったらいつも本質の自分に戻る。
そんな自己凝縮型の生き方が、不安定かつ不透明ないまの時代には有効なのではないか。
「ときめき」という非合理な決断に従え
・安全堅実に舗装道の真ん中をあることに意外に危険が多く、決められた道から外れたその崎に思いもかけないゆたかなオアシスを発見する。
人生にあっては、そんな皮肉な局面が、しばしば私たちを待ち受けている。
・行ってする後悔は、行わずにする後悔より数段ましだろう。
リスクを冒さないと見えない景色もあるし、好きなことなら、たとえ失敗しても納得度は大きい。
まとめ
自分を変えたいと思いながらなかなか続かなかったり、一歩を踏み出すのに躊躇してはいないでしょうか。
人って何も意識しなければ雨樋を伝う雨のように楽で居心地がいい方向に流れていく生き物。今現状がそれほど不自由でなければなおさら現状維持を志向するものです。
ではどうすれば僕たちはもっとよく生きるために変わることができるのでしょうか。
それは心の中のときめきに身を任せることなのだと感じます。
心の底からワクワクすること。自分の目がキラキラと輝くことが実感できるようなこと。
そんなときめきを原動力にしながら、過去でも未来でもない「いま」を愚直な努力をしながら生きていくことなのではないでしょうか。
スタイリッシュに生きたいと思っても、始めからスタイリッシュでいられるほど甘くないのが人生。
そこには、泥臭く”もがいている”「いま」の集積がある。
決して努力している自分を「かっこ悪い」なんて思わなくていいのです。
ワクワクを源にした愚直な努力はきっと実を結ぶことでしょう。