お金は信用を見える化したもの−お金原論


お金は今や単なる「数値」にすぎない

・現代社会で「お金持ち」と呼ばれる人が持っているもののほとんどは、ブラウザ上に表示される単なる「数値」にすぎないのだ。
・「お金」が、紙幣や硬貨という「物質」から、単なる「数値」へと変わってきている。
・これからの時代は、物質としての「お金」の扱い方ではなく、数値としての「お金」のコントロール方法を学んでいくこと、教えていくことが重要だ。

 

お金は信用を見える化したもの

・お金とは、「信用を見える化したもの」であり、信用は「お金」によって可視化されるのだ。

・「お金」が物質から数値へと姿を変えていく社会においては、クレジットカードを筆頭に「信用」が人生にもたらす影響はますます大きく膨らんでいく。

・これまでは、どこの大学を卒業したのか、という「学歴」に重きが置かれていたが、今後は、お金とどのように付き合ってきたのか、という「額歴」がモノを言う時代になっていくと言えるだろう。

・信用社会においては、信用の多寡が、人生の自由度と直結するのだ。

 

収入は信用を数値化したもの

・「頑張っているのに評価してもらえない」。
この論理は、会社側に置き換えて考えると、ひどく一方的な主張であることがわかる。
なぜならば、会社にとってみれば、それだけを理由に給料を大盤振る舞いするわけにはいかないからだ。

・あなたが仕事で生み出す価値よりも収入のほうが低かったら、他の会社から引き抜かれたり、容易に転職できたりすることで収入が上がっていくはずである。

・「信用」という軸がなければ結果を呼び込むことはできない。

・信用を築き上げることこそ、収入アップの本質だ。
それだけではない。築き上げた信用は人生のどんな場面にも通用する万能のパスポートになる。

 

マーケットの選択眼で結果としての収入が異なる

・信用の結果が収入という数値によって表れる一方で、どこのマーケットにいるのかによって、お金の量(サイズ)が決まってきてしまうという側面がある。

・私たちが収入を上げていくためには、信用をコツコツと積み上げることは当然だが、同時に、その信用が大きな結果となって還ってくるマーケットを見抜く眼力も不可欠だ。

お金と向き合うことは、自らの信用と向き合うこと

・信用には「人間的信用」と「経済的信用」の二つがある。一般的に、「信用経済」と称する場合には、これら二つのうち「経済的信用」を指す。

・信用経済の中心にあるのは、職業や肩書き、勤務先ではなく、言動、行動、結果が生み出す「人としての信用」そのものなのだ。

・私たちが生きる信用経済という社会では、私たちの想像以上に、信用とお金が運命共同体として直結している。つまり、お金について向き合うことは「社会における自らの信用と向き合うこと」と同義なのだ。

 

まとめ

何気なく毎日のように使っているお金。

お金についてしっかりと向き合って考えたことはあるでしょうか。

ボクは会社員なので、毎月安定した収入はある。良くも悪くもそういう生活を20年も続けているとあまりお金というものについて意識しなくなってくる。

この本を読んでそれではこれからの時代厳しいということを思い知らされました。

 

インターネットの時代になり数値としてのお金の扱い方を学ぶということは本当に大切なことだなって思います。

お金=信用。お金の使い方、つまり「額歴」にも意識を向けていかなければならない時代なのだと感じます。

 

お金が単なる経済的信用の証明ではなく、人間的信用の証明になってきている。

もちろん資産運用やビジネスにおいて手法を学ぶことも大切だけれど、それ以上に人格を磨き言動や行動のレベルアップをしていかなければならない時代に来ているじゃないかなと思う。

 

 

 

与えよ、さらば与えられん−幸せになる勇気


すべての喜びもまた、対人関係の喜びである

・アドラーは、一人の個人が社会で生きていくにあたって、直面せざるをえない課題を「人生のタスク」と呼んでいました。

・アドラーによる「苦悩」の定義、すなわち「すべての悩みは、対人関係の悩みである」という言葉の背後には、「すべての喜びもまた、対人関係の喜びである」という幸福の定義が隠されている。

・「われわれは交友において、他者の目で見て、他者の目で聞き、他者の心で感じることを学ぶのだ」

「信用」するか?「信頼」するか?

・「信用」とは相手のことを条件付きで信じること、「信頼」とは他者を信じるにあたっていっさいの条件をつけないことです。

・仕事の関係とは「信用」の関係であり、交友の関係とは「信頼」の関係なのです。

なぜ「仕事」が、人生のタスクになるのか

・「論理的にコモンセンスに一致する答えはわれわれは働き、協力し、貢献すべきである、ということだ」

・人間は一人では生きていけないのです。他者と「分業」するためには、その人のことを信じなければならない。

・まずは仕事の関係に踏み出す。他者や社会と利害で結ばれる。そうすれば、利己心を追求した先に「他者貢献」があるのです。

・すべての仕事は「共同体の誰かがやらねばならないこと」であり、われわれはそれを分担しているだけのことなのです。

・人間の価値は「どんな仕事に従事するか」によって決まるのではない。その仕事に「どのような態度で取り組むか」によって決まるのだ。

先に「信じる」こと

・他者を信じること。これはなにかを鵜呑みにする、受動的な行為ではありません。ほんとうの信頼とは、どこまでも能動的な働きかけなのです。

・あなたがわたしを信じようと信じまいと、わたしはあなたを信じる。信じ続ける。それが「無条件」の意味です。

・自分を愛することができなければ、他者を愛することもできない。自分を信じることができなければ、他者を信じることもできない。

・ありのままの自分を受け入れられず、絶え間なき不安にさらされているからこそ、自分にしか関心が向かないのです。

与えよ、さらば与えられん

・与えるからこそ、与えられる。「与えてもらうこと」を待ってはならない。
心の物乞いになってはならない。
…これは「仕事」「交友」に続く、もう一つの対人関係を考える上でも非常に重要な視点になります。

・アドラーを理解するための階段は、「愛」に踏み出すことでえられます。いや、そこにしかないといっても過言ではないでしょう。

 

まとめ

自分自身の子育てについて考えてみました。

子どもがいうことを聞かなかったり、問題のある行動を起こしたりするとイライラしている自分を振り返っていると親の身勝手だなと思う。
本当に自分にしか関心が向いていなかったのだと反省します。

子どもたちが親の思いどおりに動くという思い込みと支配欲がそういう思考にさせていたのではないかと思う。

無条件に信じるという心の働きかけを子どもに送ってあげていれば、その行動自体を受け入れることができるし、子どもたちも親を信頼して困らせないようにしようという意識をどこかに持つのかもしれない。

だから褒める叱るではなく心から信頼し合える横のつながりをしっかりと親子間で築いていきたい。
それこそが、本当の親子愛のかたちなのではないのかなと思う。

 

 

 

 

競争原理から協力原理へ−幸せになる勇気


「ほめて伸ばす」を否定せよ

・ほめることは”能力のある人が、能力のない人に下す評価”であり、その目的は”操作”である。

・子どもたちを競争原理の中に置き、他者と競うことに駆立てた時、ほどなく子どもたちは、「他者はすべて敵なのだ」「人々はわたしを陥れようと機会を窺う、油断ならない存在なのだ」というライフスタイルを身につけていく。

共同体の病

・組織は、賞罰も競争もない、ほんとうの民主主義が貫かれていなければならない。

・強さや順位を競い合う競争原理は、おのずと「縦の関係」に行きつきます。勝者と敗者が生まれ、そこで上下関係が生まれるわけですから。

・一方アドラー心理学の提唱する「横の関係」を貫くのは、協力原理です。
人生は「不完全」から始まる

・承認欲求にとらわれた人間は、他者から認めてもらうことを願うあまり、いつの間にか他者の要望に沿った人生を生きることになる。すなわち、他者の人生を生きることになる。

・われわれ人間は子ども時代、ひとりの例外もなく劣等感を抱えて生きている。これがアドラー心理学の大前提です。

・「自らの不完全さ」を経験する子どもたちは、原理的に劣等感を抱かざるをえないのです。

・人間はその弱さゆえに共同体をつくり、協力関係の中に生きています。

・すべての人には共同体感覚が内在し、それは人間のアイデンティティと深く結びついているのです。

 

「わたしであること」の勇気

・アドラー心理学では、人間の抱えるもっとも根源的な欲求は、「所属感」だと考えます。

・ほめられることでしか幸せを実感できない人は、人生の最後の瞬間まで「もっとほめられる」ことを求めます。その人は「依存」の地位に置かれたまま、永遠に満たされることのない生を送ることになるのです。

・「わたし」の価値を、自ら決定すること。これを「自立」と呼びます。

・「人と違うこと」に価値を置くのではなく、「わたしであること」に価値を置くのです。

 

まとめ

現実的な組織は競争原理に支えられていますよね。
僕らが働く会社だってそう。同期でも評価によって給与の差がつく。

学校だってそう。偏差値があって、すべての生徒たちが同じように評価されているわけではない。

アドラー心理学ではこういった競争による客観的な優劣で起こる「縦の関係」を否定し、人間はもともとみんな不完全だという前提に立ち返って協力関係を築く「横の関係」を重視する。

すべての人には「共同体感覚」≒「所属感」が内在する。
他者と比べて、「あの人みたいに褒められたい」という欲求だけで行動をする人はずっと満たされない思いをすることになる。

ではどうすればいいのか。

「わたし」という存在そのものの価値を認めること。

自分自身のことを好きになれなければ人を好きになることなんてできないし、自分自身のことを大切にできなければ人を大切にすることなんてできない。

そう思うのです。

 

 

なぜ賞罰を否定するのか−幸せになる勇気


問題行動の「目的」はどこにあるか

・問題行動の第一段階、それは「称賛の要求」です。

・彼らの目的はあくまでも「ほめてもらうこと」であり、さらに言えば「共同体の中で特権的な地位を得ること」なのです。

・問題行動の第二段階は「注目喚起」です。

・積極的な子どもたちは、いわば「いたずら」によって、注目を得ようとするでしょう。消極的な子どもたちは「できない子」として振る舞うことで注目を集め、特別な地位を得ようとするのです。

わたしを憎んでくれ!見捨ててくれ!

・問題行動の第三段階。ここで彼らの目的は「権力争い」に突入します。

・法に触れる問題であれば、法に従った対処が必要です。
それ以外の権力争いを察知した時には、すぐさま彼らのコートから退場する。まずやるべきことは、それだけです。

・問題行動の第四段階、ここで人は「復讐」の段階に突入します。

・かけがいのない「わたし」を認めてくれなかった人、愛してくれなかった人に、愛の復讐をするのです。

・問題行動の第五段階、それは「無能の証明」です。

・彼らは、自分がいかに無能であるか、ありとあらゆる手を使って「証明」しようとします。
あからさまな愚者を演じ、なにごとにも無気力になり、どんな簡単な課題にも取り組もうとしなくなる。
やがて自分でも「愚者としてのわたし」を信じ込むようになる。

「罰」があれば、「罪」はなくなるか

・問題行動のすべては「所属感」、つまり「共同体のなかに特別な地位を確保すること」という目的に根ざしている。

・彼らの問題行動は「あなたに叱られること」まで含んだ上での、問題行動なのです。
叱責されることは、彼らの望むところです。

怒ることと叱ることは同義である

・子どもたちの問題行動を前にしたとき、親や教育者は何をすべきなのか?
アドラーは「裁判官の立場を放棄せよ」と語っています。
あなたは裁きを下す特権など与えられていない。法と秩序を守るのは、あなたの仕事ではないのです。

・教育者とはカウンセラーであり、カウンセリングは「再教育」である。

・怒りや暴力を伴うコミュニケーションには、尊敬が存在しない。
それどころか軽蔑を招く。
失跡が本質的な改善につながらないことは、自明の理なのです。
ここからアドラーは、「怒りとは、人と人を引き離す感情である」と語っています。

・「変えられないもの」に執着するのではなく、眼前の「変えられるもの」を直視するのです。

自分の人生は自分で選ぶことができる

・人間が未成年の状態にあるのは、理性が欠けているのではない。
他者の指示を仰がないと自分の理性を使う決意も勇気も持てないからなのだ。
つまり人間は自らの責任において未成年の状態にとどまっていることになる。

・教育する立場にある人間、そして組織の運営を任されたリーダーは、常に「自立」という目標を掲げておかねばならないのです。

・感謝を期待するのではなく、「自立」という大きな目標に自分は貢献できたのだ、という貢献感を持つ。
貢献感の中に幸せを見いだすのです。

・自分の人生は、日々の行いは、すべて自分で決定するものなのだと教えること。そして決めるにあたって必要な材料ーたとえば知識や経験ーがあれば、それを提供していくこと。
それが教育者のあるべき姿なのです。

 

まとめ

「誉めて育てよ」
「しつけで育てよ」

子育てや仕事における部下の教育としては当たり前に使われる言葉で、誰もが正しいと感じ疑いもしなかった言葉ですよね。

でも、アドラーは賞罰を完全に否定します。
なぜなら、教育を受けるものは賞罰に依存してしまうから。

「誉めてもらうためにがんばる」
「怒られないように真面目にやる」

では、結局教育者が主体になり、被教育者は受動でしかない。

そして、主体的ではないから自ら責任を取ろうとせずに問題行動に出てしまう。
これでは成長するどころか不幸な人生を歩む結果になってしまう。

教育者の責務は誉めることでも叱ることでもないんですよね。
それが逆効果になってしまう危険を常に考えておかないといけない。

教育者としての本当の責務は、教育を受ける子どもや部下が自分の責任のもとで主体的に行動するために背中をそっと押してあげることなんでしょうね。

 

  

 

悪いあの人、かわいそうなわたし−幸せになる勇気


教育の目標は「自立」である

・アドラーの語る「課題の分離」を一面的にとらえると、あらゆる教育は他者の課題への介入になり、否定されるべき行為になってしまいます。
しかしアドラーの時代、彼ほど教育に力を入れた心理学者はいませんでした。アドラーにとっての教育は、中心課題のひとつであるばかりか、最大の希望だったのです。

・アドラー心理学では、人はみな、無力な状態から脱し、より向上していきたいという欲求、つまり「優越性の追求」を抱えて生きる存在だと考えます。

・人はみな「自由」を求め、無力で不自由な状態からの「自立」を求めている。

・教育とは「介入」ではなく、自立に向けた「援助」なのです。

尊敬とは「ありのままにその人を見る」こと

・役割として「教える側」に立っている人間が、「教えられる側」に立つ人間を敬う。
尊敬なきところに良好な対人関係は生まれず、良好な関係なくして言葉を届けることはできません。

・尊敬とは、人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである。
尊敬とは、その人が、その人らしく成長発展していけるよう、気づかうことである。(エーリッヒ・フロム)

・尊敬とは、いわば「勇気づけ」の原点でもあるのです。

「他者の関心事」に関心を寄せよ

・自己への執着から逃れ、他者に関心を寄せること。その指針に従って進んでいけば、おのずと「共同体感覚」に到達する。

・共同体感覚についてアドラーは、好んでこのような表現を使いました。
われわれに必要なのは、「他者の目で見て、他者の耳で聞き、他者の心で感じること」だと。

もしも「同じ種類の心と人生」を持っていたら

・われわれは誰しも、客観的な世界に住んでいるのではなく、自らが意味づけした主観的な世界に住んでいる。
われわれが問題としなければならないのは「世界がどうであるか」ではなく、「世界をどう見ているか」なのだ。

・共感とは、他者に寄り添うときの技術であり、態度です。

「変われない」ほんとうの理由

・人間は、過去の「原因」に突き動かされる存在ではなく、現在の「目的」に沿って生きている。

・われわれは過去の出来事によって決定される存在ではなく、その出来事に対して「どのような意味を与えるか」によって、自らの生を決定している。

・自分の人生を決定するのは、「いま、ここ」を生きるあなたなのだ。

・われわれの世界には、ほんとうの意味での「過去」など存在しません。十人十色の「いま」によって色を塗られた、それぞれの解釈があるだけです。

悪いあの人、かわいそうなわたし

・不遇な過去をトラウマとする人は過去に縛られているのではありません。その不幸に彩られた過去を、自らが必要としているのです。
あえて厳しい言い方をするなら、悲劇という安酒に酔い、不遇なる「いま」のつらさを忘れようとしているのです。

・あなたがどんなに「悪いあの人」について同意を求め、「かわいそうなわたし」を訴えようと、そしてそれを聞いてくれる人がいようと、一時のなぐさめにはなりえても、本質の解決につながらない。

・われわれが語り合うべきは、まさにこの一点、「これからどうするのか」なのです。

・ミステリアスな魔法よりも建設的で科学的な、人間への尊敬に基づく、人間知の心理学。それこそがアドラー心理学なのです。

 

まとめ

管理職の立場になり、そして親の立場になり公私ともに教育ということに携わる機会が増えてきました。

仕事で部下を教育するにも、親として子供を教育するにもいわゆる教育の先輩たちはおっしゃいます。
概して「しつけ」が大切だ。
厳しくしつけないと育たない。
と。

それに対して、アドラーが説く教育とは決して「あーしなさい、こーしなさい」「あれはだめでしょ!これはだめでしょ!」と口うるさく「しつける」のではない。

教育を受け入れる側の人の立場を尊重して、まずは自分でどこまでできるか自力でやってみさせること。そして、それに対してのアドバイスをしたり課題を一緒に考えてみたりして、その人の成長や自立を支援していくことなんですよね。

どちらが成長するかといえば、やっぱり後者のように思いますよね。
縦の関係で縛るのではなく、横の関係で部下や子供たちと接してともに成長していきたいものです。

 

 

人間関係の重要性ーハーバードの自分を知る技術


関係とは何か

・有益な関係には三つの要素ー相互理解、信頼、尊敬が必要。
この種の関係を築くには、時間と労力と直接顔を合わせたやりとりが必要となるでしょう。
・自己開示ーあなたのことを根本から理解してもらうために、相手にあなたのことを教える。
・質問するー相手をよく知るために質問する。
・アドバイスを求めるーあなたにとって重要な問題について、建設的なアドバイスを求める。
特に自信のないことや不安に思っていることについて積極的に相談する。

人間関係を鍛える演習

・ステップ1、あなたの基本的な情報で、相手が知らないことを紙に書きます。
あなたの人となりが相手にわかるような情報にしてください。相手にも同じように書いてもらいます。
・ステップ2、書いた紙をお互いに見せ合います。
・ステップ3、相手に対する理解が深まりそうな質問を一つ書きます。
・ステップ4、相手にその質問をして答えてもらいます。
同じように、相手に質問してもらい、あなたもそれに答えます。双方ともに、相手の話しをさえぎってはなりません。
・ステップ5、引け目を感じていることや悩みを一つ書きます。
・ステップ6、書いたものを相手に見せて、その問題をどうしたらいいか、相談します。
相手が書いたものを見せてもらい、あなたも同じようにアドバイスします。
・あなたの人間関係について考えてみてください。
相互理解、信頼、尊敬という三つの要素を備えた関係を築くために、どれだけの時間と労力と時間をつぎ込んでいますか?

コミュニケーション手段を選ぶ

・重要な人物と話す時や、繊細なことを話すときは、電話よりも直接やりとりする方法が無難です。
・さらには、グループディスカッションよりも一対一のコミュニケーションの方が強力だということもわかりました。
みんなの前で誰かを批判したい、あるいは批判されたいと思う人はいないからです。

人との関係は時と共に進化する

・物事は常に変化するため、人間関係は一筋縄ではいきません。あなたの仕事内容は変わり、あなた自身も変わり、あなたの欲求も変わります。人との関係は不変ではありえませんし、一度築けば終わりというものでもありません。
・潜在能力を発揮するには、絶え間なく関係を発展させていくことになるでしょう。人との関係を築くことは、磨き続けていきたいスキルのようなものだと考えてください。

 

まとめ

人間関係と一言で言っても色々ありますよね。

家族・仕事・友人・恋人。。。そんなリアルな関係に加えて、今の時代SNSに代表されるようにネット上での人間関係も存在します。

リアルな人間関係においても、ネット上での人間関係においてもここに書いてあるように、「自己開示」というのはとても重要なことだと感じます。

まずは、自分の人となりがわかるように素の自分を出すこと。
相手の懷に入るには、まず自らが懷をさらすところからだと感じます。

自己開示を通して、相手との相互理解、信頼、尊敬を深めていきたいものですね。

 

 

<優秀な人>と<一流の人>の違い−ハーバードの自分を知る技術


リーダーシップとは何か

・リーダーシップとは、自分の信念を知っていて、その信念を貫くために勇気をふりしぼって正しい行動をとる能力のことです。その行動は、組織の価値を高め、人々に良い影響を与えるものでなければなりません。

・こうした人々は自分の信念を知っていて、その信念に従って行動する勇気があります。彼らは人々に価値を与えようと努力します。自分の役割を幅広く定義し、会社の経営者のように振る舞うのです。

 

信念はなぜ重要なのか

・リーダーになるための第一歩として、まずは自分の信念を明確にしましょう。それは簡単なことではありません。才能豊かな人でもなかなか見つからないという有様です。

・手始めにちょっと視点を変えて世界を見てみましょう。意思決定者になったつもりで自分ならどう判断するか考えるのです。
・意思決定者の立場に立って真剣に考えることは、精神的に負担ですし、深い考察が必要です。それに比べれば他人の行動にケチを付ける方がどれだけ楽なことか。

・素晴らしい職業や組織は、積極的にリーダーとして行動する人々の上に成り立っています。素晴らしい組織は、率直に意見を言う度胸のある人々に支えられているのです。

 

経営者マインドの威力

・自分の損得とは関係なく、他の人をサポートすること。つまり、あなたの仕事内容の中に、「まわりの人のパフォーマンスの向上をサポートする」という項目を加えるのです。

・人をほめ、認めることを学ぶこと。それにはあなたが不安を克服して、自信を持ち、人からほめられたいという欲求を抑えましょう。

・行動を決断する時は、その行動が(自分のため)だけでなく(組織のため)にも役立つかどうかを考えること。

・仕事をするときは、次の工程の人だけでなく、責任者のことも気にかけておくこと。つまり、自分の仕事を幅広く捉え、上司やその上司が直面する問題にも配慮しましょう。

 

価値観、境界線、独自の哲学

・価値観は人生の指針です。価値観は私たちの行動を左右し、私たちの人格を形づくります。

・あなたの価値観を紙に書いて、それをはっきり意識するようにしてください。正しい答えなどありませんが、自分の価値観を意識できれば、キャリアや人生をどう構築するか、どんな人と付き合うかといった基準が明確になります。

・境界線は価値観よりもわかりやすいかもしれません。簡単に言えば、境界線とはあなたが越えないと決めている倫理的な一線のことです。

・前もって境界線を決めておかないとゆくゆく後悔する決断を下しがちです。何かが掟から自分がひどい過ちを犯したことや、その責任を取らなければならないことに気づくのは遅いのです。

・自分はどういう人間なのか、何を信念としているかを前もって考えておけば、いざという時にも落ち着いたり、決断を先送りしたり、質問したり、あるいは誰かに相談してアドバイスを求めたりできますし、何よりも、より善い決断を下せるようになるでしょう。

 

まとめ

仕事においても人生においても言えることですが、リーダーシップを語る上で最も大切なことは価値観・境界線・独自の哲学、この3つに集約されると思います。

まず、自分はナニモノであるのか。
自分にとっていかなるものにもゆるがされることのない絶対不可侵の軸というのは何なのか。

そして、自分が絶対越えては行けない一線は何なのか。
これは、常に持っておかなければならない。

いざ、決断の場に追い込まれた時に謝った判断をしないためにも、確固たる自分というものを常に自分の意識下に置いておきたいものですね。

 

自分を理解しよう−ハーバードの自分を知る技術


第一段階:自分史を書く

・第一段階では基本的なことを描写するにとどめます。
・自分史を書いてみると、あなたが意思決定を下すときに、予想以上に両親(とそのしつけ)の影響を受けていることに気づきませんか?
・数週間かそれ以上かけて書き、思い返し、あなたの自分史にどんどんエピソードをつけたしてください。重要なのは、とにかく書くことです。

第二段階:勝者の口調と敗者の口調で書く

・勝者の口調と敗者の口調の間にもトーンの異なるさまざまな口調が存在します。
・心の声について考えるときは、わき起こる思いをコントロールしようとかブロックしようとか思わないことです。
・私たちがすべきことは、こうした口調の違いに気づき、これらの声が私たちの行動にどう影響するかを理解することです。

第三段階:心の声の影響力を理解する

・勝者の口調であなたの自分史を最後まで書いてください。英雄になったつもりで書きましょう。
・次に、敗者の口調で書きます。こちらの方が難しいかもしれません。
・両方のバージョンで書き終えたらそれぞれの声があなたの頭のなかで聞こえるときの状況を思い浮かべてください。

不当な目に遭った体験を思い出す

・自分の人生を読み解く方法は他にもあります。不当な目に遭った経験を思い出してもらう、というものです。
・一般的に不当な思い出は、記憶の中に埋もれてしまいがちです。そして一度掘り起こしてみると、その記憶がずっと心の中に残っていたことや、私たちの思考や行動に大きな影響を与えていることに気づくのです。

自己認識と「ねばならない」という意識

・共通するキーワードは「なぜ」です。夢を叶えるには、あるいは潜在能力を開花させるにはどうしたらいいのか?その問いに対する正しい答えはありません。
・重要なのは、あなたが特定の行動をとる理由を理解し、それを読み解くことです。このプロセスを何度も行えば、そのうちに自分への理解も深まるでしょう。
・何をすべきかわかっているのに、それができない。しかも、できない理由もわからない。多くの場合、妨害しているものは理性ではわからない何か、もっと深い何かです。

 

まとめ

自分の過去のことを真剣に遡ったことってありますか?

ボクは今までなかったので、今回一度紙に自分年表をつくって振り返ってみました。
ここでこの本がおすすめしているのは「敗者の口調」「勝者の口調」で振り返るということ。

要は今まで遭った自分に関するエピソードをポジティブな視点とネガティブな視点両方から捉えてみようということ。

確かにそうすることで、今まで思い込んでいたことが客観的に捉えられて、それが影響してどのようにして自分自身を形づくってきたのかがうっすらとわかってきます。
価値観や人生観にどんな影響を与えてきたのかというルーツを知ることはとても大切なことです。

ちなみにボクの場合は20代までは完全に親の影響を受けて生きていたことがはっきりと言えます。30代で読書をしたりセミナーに参加するようになり、いろいろな考え方を吸収することでいまの自分が形成されたのだと感じられます。

あなたにとってのターニングポイントはどこですか?
今の自分のルーツはどこにあるのかを知ることはこれからの自分を形づくっていくためにはとっても大切なことですよね。

 

自分の長所と短所を知ろう−ハーバードの自分を知る技術


なぜ自分の長所と短所は気づきにくいか

・確かに毎日いろんなことが起こりますし、仕事上のごたごたもあるため、ゆっくりと自分のスキルを評価するのは容易ではありません。しかし、スキル評価を後回しにすることは、今は問題なくても、将来的にはほぼ確実に悪影響を及ぼします。
・ほとんどの人はこのテーマについて掘り下げて取り組んでいないだけです。そのために自己認識があいまいなのです。

具体的なスキルについて話す

・スキル評価は、人間関係や人脈や人気を評価することではありません。簡単には変えられない外見や個人的な特徴は、評価の対象外とすること。「良い」か「悪い」かは重要ではありません。重要なのは、現実に向き合ってスキルについて具体的にはっきりさせることです。

「しない」のか「できない」のか

・長所と短所を評価するときは、自分の能力に注目しましょう。当たり前に聞こえるかもしれませんが、それを避ける人が多いのです。
・当たり障りのないことを話し合う方がずっと簡単です。その方が気楽でしょうが、それではあなたの重要な問題点がわかりませんし、いつまでたっても改善が見込めません。

今すぐスキル評価をはじめよう

・仕事で華々しいスタートを切ったのに、何らかの理由で行き詰った人が、あなたの周りに一人くらいいるのではないでしょうか。私の知る限り、その原因は、その人が習慣的に自分のスキルを分析しなかったか、あるいは新しい仕事の条件にあてはめて分析し直さなかったかのいずれかです。
・その仕事にはどんな能力が求められるのかをじっくり考える習慣を身につけないと、いつか自分に跳ね返ってくるでしょう。そうならないためにも、内省と分析を続ける努力をしてください。

すべてにおいて万能である必要はない

・これまでに私は、自分の業務に関わる強みが一つか二つしかなく、弱点をたくさん抱えている人と何度も仕事をしました。そんな人であっても必ずしも転職の必要はありません。
・一人で仕事を完結させる必要はないこと、自分の弱点をカバーできる同僚に助けてもらえばいいこともあります。

あなたが責任をもってやるべきこと

・「責任をもって自分のスキルを把握しましょう」というところを可能にするのが思考様式(マインドセット)です。これにより自分の長所と短所を評価する計画を練ることができます。
・他人の能力か評価を指導またはサポートすれば、自分自身の評価についても多くを学べるのです。
・あなたの潜在能力を引き出すには、まず自分の長所と短所を評価しなければなりません。

 

まとめ

ジョハリの窓って知ってますか?

「自分も他人も知っている自己」を「開放の窓」
「自分は知っているけど他人は気づいていない自己」を「秘密の窓」
「自分は気づいていないけど他人は知っている自己」を「盲点の窓」
「自分も他人も気づいていない自己」を「未知の窓」
って分けるコミュニケーションの円滑な進め方を考えるために提案されたモデルのことです。
(参考:Wikipedia

自分のことって案外わかっていないものなんですよね。
だから、盲点も多いし、自分自身がまだ知らない自分というものもまだまだあるんです。
でも最近それを知ろうとするかしないかで、人生の幅が大きく変わってくるんじゃないかって思うんです。

「自分はこういう性格だから〜できない」
「自分はこういう主義だから〜できない」

そうやって、自分のことを自分で決めつけるところに限界は発生する。
過小評価や自信のなさにもつながっていきますよね。
自分の天命、天職はやっぱり「自分の好きなこと」「自分の得意なこと」「人のために役に立てること」の重なる部分。

自分のことをじっくりと見つめてみる機会をもつことってすごく大切だと思います。

 

 

何をすべきかは知っている。行動に移さないだけ−自分を変える1つの習慣


「行動に移さない」のは、それを信じていないから

・私たちの信念は、言葉に表れるのではなく行動に表れる。

・読んだ内容を理解したつもりでいても、「行動」に移さないのであれば、それを信じていることにはなりません。

・人が何を信じているかを知りたければ、その人のスケジュール帳と小切手帳を見ればいい。なぜなら、人の信念は、その人が何に時間とお金を使ったかに表れるからだ。

私たちは「何をすべきか?」は知っている

・最初に必要なのはビジョンです。ビジネスや人生で何を望むかがはっきりとしていなければ、行動はできません。

・明確なビジョンを描くスキルを学んだ後に必要となるのは、そのビジョンを実現するための「日々の行動」です。

・「したいこと」と「すべきこと」が強く結びついているからこそ、私たちは難しい行動に取り組もうと言う情熱をもって、朝、目覚めることができるのです。

行動を妨げる3つの要因

・【恐怖】【自己免除】【完璧主義】

・「恐怖は本物のように見える偽の証拠」とは昔からある表現ですが、これは核心をついています。

・怖くてもいい。怖がりながら、行動すればいいのです。

・自己免除は、目標達成の妨げになります。何かをしない言い訳をしたくなったら、その気持ちを捨て去りましょう。

・「完璧な状況」が訪れることは決してありません。そして、「何もしない」という一見すると安全に思える選択肢をとることで、結局私たちは「何も成し遂げない人生を送る」という大きなリスクにさらされてしまうのです。

・完璧な結果を得ることでなく、完璧な努力をすることに意識を向けましょう。

目標を360度で共有する

・私たちは周りの人々に関心をもたれたり支援されたりすることで、良いパフォーマンスを出せる。

・自分自身をがっかりさせることをするのにはたいした抵抗は感じなくても、大切な人をがっかりさせるのは絶対避けたいと感じます。
人間は根本的な部分で、励ましあい、支えあい、喜びあえる「誰か」を必要としているのです。

・あなたを励ましてくれる人と、夢や目標を語り合いましょう。あなたを支援してくれる人と一緒に、計画を立てましょう。
そうすれば、驚くほど早く、恐怖や自己免除、完璧主義は消えていきます。

最大のリスクは「行動をしないこと」

・最大のリスクは、間違った行動をとることではなく「行動をとらないこと」です。

・自らの力でコントロールできるものは、コントロールしなければならないのです。

・「行動」しなければ、目標にはたどりつけないのです。

 

まとめ

「行動を移さないのは、それを信じていないから」
この言葉にドキッとしたのはボクだけではないはず。。笑

ボクは比較的たくさん本(特にビジネス書)を読んでいる方だと思います。
本を読んでいる最中や読後には、影響を受けやすいボクはその本の内容に感化されてしまっています。

でも、そんな感銘を受けた本であっても、実際に行動に落とし込んで実践しているのは読んだ本のうち半分にも満たないかもしれません。

これって感銘を受けたつもりになっているけれども、どこかで
「こんなん絶対できひんわ。。」
「できる人はほんの一握りの人でしょ」
なんて思っている自分がいることは確かです。。

それを見透かされたようでドキッとしました。
何をすべきか、どうすれば成功することができるのか。
それは、実際に成功されている著者の本を読んだり、セミナーに出席して直接話を聞けば大抵教えてもらえるものです。

でも、本を読んだりセミナーに出ることが目的になって自己満足を覚えているようでは本末転倒なんです。

大切なのはわかっているではなく、素直に信じて行動に移すこと。
そこで、将来に大きな差が出てくるんじゃないかな。

自戒を込めて。